テロといかに戦うのか? | ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

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ロンドン・東京そしてNYといつの間にかいろんなところを転々とそしてまた東京に。海外なんて全く興味なかったし今もないという予想外の人生でした。今は東京に戻りしばらくお休みしていましたが少しずつ再開してみようかと思ってます。よろしくお願いします


少し前だがブロゴスでこんな記事が話題になっていたらしい。

イスラム国(ISIS)に対するツイッター利用者の攻撃と海外からの評価

具体的に言うと,日本人のツイッター利用者が,人質2人と「ジョン」というニックネームの黒づくめのテロリストの顔などを入れ替えたり,別の画像(例えば,アニメーションのキャラクターなど)と入れ替えたりするなどして加工し,イスラム国関係者の思われる利用者に送り付け,それが,「#ISISクソコラグランプリ」と題して,ツイッター上でイスラム国と思われるアカウントなどが炎上しているのである。
(中略)

私は,この行為を発見した当初,「酷い。テロリストに馬鹿が挑発攻撃できてしまう時代。とてつもないことがツイッターで行われてしまっている。」と極めて否定的に受け止めていた。


 

また,日本のメディアで本件を報じているものも,「不謹慎である」,「人質の命にかかわるのですぐに辞めるべきだ」などと全面的に否定的に報じる風潮である。


 

また,他のツイッター利用者の反応を見ても,「酷い」とか,「日本でテロが起きたらどうする」とか,「フランスでテロが起きた原因を理解していない」などと極めて厳しい評価が多く見られた。


 

しかしながら,この日本人ツイッター利用者達の『攻撃』を,意外にも海外メディアは全否定せずに報じている。例えば,「テロにユーモアで対抗」とか「アメリカ政府すら成し得なかったことを日本のツイッター利用者が実現した」などとむしろ肯定的に報じているのである。

(ブロゴスより引用)

なるほどという感じであった。ISISクソコラグランプリというのがあるという話を聞いて、筆者や多くのメディア同様に僕自身もあほなことをやってるなあと思ったほうだ。そのせいでまた新たなテロが誘発されるのではないかとも思ったし、身元を特定されて狙われたらどうするとも思った。

しかし、ではテロに対して黙っていろ。ただ、テロを恐れてかかわらないようにおとなしく生きていくのだ。ややこしい問題には首を突っ込むべきではないというのが正しいのだろうか?というと僕はそうではないとも思う。テロにかかわらないようにしておけばテロリストは日本人を狙わないのか?というとそれも少し違うのではないだろうか?

テロや人質を取るというような卑劣な行為に対してはやはり我々はそれに対して抗議し、そのようなテロリストの自己陶酔の意識を少しでも変えさせる必要があると思う。

やり方はいろいろあるだろう。昔であれば、個人が情報を発信する手段はかなり限られていたので、テロに対する非難は新聞社などのメディア、および政府しか行えないことであった。せいぜい個人ができるとしたらデモや集会を開きそれをメディアに発信してもらうというくらいの手段しかなかったはずだ。

しかし、現代社会においては個人がネットを通してどんどん情報発信ができる時代である。その分、個人にも自分が不特定多数に情報を発信しているという自己責任が必要な時代でもあるが。このような形でテロリストを面白おかしく茶化すというテロに対する戦いというのもあるのではないか。そのような欧米からのメディアの評価というのはなるほどなと思うのである。

テロに対して何もしない。心の中で憤りを感じる。というのも一つの在り方だ。人間にはやることはいろいろあるので他に自分が集中したいこと/すべきことがあればそうすべきだろう。万が一にもテロリストににらまれるかもしれないというようなリスクを必ずしもすべての人がとる必要もない。

だが、一方でテロ許すまじ、ふざけんな、あほちゃうかという怒りの気持ち(まあ、ただ面白がっている人もそれなりにいるだろうがそれ自体もテロリストの頭を冷静にさせる、もしくは怒り心頭させておかしな行動をとらせる効果を持つかもしれない)をツイッターで表現するのもありだろうと思う。

もちろん、そのような軽々しい行動で日本がテロの対象としてさらに狙われるという可能性はある。だが、沈黙しテロに恐れおののいていればテロから逃れられるかといえば違うだろう。安倍首相の演説や行動は少し不用意だった可能性があるが、それでなくてもすでに北アフリカで日揮のプラントが襲われ大量の日本人が殺された事件もあった。旅先や赴任先の海外でテロに巻き込まれる可能性もある。イスラム信徒の多くの人たちもこのようなテロリストに対しては怒りや悲しみを感じているのだ。

そう考えるとただただ恐れおののくことこそが平和ボケの証拠なのではないかと僕は思ったりもする。

そして、むしろ戦う姿勢を示すことや面白おかしく茶化して見せることが抑止力になる可能性も十分にあるのかなあと。

まあでも刺激しちゃう可能性もあるんで安易な気持ちではやらないほうがいいだろうなあとも思うけれども。そんな仕事は政府やメディアに任せておけという人もいるかもしれないが、両方ともそれほど信頼がおけるような存在でないのも事実である。政府やメディアが何か言えばいうほどにテロリストやテロリスト予備軍は勢いづくかもしれない。

テロリストにはきっと自己陶酔や自分がいいことをやっているという意識があるはずだ。だから自分たちの行為が多くに人に受け入れられない。恐怖させるどころか笑いのネタにされていると思えばやる気を失う人も増えるかもしれない。だから、やはり一人でも多くの人がテロ許すまじという姿勢を示すことがテロの抑止につながればいいと僕は思うのである。