蛮勇って何だろう | ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

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ロンドン・東京そしてNYといつの間にかいろんなところを転々とそしてまた東京に。海外なんて全く興味なかったし今もないという予想外の人生でした。今は東京に戻りしばらくお休みしていましたが少しずつ再開してみようかと思ってます。よろしくお願いします

自民党の高村氏がこんな発言をしたらしい。

イスラム国事件 高村氏、後藤さんは「蛮勇」 渡航自粛すべきだった


自民党の高村正彦副総裁は4日午前、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」に殺害されたとみられるジャーナリストの後藤健二さんについて「日本政府の 3度の警告にも関わらず支配地域に入った。どんなに優しくて使命感が高かったとしても、真の勇気でなく『蛮勇』というべきものだった」と述べた。党本部で 記者団に語った。(産経新聞より引用)

なるほど、結果としては後藤さんは蛮勇だったといわれても仕方ないだろう。だが、彼自身は渡航に際してこれは自己責任であるといっていたのも事実である。

まさか殺されたりはしないだろうとタカをくくっていた可能性もある一方で本当に死ぬかもしれないという覚悟で渡航した可能性も大いにある。そしてすべては自分の責任であると彼は少なくとも言っていたのだ。

世の中のために、人のために役に立ちたい。そのためには命というリスクを犯してもいいとは怠惰で平和な毎日を送る我々には少しわかりづらいことではある。

だが、ふと冷静に考えれば我々の人生はリスクに満ち溢れていることに気づく。

酔っぱらって電車や車にはねられて死ぬかもしれない。いつ何時、重病にかかっていることが判明するかもしれない。あるいはいきなりパワハラの上司がやってきて鬱病にかかって自殺してしまうかもしれない。

悲しくつらいことだが、死というものはそれほど我々から遠いところにあるものではない。

もちろん、死まではいかなくとも、ふとしたことで人生が180度くるってしまうこと(もちろんその逆の大逆転もあるのだが)はそれほど珍しいことではない。

人生にリスクはつきものである。そして、言い方は悪いが一方でリスクを犯すことによって地位や名誉、あるいは収入を得ることが我々はできている。残念でもある一方で同時にわくわくすることでもあるが、それが人生というものだ。後藤さんもリスクを犯し続けてきたからこそ、名の知れたジャーナリストになったわけだし、収入についてはわからないが僕が想像するにおそらく相応のものをもらっていたのではないだろうか?

死ぬかもしれないから酒は飲まない。タバコはしない。海外旅行もいかない。病気になるかもしれないから精神をすり減らして働きません。収入もいりません。なんて人はあまりいないだろう。もちろん、程度の問題だしたとえば、自分の命にどれくらいの価値があると考えるかは人それぞれの価値観しだいであることは言うまでもないけれども。

いずれにせよ、後藤さんは自分なりにリスクとその結果得られるものを天秤にかけて彼の中の価値観で渡航を決めたのだ。結果としては最悪のものになったが、彼自身がそれに納得しているのならば我々は結果だけを見て蛮勇というべきではないと僕は考えている。

たとえば、ある研究によれば「起業」の平均的なリターンはマイナスになるらしい。では起業する人はみんな蛮勇なのだろうか。あるいは、起業して成功した人は蛮勇ではなく失敗した人は蛮勇という誹りを受けなければならないのだろうか。そうではないはずだ。

政府や与党としては「余計なことをしやがって…。支持率に悪影響がでたらどうするんだ…。」という気持ちは強いだろう。

だが、そのような危険な地域に自己責任で赴く(もちろん、その代わりに彼らはリターンを得ている)ジャーナリストたちがいるからこそ、我々は世界で起こっている様々な悲惨な出来事について知ることができる。また、政府もジャーナリストから情報をもらったりジャーナリストの人間関係をツテに交渉を行うこともないわけではないはずだ。

もちろん、多額の身代金を支払ったり、人質事件の対応に政府(特に首相など)が追われることは大きなマイナスであることは間違いない。だから「自己責任」なのである。

人それぞれ何に重きを置くかの価値観はさまざまである。そしてどの程度のリスクを犯して生きるかもそれぞれだ。だから、何でもかんでも結果だけを見て「失敗したから蛮勇であった」というのはおかしいと思うのは僕だけではあるまい。一方で、命や健康にどれくらい価値を置くのは人それぞれなのだから、何でもかんでも助けなさいというのもまたおかしいと僕は思うのである。