FUKUSHIMA50に名誉はあるのか? | ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドン・東京そしてNYといつの間にかいろんなところを転々とそしてまた東京に。海外なんて全く興味なかったし今もないという予想外の人生でした。今は東京に戻りしばらくお休みしていましたが少しずつ再開してみようかと思ってます。よろしくお願いします

FUKUSHIMA50 として福島の現場で働く作業員の方々が米・メディアに紹介されたのを覚えていらっしゃる方々も多いだろう。

福島第一原発での作業員、全国のハローワークで求人が続く

作業員の生活環境を改善=プレハブ仮設寮を建設―東京電力

東電によると、これまで保存食中心だった食事を、5月上旬までに1日3食のうち2食は弁当を提供するよう改善する。さらに、同月中旬までに第1原発内にある福島第2体育館に二段ベッドを120台設置し、シャワーを使用可能にする。

イギリスに住んでいるために日本のTV報道などはほとんど見れない。週刊誌なども見る機会はほとんどない。ネット上での報道と日経新聞を読んでいるだけなのだが、現場で命をかけ、精神を削って働いておられる方々に関する報道はなされているのだろうか?とふと先日心配になった。

福島第一原発で働く人々の生活環境は想像を絶するひどさであったという。状況は徐々に改善されているようだが、まさに戦場とも言えるような場所で、彼らは日本のために戦ってきたのだ。そして今も戦っている。

保存食と一日2回の食事であり、シャワーもなく雑魚寝であったという記事も読んだことがある。

本当にそれでいいのだろうか?よかったのだろうか?それは国益にかなったのだろうか?

もちろん、私企業である東電が待遇に関して自助努力で改善する必要があるのは言うまでもない。だが、3月のことを思えばあのような状況下で東電が従業員の待遇を改善するためにいろいろ手を尽くすことはむずかしかったのではないだろうか?従業員のひどい労働環境が話題になっても政府は「労働環境を改善するように」と指導しただけであったようにも記憶している。

被災者の方々への物資の支援も大切である。しかし、福島原発をなんとか抑え込むべく決死の覚悟で現場で働いている人々の待遇の改善をなぜ政府は積極的にやらなかったのであろうか?もし、原発が再度暴走すれば。。。と考えなかったのであろうか?こういうときこそ、政府がその能力を発揮するところであったはずだと僕は思っている。

それに、そのような劣悪な環境で働けばミスが起きてさらに事態が悪化する可能性も少なくなかったはずである。このあたりも政府の認識が甘いのではないかと僕は思うのだが、間違いだろうか?

また、現場作業員の方々はかなりの被曝をされていることは疑いようもない。もちろん、被曝からくる将来の健康不安もあるだろう。また、国で浴びていいとされる放射線量は規定されているから、今多くの放射線を浴びて作業されている方はこの事故が収束したあとに当分は原発で働くことができなくなるのではないか?そうなったらどうするのだろうか?と彼らの生活のことが僕は心配で仕方がない。特にベテランの方であれば新しい職を探すのも難しいだろう。

批判はされているものの、東電社員の方でも現場で命を張って戦い、あるいは、難しい判断を日々行っている方々もいるはずだ。経営陣は非難されるのが仕事でそのために普段から高い給料をもらっているのだから、いいだろう。しかし、現場で奮闘している東電の社員の人々まで一緒にして批判する人がいるがそれはどうかと思う。

先日も東電の不注意からだったようだが50代の女性の方が内部被曝をされたというニュースもあった。

もちろん、仕事だから。なんだかんだ言って給料が他よりいいから。いろんな理由で辞められないから。など、働き続ける理由は人それぞれで、国のため云々などにそれを置き換えるのはこちら側の感動を味わいたいがための勝手な解釈かもしれない。

東電に対する批判は盛り上がる一方で彼らを心から賞賛する声はあまり聞かないようにも思う。(僕がイギリスにいるからだけということであってほしい)事態は引き続き進行中で、かなり安定したとはいえ現場はまだまだ予断を許さない状況だろう。

いずれにしても、ミスによる事態悪化もあったものの、基本的には現場で命をはり、本部の無茶な要求に答え、また、ぎりぎりの決断をしてきた現場の人々があったからこそ事態は収束にむかいつつあるように見える。(また3号機がなんとかという声も出ているようだが・・・)

彼らの将来への補償。あるいは、感謝の念として国民として何かできることがないだろうか?ともっと議論されてもいいのではないだろうか?少なくともマスメディアはそういった議論をもっと積極的に展開すべきだ。

今はまだ少し早いのかもしれない。しかし、人間は熱しやすくさめやすいものである。現場で働く人々に我々はもっと感謝の気持ちを送らねばならないのではないだろうか?

東電バッシングに熱心になるあまりにそういった感謝の念が忘れられているような気がしてならない。そして、彼らの名誉は守られ、勇気ある活躍はたたえられるのだろうか?現場にいる人々の家族の心配の大きさを思ふとまた心が痛むのである。

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