タイミングが悪すぎる永年勤続レター | 55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

一昔前なら定年を意識する年齢ですが、家族で夢をかなえるために2019年4月に渡米、現地のIT企業のソフトウェア開発部門のエンジニア・PM(プログラムマネージャー)として挑戦しています。

ところで、私は結局何年この会社で働けたのか、ということですが、

正確に言いますと、25年と2週間でした。

25年=四半世紀」という期間働き続けるのは、アメリカの会社ではかなり難しいことだと言われています。

理由は、雇用が労働組合などによって保護されていないからということと、特にこの会社の場合は毎年 設定以上の成果を出し続けていないと、Low performerという扱いになり結局クビになってしまうからですOMG

したがって、25年もこの厳しい状況下で働くことができたことには、実はとても満足しています。


ただ、タイミングが最悪でした_

というのは、「25周年勤続おめでとう!今後も頑張って!」という感じのことを書かれたレターが、一応CEO名義で送られてきたのですが、

そのレターが届いたのが、レイオフのアナウンスの3日後だったのです_


これがもしもレイオフのアナウンスの一日でも前だったら、たぶん週末にパーティーを開く計画など立てて大騒ぎをしたと思います。

新しい個人用PCをオーダーしてしまったかも知れませんlaugh

下手をすれば、Gibsonのアコースティックギターを注文してしまったかも知れませんlaughlaugh

そしておそらく「もういつレイオフになっても悔いはない」と思っていたものと思います。

・・まあもし「もういつレイオフになっても悔いはない」と思った直後にレイオフになったら きっと自分が呼び寄せたレイオフだと感じてしまって相当自分を責めたでしょうけれど_。。

とにかく、レイオフのアナウンスの後で おめでとうレターを受け取っても、辛いだけでしたOMG

もちろん、そのレターを発行しているチームと、レイオフをドライブしている人事のチームとの連携は当然とれていないと思われ、

こういう皮肉な現象が起きてしまうのも、まあ事故みたいなものだと思いますが_

ずっとずっと夢見てきた、この憧れの会社での25年勤続は、喜ぶ瞬間を与えてくれませんでした_


それでも、25年この会社で働いたことで得られた「宝物」は少なくありませんでした。

挙げていればきりがないのですが、

25年前の自分にはイメージすることもできなかったようなハイレベルなビジネスマネージメントの世界、超大規模ソフトウェア開発開発の世界で、

世界の天才集団みたいな人たちと、机を並べて一緒に成果を作ることができた

という「消えることのない貴重な経験」こそが、最大の宝物だったように思います。

・・田園広がる地方の田舎町の、裕福とは言いにくい小さな家庭で生まれ育った、大した取柄もなかった私にしてみれば、出来過ぎだった25年でしたから、

正直もう、明日人生が終わっても悔いはない

 

・・とは言える立場ではなくてlaugh

私の満足度の問題ではなく、何といってもうちの子がまだやっと高校生になるところですから、

彼をしっかり社会人として送り出すまでは、まだ終わるわけにはいきません。


しかしながら、アメリカでの就職活動が簡単なものではないことを今実体験として学んでいます_

まあいずれにしても、全力で就職活動を続ける以外の道はないので、血反吐を吐きながらでも頑張るしかないですね。