金融危機と原発事故 「事前規制」と「事後対応」 | ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドン・東京そしてNYといつの間にかいろんなところを転々とそしてまた東京に。海外なんて全く興味なかったし今もないという予想外の人生でした。今は東京に戻りしばらくお休みしていましたが少しずつ再開してみようかと思ってます。よろしくお願いします


金融危機と原発事故は似ている面があるとは前も書いた。(金融危機と原発事故 風評(?)被害をいかに克服するか

僕自身は原発というのはやはりコストが高いものなのかなあと今時点では考えている。いずれにしても、「1000年に一度の震災だから」というのは言い訳にしてはならない。経営陣は社会的制裁を受けるべきだし、東電という会社は自力で賠償してもらいできなければ、潰れてもらうしかないだろう。

ただし、同時にゼロリスク症候群(池田氏に言わせると「福島みずほ症候群 」らしいが。。。笑)が妙に増えているのも個人的にはどうなんだろうなあと思う。

リーマンショックを経て、二度とこのような危機を起こさないようにということで事前規制への関心が高まっている。危機前はグリーンスパン元FRB議長が述べたような「バブルが起きるのは仕方ないので我々は事後対応に注力すべきだ」という発言が重みを持って受け止められていたが、やはりそれだけではだめで事前規制が必要だという流れが強まっている。

しかし、現実には様々なリスク・パターンを想定してそれを事前に規制するのは容易ではない。その中で成立したドッド=フランク法は2000ページ以上で条文が1601条にも及んでいる。こんなものをどうやって適用するというのだろうか?内容もそうだが、それをどのように適用していくのかという実務面でさらに疑問符がつく。

今回の原発事故においてはゆるすぎる安全基準が問題になった。たしかにそう言った面はあることは間違いない。

しかし、今後その安全基準をさらに厳しくしていくとしたらどうすればいいのか?あらゆる事態を想定するといってもそれがどの程度までなのか?M10や11も想定するのだろうか?テロやミサイルでの攻撃も想定しなければならないのか?津波はどれくらいのものを想定すればいいのか?

中には相当確率の低いものもあるが、そのすべてに対応しようとすれば原発に関するコストはいちぢるしく膨大なものになるだろう。(もちろん、だから原発は成り立たないという議論は基本的には僕も支持する)

また、規制の強化は本当に実効性があるかも疑わしい。規制が厳しくなればなるほど、規制を逃れようとするインセンティブが働くのは言うまでもない。人間は良くも悪くも悪知恵が働くものだ。

そして多くのビジネスマンからしたら納得がいくであろうが、実際には役人というのはどうしても実効性のない規制を作りがちである。現場からしたらその規制意味ないからというのも多い。適切な規制(この場合は安全基準)を作っていくのは容易ではないはずだ。

そして、あまりに規制でがんじがらめにすると(一部のばかげた東電擁護者のように)「政府の規制を守っていたんだから何が悪い?」と言い出す輩もいかねない。問題はこれがただのいいわけじゃなくて本当にそういう風に思い、行動に移す人間が世の中には多くいるということである。

しかも、こういった規制の強化はお役人の仕事を増やすから彼らにとっては逆にハッピーだし、当然電力料金の上昇という形で我々国民にも跳ね返ってくる。

また、いかに規制を強化しようともあらゆるものは人間が動かしている以上は常に「オペレーショナル・リスク」というのものが存在するのは避けられない。実際、今回の原発事故の間にも(苛酷な環境であったことは十分に考慮されなければいけないが)作業員が目を話した隙に・・・とか気付いていなかったから・・という理由で事態が悪化した(あるいはしかかった)という場面があった。

こうやって書くと「あの事故を見たくせにまだ原発を動かすことを前提で物を言うのか!」とか「あの事故を見たのに安全基準を強化に反対とは何事か!」と叱られそうである。

僕自身は繰り返すが原発はバックエンドの問題が解決されていないことを考えてもおそらくコストが高い発電方法であると思っている。浜岡のような場所に原発があるのは間違いだと思っているし、安全に関してもより各電力会社がより慎重にそのリスクを測るべきだとも思っている。古い炉に関しては順次廃炉にすべきだと思っている。そして原発自体は今後は現状維持か縮小傾向が望ましいし、電力をより自由化し民間主導でやるならばそうなるだろうと思っている。もし、なんらかの技術革新が起きて原発がより安全でコストの安い発電方法になったのならば、これまた自由な市場の中で行っていけばよいとも思う。

しかし、どのような方向に進むにしても原発がすぐになくなるわけではないし、日本のように資源が少ない国において原発そのものを選択肢から一切なくするというのも非現実であろう。そう考えたときに事前に安全基準(規制)を高めることが本当に有効に作用するかというのは非常に難しい問題であるのではないかなと僕は金融危機とその後の規制強化の動きを見るにつけそう思うのである。

じゃ、どうすれば?といえば、やはり「事後対応」の重要性をもっと我々は認識すべきだししておくべきだったのではないかと思う。

たとえば、原発のある地元の住民に最悪の事態に関する説明はあったのだろうか?おそらく「安全です」という一通りの説明しかなかったのではないか?当然、放射線の影響が出るのは若い人だから、若い人から避難する。女性から避難する。爺さん・婆さんは影響が少ないからよほどの事態にならない限りは家にいてもらう。そういった当たり前のマニュアルや対応・指示というのはおそらく行われなかったのではないだろうか?

原発がある自治体はヨウ素を持っていたとは言うが、おそらく配られてはいなかったのではないだろうか?これも事後対応を円滑に行うという意味では最初から住民に配っておくということも必要だろう。

また、情報開示もそうである。SPEEDIに基づく情報開示は行われなかった。これを早く利用しておけば単なる同心円状ではない、避難指示や自宅待機勧告も可能だったはずだ。

あるいは今回の事故後の対応はあれでよかったのだろうか?東電と政府の間にはかなりの意思疎通の齟齬が見られたようにも思われる。このあたりの検討すべき課題は多いだろう。

多くの国民がすぐに原発を全廃せよとは考えていない。現実には今後も原発は動き続けるし、時がたてばやはり原発は必要だという気運が高まる可能性もある。

そのときに我々は事前規制というのがどこまで有効かというのをもっと考えなければならない。いや、今も「事故は決して起こってはならない」として、事前規制・安全基準強化の話ばかりが行われている。しかし、それは本当にどの程度有効なのだろうか?

それ以上に、事後対応の重要性をもっと認識すべきなのではないだろうか?そして、「事後対応」のための準備をもっと行ったほうがいいのではないだろうか?

と僕は思うのである。どんなにがんばってもリスクはゼロにならない。それどころかある一定点を越えるとコストばかりが膨らむだろう。人間は大自然の前には無力だし、ゼロコストはありえない話だ。それだったら事後の対応を研究したほうがいいというのはまた重要な考えであると思う。事前規制と事後対応のどちらが現時点でコストが安く済みそうかということも我々はもっともっと議論すべきだ。

ツィッターやっています。
Twitterボタン
Twitterブログパーツ


↓二つのブログランキングに参加しています。クリックして応援してもらえると幸いです。

人気ブログランキングへ




にほんブログ村 経済ブログへ
にほ んブログ村