再分配という名の国粋主義 | ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドン・東京そしてNYといつの間にかいろんなところを転々とそしてまた東京に。海外なんて全く興味なかったし今もないという予想外の人生でした。今は東京に戻りしばらくお休みしていましたが少しずつ再開してみようかと思ってます。よろしくお願いします

格差が広がっているからもっと再分配を!金持ち・大企業優遇をやめなさい!国民の生活が一番!とサヨクは言う。いや、サヨクじゃなくてもそういう人は多い。

たしかに、格差は日本のみならず世界中で広がっている。個人的にはそれに対応するために、また働くことの価値を大切にするために勤労控除や負の所得税などの制度の導入には賛成である。

また、日本という国のことを僕は愛しているし、ふるさとも大切なものである。また、日本という先進国において日本人が飢え死することや極端な貧困が存在するような事態があることは好ましくないとも思っている。

しかし、ちょっと今日は頭の体操をしてみよう。

本当に再分配というのは正当化される政策なのだろうか?というのを国という観念とは何かを考えながら(?)疑ってみたい。

モラルが破綻した生活保護受給者が多いのは有名な話だ。不正受給も後を絶たない。ちゃんと働けるのに生活保護に頼って生きている人はかなりいるという。

安易な再分配政策は人間のモラルを破壊し自立心をぶちこわすといういい例だろう。多かれ少なかれあらゆる再分配にはそういったところがあることを否定する人はいまい。

一方で、世界に目を向ければ、日本人よりも貧しい人々は本当に数多くいる。何十億人もいる。彼らは明日死ぬかもしれないような生活を、親の生活のために子供を傷つけて物乞いをさせるような生活を送っている。

アフリカには世界には年収が数万円しかない人がたくさんいる。

世界で食料はあまっているのにお金がないからその食料を買えずに貧しい思いをしている人々がたくさんいる。

後進国や途上国には怠惰な人もいるだろうが、必死に生きようとしている人も数多いはずだ。そういった人たちへの再分配は必要ないのだろうか?特に国民の生活が一番だとか友愛だとか言っている人たちはどう考えるのだろうか?

生活保護を受けてダラダラ生活している人たち。親のすねをかじってそれでも世界中のほとんどの国の人よりもはるかに豊かな生活をしている。そして、それでもまだ金が足りないからよこせと国にたかろうとしている人たちがいる。

この人たちはアフリカの必死に生きようとしている人たちよりも、先に再分配の恩恵を受ける権利が本当にあるのだだろうか?

あるとしたらその理由はなんだろうか?

日本人だからだろうか?

サヨクの人は世界市民が好きじゃなかったのか?

ウヨクの人は格差の広がりを問題視するが、同時に努力しないヤツが金をもらうのはおかしいとも言っているじゃないか。

格差が問題で努力しないやつが金をもらうのがおかしいのであれば、我々はアフリカでアジアで必死に生きようとしている貧困層の人々に我々は再分配するべきじゃないだろうか?

再分配はして当たり前というのが本当に正しいのか?日本人だから再分配をされるのは当たり前という発想が本当に正しいのか?日本人に生まれたというだけで努力をしなくてもほとんどの発展途上国の人が一生どんなに頑張ってもできないような生活を我々はしている。その上に金持ちが憎たらしいからといってさらなる再分配を求めることは本当に正しいのだろうか?

我々は一度、考えてみたほうがいいと思う。

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