弱いものにやさしくない/無いことと有ること | 股関節が硬い 徹底究明!中村考宏の超スムーズ股関節回転講座

股関節が硬い 徹底究明!中村考宏の超スムーズ股関節回転講座

骨盤後傾から骨盤をおこし股関節を超なめらかに。体幹と四肢を連動させ動きの質を追及する。運動とは人の重心が移動することである。運動を成立させるべく構造動作理論(Anatomical Activity)に基づくトレーニング方法と身体観察について綴ります。

先日、あるスピリチュアル系の方が私にいった、
「あなたは弱いものにやさしくない」
と...........。

そのかたは地球上のものすべて、人類すべてに愛を注ぐようだ。
私はというと、自分と合う人たち、ご縁を通じてでしか人と付き合えない。
とくに、その方の療法に興味がなく、
「こうじゃないと、いけない。」
といわれても.....。

興味のないことにつきあうことができない。
「それはいま、あなたに必要です。」
といわれても、
どうしてあなたに言われなくてはいけないかと不思議に思う。
確かにどの教えもそうだが、説かれていることはすばらしい...。

だが、興味があるか、ないか。

ない。

神さまのように自然をコントロールすることができるのなら、
そのような特殊な能力があるのなら、
私の関心事、「運動を再現」してみせてほしいと思う。
最も身近な自身のカラダコントロールすることなどわけないこではないだろうか?
自然はコントロールできるが自分のカラダは・・・というのでは。

その方は心に偏りすぎているように見える。

やさしいとは?

本当の意味でやさしいというのなら
ご自身のカラダ(自然)を雑にあつかわないでほしい。
筋が通るというものだ。
私は心と身体、偏りなくいきたい。

だから、興味がない。

先日、知人がなくなった。
生前はよくお世話になり、そのときの事が思い出された。
不思議なもので、その方は仰向けになったまま、もう動きそうにもない。
当然だ、亡くなったのだから。
当然かもしれないが、何が当然なのだろう。
どうしたら、動き出すのだろうと、いろいろ考えたがわからない。
その横たわった肉体に何かが「ない」ことはわかる。
だが、もう「無い」のだ、「無い」から動かない。

物事が存在しないことを「ない/無い」という。
物事が存在することを「ある/有る、在る」という。

死ぬということは、「ある」か「ない」かでいったら「無い」。
あるのは思い出。
この思い出は私にはあるが、全く知らない人には「ない」、
そして存在してたことすら知らない。

私が右足の末梢神経麻痺で苦悩していたとき、
右足は「ある」のだけれど、なくなった。
今になって考えると、足は運動麻痺で動かない、
感覚は無いかといえば、そうでなく、
手を変え品を変え様々な感覚異常で存在を示していた。
辛いけれど、この感覚異常がなければ「ない」ということを認めてしまったかもしれない。
仮に「ない」ことを認めたとすると、私は生きているが、足は「ない」ということになる。
「ある」と「ない」のはざ間に、感覚がある。
そして、生きている私には認識できる意識があり感覚を感じていた。
もう、動くはずのない、そのヒトを動かすことはできない。
「ない」のだから。

私は「ある」と「ない」のはざ間しか経験したことがないけれど、
「ない」というのは真っ暗な闇だ。
真っ暗な闇みとは私のイメージでしかないが、確かに何もないのだと感じた。
しかし、よく考えてみれば、
私がその療法に興味がないというのは、全く興味がなければ「無」、存在しない。
だが、存在を知って、しかも、その人と話をしているわけで、
「ある」と「ない」のはざ間からでた答えが

興味がないということになる。

私は修行中の身、地球上のものすべて、人類すべてに愛を注ぐことができるほどのレベルに至っていない。今できることは、ご縁のある方たちに誠心誠意尽くすことだ。


≪セミナー&トレーニング会≫
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2013/11/23 【技アリ企画】第42回「構造動作トレーニング東京セミナー」
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