英文の読みやすさ | 英語の世界観

英語の世界観

私達はことばを通して世界を見ている。そして使うことばによって、見えてくる世界が異なることがある。英語の世界観とはどのような世界であろうか。普段意識しないことばから、その世界観を探りたい。現在ときどきロンドン記事アップ中♪

今日は「英文の読みやすさ」についてまとめたいと思います。

 

色々な英文を読んでいると、読みやすい英文や読みにくい英文があることがわかります。この読みやすさは段階的なのでどこからが読みやすいとか読みにくいとは一概には言えませんが、読者の側が感じるものとして「英文の読みやすさ」というようなものがあると思います。今回は普段自分が読んでいる洋書や論文などを想定して「英文の読みやすさ」について考えてみたいです。

 

まず英文を読むときに前提となるのは、英文が読めるだけの単語力と文法力を備えていることです。もちろん知らない単語は出てくるのでそのときは少し辞書を調べれば意味がわかり、文法的に少し怪しいと感じるところがあれば辞書や文法書で確認すれば理解できる英語力があるものと仮定します。

 

その上で色々な英文を読むといくつかのパターンが考えられます。ここも段階的なものですが、理解しやすいように大まかに二分法で考えてみます。パターンは以下の4つです。

 

①読みやすい英文→理解できる

②読みやすい英文→理解できない

③読みにくい英文→理解できる

④読みにくい英文→理解できない

 

①はある意味理想的な英文ですね。読みやすい英文で内容もしっかりと理解できるパターンです。これは洋書の教科書などがこのパターンに当たると考えられます。教科書はその分野の基本的なことを生徒が理解できるように書かれているので、読みやすくかつ理解できるものが理想的です。

 

②は要注意な英文ですね。一見すらすら読めてしまう英文でも内容の方は何を言っているのかよくつかめないパターンです。これは専門書などで体験したことがありますが、英文自体はそれほど難しくはなく読めてしまいますが、肝心の内容が頭に入ってこないです。このパターンの英文は何度も読んでこちらの理解力を高めるのが対策としてあげられます。でもどこまで理解できるかはその人次第だったり、元の英文次第なところがあるので、厄介なパターンと言えるでしょう。

 

③は個人的には割りと好きなパターンです。英文自体は簡単には読みにくいものでも、しっかり読んでいくとちゃんと理解できるものです。これは論文などでよく出くわすものです。もう少し読みやすいように書いてほしい気持ちもありますが、読み手の側が頑張って理解する感じですね。

 

最後の④は一番良くないパターンですね。英文が読みにくい上、理解もできないのは読み手にとっては一番困りますね。昔、アメリカ文学の論文でこのパターンのものに当たってしまい大変だった記憶があります。同じ論文を読んでいた同級生と理解できない難しさについて共感した記憶があります。このパターンの論文で授業で発表しなければならないのは最悪です。少し古めの論文だったこともあり読みにくさが増していて、内容も理解しにくかったです。この④のパターンの英文はできるなら避けたいものですね。

 

もし自ら選んで読んでいる英文がこの④のパターンなら、時間の関係上読むことをやめるのも一つも選択肢かと思います。その英文[洋書]を手に入れるのにコストが発生していても、最後まで読まないともったいないとは思わずに潔く諦めることも時には必要です。歴史に名の残る偉人の英文でなんとしても読みたいのならトライする価値はあるかもしれませんが、そうでもないものなら諦めて別のものを読んだほうが有益になると考えられます。

 

このように4つのパターンで考えると、やはり理想的なの①ですね。そして個人的には③がおすすめです。③は難しめの英文にチャレンジしている感じがあって、そこを何とか理解できたときの達成感は英文を読んでいるときの一つの喜びと言えるでしょう。

 

上では4つのパターンを考えてみましたが、英文の読みやすさと理解度ではどちらが大事になるでしょうか?言い換えると英文を書く側と英文を読む側のどちらがポイントになるでしょうか?もちろんどちらも大事ですが、今回は英文を読む側に視点があるので、理解度、つまり英文の読む側がポイントになると考えられます。

 

理由としては英文は他の人が書いてもうすでにできあがっていることがあげられます。これはもう自分のコントロール外にあることを意味し、すでに書き終わった英文をもっとわかりやすいように書き直すように求めることは基本的にはできませんね。そう考えると読み手の自分ができることは、努力してなるべく英文を理解することです。これは自分のコントロール内のことで、限界はありますが自分の努力次第では理解度をある程度高めることができます。

 

したがって読みやすい英文だろうと読みにくい英文だろうと、どこまで理解度をあげられるかは読み手の自分にかかっていると言えるでしょう。