中世よりも格差が固定されている現代社会 | ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドン・東京そしてNYといつの間にかいろんなところを転々とそしてまた東京に。海外なんて全く興味なかったし今もないという予想外の人生でした。今は東京に戻りしばらくお休みしていましたが少しずつ再開してみようかと思ってます。よろしくお願いします

という研究結果がイギリスにあるらしい。

Social mobility no easier in England’s modern meritocracy than in medieval oligarchy

The rate of social mobility in England over the past century and a half was substantially slower than most social scientists believe – and possibly slower than in the Middle Ages.

この研究結果がおかしいという批判もあるだろうが、正しいという前提で話を進める。

イギリスといえば・・。身分制社会。しかし、それでも昔に比べればましになったのではないか?と思っている人が多いだろうから、意外感があるだろう。

なぜ、現代社会においては格差が固定しやすいのか?を仮説を立てて考えてみよう。

現代社会はおそらく中世よりもはるかに平等な社会である。様々な身分や性別・人種などによる差別はかなり減ってきたはずだ。一部の人が特権を持ってそれを行使し続けるということも基本的には難しいだろう。

所得の再配分もある、機会の平等を実現するためにいろんな政策が採られている。普通に考えれば、努力すれば低所得者層からでも成功するチャンスは多いに増えているはずである。

しかし、現実にはそうではないとしたらなぜだろうか?

より平等ということはより能力に基づいた社会になっているということである。これはいいことのように思えるが、実は危険な面をはらんでいる。残念ながら、人間の能力(や性格など)は遺伝するからだ。そうなってくると確率的には優秀な親から生まれた人間がますます人生で成功する確率は高くなる。

むかしであれば、うちは農家だから勉強しているひまがあったら手伝え!とか、うちは商家だから大学なんてとんでもないというのは多々あったが現代にはほとんどない。すべての人がかなり平等なスタートラインに立って大学に行き就職するという時代。当然ながら、能力があるものが勝利しやすい時代である。そして、それが連綿と受け継がれていく。

能力というものに基づいた階層化が始まっていると考えているのは僕だけだろうか?

もちろん、昔もそういった面はあった。しかし、それでも身分や職能・家と言った制度がそれをある程度はさえぎった。また、戦争や疫病・社会の大動乱によってある一定程度の間隔で社会にシャッフルが起こる時代でもあった。能力があれば単純に成功できるという時代ではなかったし、能力を発揮する前に死んでしまった人も多かったはずだ。

平等で平和な時代。しかし、それは能力に基づいた格差が固定化しやすいという要素を実ははらんでいると僕は思っている。そうなると社会の停滞感はいっそう強まる。

しかも、イギリスなどで言われているように、教育に政府がお金をつぎ込んでも残念ながら、この社会の固定化はなかなか払拭できないのが現実だ。平等で平和な時代は素晴らしいようで実はそうではないのかもしれない。


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