24年前のスタートライン | 55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

一昔前なら定年を意識する年齢ですが、家族で夢をかなえるために2019年4月に渡米、現地のIT企業のソフトウェア開発部門のエンジニア・PM(プログラムマネージャー)として挑戦しています。

昨日、渡米5周年の記事にて(関連記事達成感はあまり感じていないと記載したのですが、

もう一つ、ほぼ同時に あと少しで「この会社の日本法人に入ってから通算で24周年」になりますsmile

24年の方は5年と違ってさすがに長く、入社当時のことを振り返るとだいぶ遠くまできたと感じます。

24年前のことは鮮明に覚えていますが、

あの頃は、何といっても英語力ゼロ、ビジネスマネージメントのビの字も知らず、プロダクトマーケティングという仕事が何をする仕事なのかも知らず、そして(この会社の開発チームで求められるレベルの技術力ゼロでした_

・・今にして思えば、なぜあれで採用してもらえたのでしょうねlaugh

現在もまだまだとはいえ、それでも24年もやってこれたということは、入社当時に比べれば少しは成長できたのではないかと思われます。


ひとつよく覚えているのが、入社当時、先輩社員の皆さんが 朝米国本社の人たちとよく電話会議をしている声が聞こえてきたのですが、

英会話教室とかではなくて)現実に英語で仕事の話をする、という状況を実際に見たことがなかった当時の私には、それは雲の上の出来事でしたSurprise

私はひたすら「すごいなあ、英語で口論するとか あり得ないくらい凄い・・
などと思っていたものでした。

・・まあでも今は、毎日のように英語で口論したり交渉したりしていますから、まだまだ英語に関しては勉強中とはいえ、当時に比べれば遠くまで来たと言えると思います。


また当時は、開発者数十人~数百人が同じ製品の開発に参加するような、いわゆる大規模ソフトウェア開発について何も知らないで入社してしまったので_

それまでは、一人で好きなように作りこんで、バグのレポート・修正はすべて口約束のようなレベルでしか行わないような、素人レベルの開発工程しか経験していませんでした

正直、製品開発については何が何だかわからないような状態が入社後も長く続きました。

・・いや本当に、今にして思うとなぜ採用してもらえたのか、自分のことながら理解に苦しみます_

もし仮に今私が、採用面接の面接官として、24年前の私と同じような人を面接したとしたら、まあ一発で「No hire (不採用」にしたと思いますよlaugh


ただ、「石にかじりついてでも何とかするんだ」という強い情熱だけは24年間絶やすことなく持ち続けていたので、なんとかここまで来たのだと思います。

ということで、とりあえず スタート地点(24年前)を振り返ると はるか遠くに見えますが、



目標地点に向かって目を向けると、まだその目印さえも見えない、という状態です。


とにかく言えることは、「まだまだ」ということですね_