なんで社会人になると「学ぶこと」が楽しいのだろうか? | ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドン・東京そしてNYといつの間にかいろんなところを転々とそしてまた東京に。海外なんて全く興味なかったし今もないという予想外の人生でした。今は東京に戻りしばらくお休みしていましたが少しずつ再開してみようかと思ってます。よろしくお願いします

子供のころに勉強が好きだったという人はあまりいないだろう。

僕も当然嫌いだった。大学に行けば勉強しなくてもいいらしいということで一応それなりに勉強していたように思う。笑

大学に入ると経済学に興味はあったものの他にやらないといけないこともあり勉強重視ではない生活を送っていた。(いや、実際にはがんばればできたのだが、そのほかに遊びを優先した面も強い。。。反省。笑)

いずれにしても、強制されてする勉強というのは楽しくないものである。

イギリスは先々週は4連休だったが、久々に連休にもかかわらず旅行にも行かなかったので、ゆっくりといろいろ勉強することができた。

これが、楽しくて仕方ない。また、これくらい時間がとれるのはいつだろうなと思うとちょっと憂鬱になったりもした。

なぜ、社会人になると勉強(学ぶこと)が楽しくなるのだろうか?

*強制がないから

やはり、強制されてやるというのは何でも楽しくないことである。どんなに好きな趣味でも「仕事」になればつまらなくなるという話はよく聞く。一方で社会人になれば、基本的には自分で目標を設定し誰からも強制されることがない。これがやはり、自分で社会人になってからやる勉強を楽しいと思わせるのだ。

*自分の興味にあわせた勉強ができる

当然ながら、学校においては自分の興味がないことも勉強せねばならない。しかし、今は違う。基本的には自分が興味があることだけを勉強すればよい。たとえば、歴史が好きな人は中学・高校で歴史の授業だけは楽しかったであろう。それだけしたいと思ったはずだ。そういった環境が社会人になってからはあるかもしれない。

*実際にこれからの人生において役に立ちそうなことを勉強できる。

学校教育において学ぶことは将来に備えるための基礎となる知識・思考力・思考方法などを身につけるためのいわば修行である。そして、それを終えて大学でさらに専門的なことを学んで我々は社会に出て行く。これらの基礎を身につける期間はそれが将来どう役に立つのかわからない。だから、これは修行にも似た苦しいものである。

しかし、社会人になればそういった基礎のもとに今度は自分の人生に実益を明確にもたらしそうなことを我々は学ぶことができる。より成果がありそうだと思えるから楽しいのかもしれない。

また、「あること」を理解するのに数学が必要であったとする。非常にその「あること」に興味があるのならば、我々は「自主的に」今、数学を勉強する。やはりそういった目的意識がいやなことの勉強でも奮い立たせてくれるのかもしれない。

*ツールを使って実社会で起こっている物事を考え・分析する能力が身につく。

社会人になり、実際に社会に出てビジネスを始めるといろんなことが見えてくる。そして、ようやく学問で学んだことと現実を融合して物事を考えることができる。社会に起こっている事象を学問を通してみるというのは非常に楽しいことである。だから、我々は社会人になって学ぶことの楽しさをより感じるのではないだろうか?

*仕事に疲れている

日々同じようなルーティンワークの仕事に疲れているから、知的欲求を満たすことで満足感が得られるのかもしれない。

こんなところだろうか?

他にも仮説があったら教えてほしい。

もちろん、今、たとえば、経済学の本などを読んである程度理解できるのは、いやいやながら大学まで数学をやっていたことによるところは大きい。また、それ以外の勉強もそうである。イギリスで一応働くことができているのは、英語の勉強を曲がりなりにも中学から大学までいやいやながらやってきた成果であることも間違いない。

だから、強制的に勉強させられることは必ず必要だ。そして、今、その分、いろいろ得るものがあるわけだ。だから、若い人はつらくても勉強をおろそかにしてはいけないだろう。

でもまあ、社会人になって「学ぶ」欲求を満たすことは子供にはわからない「大人のお茶漬け」のような味なのかもしれない。

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