45年前から持っている、特別な一品 | 55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

一昔前なら定年を意識する年齢ですが、家族で夢をかなえるために2019年4月に渡米、現地のIT企業のソフトウェア開発部門のエンジニア・PM(プログラムマネージャー)として挑戦しています。

先日 しまい込んでいた段ボール箱を開けた時(関連記事)に出てきた、古いけれども特別な一品がこちらです。


これは、約45年前、静岡県代表として甲子園大会に出場し、そしてなんと全国優勝を成し遂げた浜松〇〇高校の、優勝投手のサインですSurprise

この優勝投手の弟が、なんと当時のクラスメイトだったため、直筆サインをもらうことができたのです。

私 実は、結構な「甲子園バカ」でしたlaugh

甲子園バカとは、甲子園大会に出場することが人生のすべて、みたいなマインドで生きている人という意味合いになると思いますが、

私にとって甲子園大会出場」という称号は、当時は、そうですね、何よりも価値のあること、例えば日本の首相になるより価値のあることだと考えていたと思います。

そういう意味で、私は甲子園バカでした爆  笑

ただあの頃は 自分が甲子園を目指して高校球児になるなど、絶対に不可能なことだと決めてかかっていましたし、

また当時は、世の中の風潮として、野球をはじめとするスポーツに本気で打ち込むということは、学業を諦めるということとセットであると考えられていたと思います。
※実際にはそんなことはなかった、というのが今の結論なのですが。

なので私は挑戦さえもしなかったのですが_

今にして思えば、小学生のころから本気で甲子園出場を人生の目標として あらゆる努力を惜しまないで挑戦していたら、

少なくとも高校球児にはなれたのではないか と思います。


では、(人生に「たら れば」はないけれど)もしも私が「目標 甲子園一筋」の高校球児になっていたら、今の仕事に就いてアメリカに住むことはなかったのか? 違う人生になっていたのか?とも思いますが、

多分結局のところ、高校球児になろうがどうしようが、同じこと、最終的にはここに行きついていたのではないかと思います。

 

本気で甲子園を目指す高校球児になっていたら、勉強が厳かになって今の道にはたどり着かなかったのでは?」と思われるかもしれませんが、多分あまり関係ないと思います。

 

例えば私は高校時代本来英語力が最も伸びる時期はほとんど英語の勉強をしないで過ごしてしまったのですが笑い泣き、結局そんなことは関係なく アメリカで英語だけで仕事をしているわけですから、

 

甲子園を目指そうが、ちょっとくらい学業が手薄になる期間があろうが、関係ないでしょうね。

 

そういえば、元全日本代表サッカー選手の中田英寿選手は、もちろん高校時代から サッカーで全国大会に出場してJリーグ 11クラブからプロのオファーが来るような優秀なサッカー選手だったにもかかわらず、現役で東大に合格できるレベルの学力を持っていたそうですしね。

 

 

・・まあ、高校球児にはなれなかった人生ではありますが笑い泣き、それでも私は、今も甲子園を本気で目指して日々練習を重ねている球児たちに負けない強い意志で、今の仕事に取り組んでおりますニコニコ