うちの子が日本語補習校小学部を卒業する | 55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

一昔前なら定年を意識する年齢ですが、家族で夢をかなえるために2019年4月に渡米、現地のIT企業のソフトウェア開発部門のエンジニア・PM(プログラムマネージャー)として挑戦しています。

今日は、うちの子の日本語補習校での卒業式でした。

半年前に行われた アメリカ現地校の小学校の卒業式(その時の記事)は、

どちらかというと楽しい、盛り上がりのあるような式典であり、

親が正装していく必要など全くありませんでしたが、

本日の日本語補習校のそれはとても日本らしい、私たち親としては昔を思い出す 卒業式でした。
私はアメリカに来て初めて、スーツを着ました_


袴姿の女の子も結構いました。きっと日本に帰国したときに買ってきたのでしょうねsmile


男の子も、ほとんどがスーツ姿や、中には着物姿の子(中学部卒業生)もいました。


プログラムも、典型的な日本の卒業式のものでした。


ただ、若干違っていたのは、

日本の国歌である「君が代」に加えて、アメリカの国歌「星条旗」の清聴があったこと、

小学部・中学部・高等部の合同であったため、基本的に3倍近くのボリュームがあったこと(答辞などは当然3回になります

でした。びっくり

また、小学部の卒業生は3クラス分で40名以上いましたが、中学部は1クラスとなり30名弱となり、

そして高等部は全員でも9名と、ちょっと寂しい感じでした。

これは、アメリカの現地校と日本語補習校というダブルスクールをこなすことが いかに難しいかをよく表していると思います。ガーン

アメリカの現地校は、上に行けば行くほど どんどん難しく厳しくなっていくため(もちろん日本もそうだと思いますが、アメリカにおける学校の難易度の上がり方と比較すると、まだ緩やかな印象があります)、高校でダブルスクールをこなすのは相当厳しいことが 容易に想像できます。

高等部9名の卒業生の中には、幼稚園部からずっと通い続けていた人も何人かおり、

それがどれほど大変なことだったのか、

想像するのは難しいです。Surprise

というのも、アメリカに幼児の頃から住んでいると、ほぼ100%の確率で、英語が基本言語として定着してしまい、

親子の会話も 親が日本語で話しかけても 子供は英語で返す、という状況になるのが普通だということで_

日本語で高校レベルの教育を受けるのに耐えうる日本語力を維持するのは 並大抵のことではない、と言われているからです。


さて、卒業式を終えたうちの子の感想

あまり卒業したという感じがしない

ということでした。Surprise

理由は単純で、彼は中学部への進学を決めており、

また4月から同じ校舎へ通うからです。

・・卒業というより、進級に近い印象で、今日は「修了式」のような印象だったようです。

まあ、当然そう思うでしょうね。_


それでも私は、今日のこの日が、彼にとっての大きな節目になることを期待しています。

いままでは、アメリカ現地校ではすでに中学生になっているとはいえ

日本語補習校では小学6年生だったこと、

日本に住む日本の友人(同級生)たちはまだ小学生だったということもあり、

半分小学生気分が抜けきっていなかったように思っていましたし、

正直そういう気持ちが残るのは無理もないことだと思っておりました。

しかしこれからは、紛れもなく中学生ですから、

彼の中の深いところにあった「まだ半分小学生」という甘えをなくしていく段階に入ったと考えています。


そう言えば 私自身も、本気で勉強するようになったり、人生の目標みたいなものを本気で考え始めたのは中学生になってからでした。

もっともそれは、崇高な考えがあったからではもちろんなく_

ただ「中学生になると みんな物凄く勉強するし、いままでのようなやり方ではついていけなくなる」という話をよく聞かされておりSurprise

ついていけなくなるのが怖かったから、生き方を変えた、というのが本音でした_

ただ、そうすることで人生ががらりと変わった。。という体験をすることができたものでした。

うちの子は、男の子ということもあり、私が少年だったころに似ているところが少なからずあります可哀想に。。laugh

あわよくば、うちの子が、別に勉強でなくてもいいのですが、何かに本気で打ち込み 努力を積み重ねることが、人生を好転させるきっかけになる、ということを体験する、

そんな中学時代を過ごしてほしいと、願っております。