民主党による壮大な「子供手当て」詐欺事件にあったにもかかわらず国民は少子化対策を~と言って求めているらしい。だいたい、少子化担当相が子供を持たない楽しさみたいな本を書いたみずぽたんであった時点で民主党の少子化対策に対するやる気なんてなかったに等しいといえよう。
ま、それはそうと、「少子化対策」ってのはそんなに重要なんだろうか?多くの人はなんとなしに「少子化対策」が重要だと聞かされ続け、なんとなく「少子化対策をやらないといけない」「少子化が止まれば日本経済は復活する」と思っているようにも見える。
本当にそうだろうか?もしくは、本当にそうだとしてそこにどの程度までなら税金をつぎ込むことができるのか?今話し合われている方策が本当にべストなんだろうか?と考えてみたことがある人はおそらく少ないだろう。
まず、本当に少子化対策が有効なのか?なんのために?というのを考えてみると・・・
①成長性
まずは少子化によって需要が減る/労働力の供給が減るから国家の経済力が落ちるという主張は多いようだ。
すべて否定するわけではないけれども、たとえば、人口の成長力の高い国を上から並べてみればいい。とてもじゃないが成長しているというような国は出てこない。また、マスコミのみんなが大好きなお隣の絶好調韓国の少子化は日本よりひどいらしいがこれはどう説明するんだろう?(人口成長率順リスト )
また、中国だって今後は少子高齢化がかなり進むといわれているがどうなんだろう?
また、過去の記 事に書いたんだけど、国家の潜在成長率向上における労働人口の上昇によって説明される部分はそんなに多くないという説もあるらしい。
こうやって考えると、少子化が何が何でも絶対達成せねばならない政策命題でそのためにもっともっと予算を追加すべきなのかどうかというのには疑問がわくのではないだろうか?
それに成長というんだったら、もっと規制を緩和してビジネスフレンドリーな国にするという方策だってあるわけなんだし、正しいとは思わないが菅直人が言う増税して政府が支出という方策だって検討されるべきだろう・・・。
どの方策が効率的なのかを考えなければならないのに、ただ、「少子化対策」と叫んでいるだけじゃ意味がないわけだ。仮に少子化が有効な対策としてもそのほかの政策とどちらがよりコストが安くリターンが高いのかもっと議論せねばいけないのではないか?
②分配・社会保障制度維持の観点
多くの人がより意識するのはこちらだろう。
ではたとえば、出生率を2.0に引き上げるのに後いくらお金をかければいいか考えた人はいるだろうか?
たまたま見つけた小泉りゅうじ氏のHP(http://www.ryuji.org/column/20100329_kodomoteate.php )によると・・・
また、保育所を増やすことにより、子どもを一人増やす財政負担は、毎年2780万円という結果が導かれている。19年度児童手当による出生率の増加は、1.527を1.540に増加させる程度(0.013ポイント)であるということになる。
だそうだ。
じゃ、出生率を2.0に近い水準に引き上げるには。。。。政策効果の逓減も考えればとんでもない額の予算をつぎ込まねばならないことは容易に想像できるだろう。(もちろん、子供手当て反対派の意見なので割り引かないといけない面はあるだろうが。)
それって正しい政策なのだろうか?
社会保障制度維持の観点から言えば、別の方策もあるだろう。
当然ながら年金の給付額のカット、医療保険の自己負担額の増額、それぞれの保険料の増額などといった政策も当然考えうるし、消費税を増税し社会保障制度の維持に回すという案もあるだろう。
単に「少子化対策」にお金をつぎ込んで人口が増えれば社会保障制度が維持されるという単純な視点ではなくて、現在の社会保障制度を維持するにあたって上記のどの案が一番ベストなのか、コストが少ないのかという比較のもとに議論がなされなければならないはずだ。
もちろん、他にも案はある。僕自身は賛成ではないが移民の受け入れという案もあるだろう。治安の悪化や日本らしい文化が消滅する可能性というコストはあるものの、上記のような多額のコストがかかる少子化対策と比較したときに人口を維持し増やすための方策としては一つの案としてありえるだろうに、こういった議論からは多くの国民は目をつぶっている。なんでだろう?
うずれにせよ、現在の財政状況では一兆円を捻出するのも大変な状況なのだから、予算の制約というのをもっと考えたほうがいい。
さらに、同じ少子化対策といってもいろんな具体的な方策があることも考えねばならない。
子供が公的な存在と考えるならば、自分で子育てをすることを選んだ人たちには何の補助もないのが正しいのだろうか?という疑問が公平性の観点から、また人間の自由の観点からある。
保育所を増やせーという。コストの高い保育所をガンガン増やすことが必ずしもいいことかどうかはわからないだろう。(過去参考記事→幼保一元化に関してさらに考えてみた
)
女性の働く環境を整備すればいいという意見も強いようだけど、こういう研究結果もあるみたいだ。(上記のHPから)
ヨーロッパにおける研究でも、児童手当・育児休業・育児手当はわずかな効果しかないか、あるいは出産の時期に影響を与えるのみである、との結果が出されている。
実際、子供手当てへの反対意見としてお金をもらえるから子供を生むわけじゃないというのは結構根強かった気もするからこの研究結果と整合的といえるかもしれない。
それから、今と昔の違いでいえば、昔は子供が労働力の一環としてみられていたことってのはよくあげられる。だったらたとえば、子供が学校で優秀な成績をとれば親に現金を給付するという方策だってある。(実際にメキシコなどでは行われているらしい)こういった方策は子供と親を教育熱心にさせるとともに、貧困解消にも役立つだろう。もちろん、心理的抵抗感は強いけれども、本当に「少子化対策」が「喫緊」の国家の課題ならばこういう大胆な案も検討すべきじゃないか?
それから、もっと根本的にはなんでもいいから子供を増やせというのは少し違うような気がしないだろうか?イギリスでも貧困層の人たちが子供手当て目当てで子供をうんでかえって社会的コストを増大させているという批判がある。子供が増えてもまったく働かない怠け者ばかりだったら意味があるのだろうか?
すべての政策には予算という制約がある。そういうのを何も考えずに「少子化対策しろーー」、「金をばらまけー」と叫んだところで何の意味もない。効率性を達成できるベストなバランス点を探すということが重要だ。
ま、そのバランス点なんてのを政府が国民の合意を得てうまく発見できるとは思えないので僕自身は政府が何かをするということにはそもそも否定的だし、結局国民が自発的に子供を作ろうと思わなければいかに政府が政策で下支えし続けてもそれは持続可能なものではないとは思っているんだけど。
どっちにしても、上記のような議論をせずにとにかく「少子化対策しろ」といっているのは「生活が苦しいから金をくれ」と言っているのに等しい。昔から子育てってのは大変だったはずで、子育てしながらちょっとは優雅な生活がしたいなんてのはとんでもない勘違いじゃないかなあと思う。
もちろん、現実には厳しい状況の人も多いだろうし若年層が高齢者に比べて不利であるというからより子育て世代に支援していくべきというのはまた別の観点から語られるべきだろう。それにしたって財源がいるんだから、もっと高齢者の年金給付を削れとか消費税増税してもよしというとかバランスの取れた議論が必要だろう。
ヒステリックになにがなんでも「少子化対策を」と叫ぶ人々はもうちょっと冷静な議論をしないとだめだろう。
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