日本の発展は国家主導だったのか? 本田宗一郎に思ふ | ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

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ロンドン・東京そしてNYといつの間にかいろんなところを転々とそしてまた東京に。海外なんて全く興味なかったし今もないという予想外の人生でした。今は東京に戻りしばらくお休みしていましたが少しずつ再開してみようかと思ってます。よろしくお願いします

戦前・戦後の日本は国家主導の経済発展だったんだ。という声は今も強い。

しかし、僕はこれに大きな疑問を持っている。たとえば、今回取りざたされている計画停電。果たして、電力消費量をうまく押さえ込めることができるだろうか。値上げという市場機能を使わずにである。国家による経済の統制が以下に難しいかをこの喧々諤々の議論が非常によくあらわしている。

産業政策の有効性は否定されて久しい。しかし、一方で、戦前戦後の日本の経済発展は国家主導であったとの通説は根強い。三輪芳朗 氏などの著書を読むとそれがいかに荒唐無稽かがよくわかるのだが、なかなか内容を理解してもらうのも難しい。

社会主義国家の失敗が明らかになっていく中で、日本経済は社会主義者にとって唯一の拠り所であったはずだ。欧米とは違う東洋の国が経済成長を成し遂げた理由を「日本特殊論」に求めた人が多くいたとしても無理はないだろう。

また、どこの国でもそうだが、学界に左派が多く特に日本の経済学の世界にはマルクス主義的な考え方を持った人間が多かったことも「日本特殊論」や「日本は実質的な社会主義国家である」という誤解に満ちた言説を流布させるのに大きく貢献したことは間違いない。

多くの人が理屈の上では「国家主導の経済成長はありえない」とわかっていながら、なんとなく「日本は国家主導の経済成長を成し遂げたのだ」という考えを受け入れてしまう。ま、学者がそう言い、テレビや新聞がそういうのだから情報ツールの少なかった時代に多くの人がそれを受け入れるのは無理もないだろう。

「官僚達の夏」という小説がある。たしか、数年前にドラマ化もされたと思う。主人公の風越のモデルは以下の話に出てくる佐橋滋 といわれている。

佐橋滋は自由経済を支持する通産省にあって政府主導の経済政策を主張した人物である。

資本自由化に備えるために国家主導の産業振興策を行おうと考え、特定産業振興臨時措置法 という法律を作ろうとたくらんだ人物である。

彼は自動車業界を量産車メーカー、特殊車メーカー、ミニカー・メーカーの3グループに再編成する構想を持っていたという。そして当時四輪車にまだ進出していなかったホンダの名前はそこにはなかった。彼に言わせれば「ホンダは二輪車だけ作っていればよい」ということになったいたのだ。

当然、ホンダの創業者である本田宗一郎がこれに噛み付く。以下若干長い引用になる。

 事務次官の名は佐橋滋。その権勢ぶりから、当時、天皇と呼ばれた人物である。しかしこれも、火に大量の油を注ぐ結果となった。
「ずばりお尋ねします。本田技研は四輪車を作るな。そうおっしゃるのですね」
 宗一郎は、つとめて冷静に切り出した。だが、その眼は憤怒にめらめらと燃えている。佐橋は、眼鏡の奥の瞳を冷たく光らせて応えた。
「まあ、はっきり言ってしまえばそういうことです。アメリカのビッグ3に対抗するには、日本の自動車メーカーなど二、三社でいい。新規参入を許す意味も必要もありませんよ」
 黙り込む宗一郎を見下すように眺めて、佐橋は続けた。
「それに、ホンダさんは二輪車だけでも企業として十分存続していけるでしょう」

 自制は、ぶつりと切れた。宗一郎は立ち上がって叫んでいた。
「ふざけるなあっ! うちの株主でもないあんた方に、四輪車を作るななどと指図されるいわれはないっ」
 佐橋は動じず、つい、と眼鏡を押し上げた。
「しかしね、本田さん。貿易の自由化は目の前だ。それまでに日本の四輪業界の体質を強化しておかないことには―」
「あんた方役人に何がわかる!? オートバイだって外国製品に立派に太刀打ちできた。厳しい競争があるからこそ、企業は必死になって努力するし、成長もするんです。自由競争のみが、競争力強化の真の手段なんだ」
「オートバイと自動車は別ですよ。あなたはフォードやGMに勝つ自信がおありですか?」
「あるに決まっているでしょう。オートバイでやったことを自動車でもやるのです」
 顔を歪めるようにして笑い、佐橋はこう言い放った。
「私たち官庁は国のためにどうあるべきかを考えている。あなたは自分の欲望や会社のことしか考えてないのではありませんか?」

「なんだと? 俺が私利私欲で会社をやっているとでも思っているのか! 俺たちが、オートバイで世界一位になったとき、お前らはなんて言った。日本のために日の丸を揚げてくれて感謝しています、なんて言ってやがったじゃないか。いいか、俺がもし自動車で日の丸を揚げたときには、お前は切腹するぐらいの覚悟をしておけ」
 宗一郎は立ち上がり、会談はあっという間に決裂した。出された茶にひとくちもつけず、宗一郎は通産省の建物をあとにした。(趣味の経済学http://www.h6.dion.ne.jp/~tanaka42/keieisha.html#5より引用)

結局、この後、ホンダは佐橋の意向を無視して法律成立前に四輪車の市場に打って出る。その後の成功、および日本の自動車メーカーが世界を席巻し今日に至ることはいちいち書くまでもないだろう。

彼が成立を目指した特定産業振興臨時措置法という法律は各界から反対にあい廃案となる。日本の財界および政界が基本的に自由主義経済を好み国家による統制を好んでいなかったことが明確にわかるひとつの事例だといえる。

また、佐橋はホンダの暴走を止めることはできなかった。所詮、官はそれほどの力をもたなかったのである。

いずれにしても、上記のやり取りに見られるような気概を持った経営者が多くいたことは想像に難くない。それが日本経済の発展を支えたのだ。リスクをとるのは株主であり経営者なのだから現実のビジネスを知らない官僚の言うことなど聞けるかという気概。そういった気概を持った経営者・ビジネスマン達が日本の発展を支えてきたのは想像に難くない。

今の経団連の爺さん達にそういったものがどれだけあるだろうか。一方でそういった気概を持った若手経営者はたくさんいるはずだが、どれだけ評価されているだろうか。そう考えると日本の先行きが心配である。

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