自己責任論は商売敵? | ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

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ロンドン・東京そしてNYといつの間にかいろんなところを転々とそしてまた東京に。海外なんて全く興味なかったし今もないという予想外の人生でした。今は東京に戻りしばらくお休みしていましたが少しずつ再開してみようかと思ってます。よろしくお願いします


今回の人質事件に対してネット論では当たり前のように自己責任論が巻き起こった。僕はそれほどチェックしていないがざっと見た感じは自己責任だから身代金を払うのはならない。でも助かってほしいしテロリストに激しい憤りを感じるというものが多かったように思う。自己責任論がだめなのか?ということに関しては先日書いた

ブロゴスを見ていると人質事件に関する自己責任論を今度は生活保護に結びつけて論じている方までいて正直僕はびっくりした。

「自己責任論」が与える私たちの暮らしへの影響 ―社会保障・生活保護を中心に―

イスラム国で人質になっている二人の言動がいわゆる「自己責任論」を呼び起こしている。

自分の意思で危険な場所に訪問したのだから、自業自得だというものだ。

また、そのような人々を積極的に救うことや税を投入することにも批判的な意見が散見されている。

これらの動向については、古谷経衡氏の『「自己責任論」で中世に退行する日本』も参照いただきたい。

この「自己責任論」は、厄介な問題で、さまざまな場面で議論を巻き起こす。

特に社会保障を議論する場合には、必ずといっていいほど、出てくる時代錯誤の論点だ。

(ブロゴスより引用)

うーん。

多くの人は自己責任だからなんでもかんでも本人のせいだ。死にそうな人にも生活保護を出すなと言っているわけでもないだろう。一方で社会保障制度に関して寛容な考え方を持つ人でも生活保護という制度がよくないインセンティブを人間に与える可能性があることや財政状況を考えれば生活保護の支給額の削減もやむを得ないと考える人は多いはずだ。

「自己責任」といっても人によって考える程度はそれぞれだ。そもそも自己責任という概念がなくなった時に本当に社会保障制度は成り立つのだろうかと自問自答してみることも大切だろう。

とにかく「自己責任」という言葉が大嫌いなんです。という人が最近は一部で増殖しているように見える。だが、そういう人も生活保護をいったんは受けてその後自立しましょうというようなことをいうわけである。それって結局自己責任の世界に戻っていくわけだよね…と僕は思う。

まあそういう左寄りの活動家の人たちは心底いい人の場合もあるだろう。

だが、実際にはそういう人にとっては「自己責任論」は商売敵なんだろうと僕は思っている。なぜなら、彼らは良くも悪くも人の不幸や人の貧困を飯の種にしているからだ。よく言えば人助けをしているのだが悪く言えばそういう人を助ける(あるいは、助けたつもりになる)ことをビジネスとしているのである。

誤解を恐れずに言えば人の不幸や失敗を大衆にさらして金を稼いでいる週刊誌の類と同じである。あるいは、やくざな商売ということになる。

いや、もっとたちが悪いかもしれない。

なぜなら多くの場合は彼らは政府に訴えかけるのだ。こんな不幸な人たちがいるから政府が金を出すべきだと。そしてそういう不幸な人たちにアドバイスをしてお金をもらったり生活保護を受けるためにはみたいな本を出したりするわけだ。よく考えれば、そして誤解を恐れずに意地悪く言えばそれは問題になっていた貧困ビジネスというピンハネと同じである。あるいは政府の職に就いて公務員としてお気楽な仕事をしながら、あるいはもっと偉そうな会議の委員になって経歴に箔をつけてお金を納税者からかすめ取っていく。

そう考えると残念ながら彼らにとっては貧困は飯の種以外の何物でもないと僕には思えてくるのだ。(もちろん、それは正当な対価の場合もあるとは思っているが)

だから、不幸な人にも自己責任があるから何でもかんでも面倒を見るべきではないという自己責任論は彼らにとっては憎むべき仇敵である。自己責任は自分たち左翼活動家の生活に影響を与えるからだ。自己責任を述べる人はそれによって自分が食べていけなくなることはない。しかし、そのような活動家たちにとっては、もし自己責任論が広まり政府の社会保障が大幅に削減された場合には、あるいは自己責任の意識を国民がより多く持つようになり貧困が減少してしまった場合には失業や所得の大幅減少につながりかねない一大事だからだ。

実際には社会保障が大幅に削減された場合にも主に富裕層を担い手とする資金の出し手がボランティア活動などによってその多くを肩代わりするだろう。だが、それも彼らにとっては問題だ。政府の場合にはお役所仕事的に活動家の仕事がそれほど監視されることもないかもしれない。だが、そのような富裕層が資金の出し手になった場合には支出管理が厳しくなったり活動家の働きぶりにチェックが入る場合が多くなるだろうことが想像されるからだ。

だから、大半の活動家の皆さんにとっては社会福祉は政府の独占事業になっていたほうがよいのである。そして独占事業から得られる甘い汁を吸い続けたいのだろう。

あえて意地悪く書いたし少し書きすぎだとは思っている。だが、「自己責任」の意識なくして社会も国家も社会保障制度も成り立たない。程度の問題も議論せずに「自己責任」に嫌悪感を示す人の本心はそこにあるような気がしてならないのである。