コンピューターミュージアムに行ってみる | 55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

一昔前なら定年を意識する年齢ですが、家族で夢をかなえるために2019年4月に渡米、現地のIT企業のソフトウェア開発部門のエンジニア・PM(プログラムマネージャー)として挑戦しています。

アメリカでも日本でも同様だと思いますが、通常「博物館」「Museum」と名の付く場所は見るだけ、ということが多いと思います。
つまり、 展示されているものこそ貴重なものばかりではあるものの、実際に触ることはできなかったり、ましてやそれを自分で操作することなどはまずできないのが普通だと思います。

ところが、今日行った「コンピューターミュージアム」は違っていました。

なんと、30年以上前のPCや汎用機やミニコンが本当に動いていて、そしてそれを我々のような一般客が操作できるのです。

まさか、30年以上の時を経て、私が高校生だったころには高嶺の花もいいところだった「アップル2」を、この歳にして実際に操作することができるとは夢にも思いませんでした。


(上の写真は、展示されていたアップル2で、中学生のころ覚えたBASICのデモをしてみたところです)

なお、アップル2というPCは商品化されて日本でもPCマニア向けにかなりのセールスを記録した有名なマシンでしたが、初代「アップル1」がどういうものだったのか、私も高校生の頃は知りませんでした。

実は「アップル1」は商品化されることなく、また以下のように本体カバーさえもないまま開発が終了したことはかなり年月が経ってから知りました。

そして今日、その幻のアップル1を、自らの手で操作することができたのでした。




なお、私はアップルよりもむしろ、Windows PCの元となった MS-DOSマシンに興味がありました。

日本では MS-DOSといえばNECのPC-9801シリーズがその対応PCとして大きなシェアを誇っていましたが、アメリカではIBM-PCという、同じインテル系のCPUを搭載したPCが大きなシェアを誇っていた・・

・・という話は知っていましたが、本当のIBM-PCを操作したのは今日が初めてでした。

以下のマシンはIBM-PCの互換機ですが、MS-DOSが動いていました。
そしてその横に5インチのフロッピーディスクがいくつかあり、その中に「マルチプラン1.2」と書かれたディスクがありました。

マルチプランというのは、Excelの前身のような表計算ソフトであり、WindowsではなくMS-DOSで動作するマイクロソフト社のソフトでした。
当時はたぶんロータス123の方がシェアが高かったと思いますが、私はマルチプランが好きでした。
そして今日、このマルチプランが張っているというディスクを入れて、カレントドライブをBドライブにうつして、「MP」とタイプしてエンターキーを押したら、見事にマルチプランが起動しました!


ただ、今使うとこんなに使いにくい表計算ソフトだったことに驚きました。。

ところでフロッピーディスクは、ハードディスクと違って磁気の円盤に直接ディスクドライブのヘッドが当たるため、いつかはディスクが摩耗して使用できなくなってしまうはずなのですが、ここにあったディスクは現役でした。

もちろん、コピーすれば済むことではありますが、今では5インチフロッピーディスク自体生産されていないはずなので、今5インチFDを使って操作ができること自体、奇跡的なことのように思います。


さて、以下はWindows 3.0が動作しているマシンです。



WindowsというOSが、PC用OSのひとつの選択肢として認められるようになったのはこの3.0くらいからだったと思います。

Windows 2.1までは、しいて言うならExcel起動専用プラットフォームもどき、という印象で、それがWindows 95のような 世界を変えるOSに発展していくなどとは夢にも思いませんでした。

ちなみにWindows 3.0が出ていたころ、私はすでにWindowsを仕事で使用していました。
といっても、それはWindowsアプリに魅力を感じたからではなく、MS-DOSプロンプトを複数起動することができたからでした。
つまり、MS-DOSの延長として使用していたのでした。。


ところで以下のマシンは、私としては決して忘れることのできないPCです。




シンクレアという会社から出ていたZX-81というPCで、日本でも発売されており、当時は3万9800円という値段で売られていました。

PCといえば入門機であっても8万9800円からだった当時のPC相場にあって、3万円台で買えるPC(ちなみにまだ消費税は日本では導入されていませんでした)はこれだけでした。

中学生のお年玉貯金でも買える限界ギリギリの値段・・ということで、当時の私はこのZX-81を買おう!と心に決めていたものでした。

なお、RAMが1KBしかないため(1GBでも、1MBでもありません。1024バイトです)、20行くらいのプログラムを入力するとメモリオーバーフローになってしまうという、恐ろしいマシンです。

ただ今日は、こちらは使用できる状態にセットアップされていませんでした。


なお、このミュージアムにあるのはPCばかりではなく、大型汎用機やワークステーションもありました。

私が高校生だったころ、プログラミングの実習でプログラミングを行う際は、以下のようなカードパンチャーでプログラムを紙カードにパンチして、それを汎用機に読み込ませて実行させ、結果はプリンターにプリントアウトされる形でのみわかるという形式でした。




カード一枚に一行しか入力できないので、もしもプログラムが100行あったらカード100枚となり、しかもその並び順が狂えばその狂った順番に読み込まれるため カードを落としてばらばらにしてしまったら最後・・という世界でした。

さらにカードにパンチしてしまった穴は元には戻せないので、一文字でもタイプミスしたらそのカードは破棄せざるを得ませんでした。

したがってプログラムは紙の上に「清書」して、その通りに一字一句間違えることなくタイプする必要がありました。。

ちなみにそのカードパンチ式のマシンを我々の高校で使っていたのは私たちの代が最後だったそうで、翌年からはPC端末にオンラインで接続された、当時は最新鋭の汎用機に置き換えられ、カードパンチなどという方式はすぐに過去のものとなったのでした。。


さてもう一つ、ぜひとも記事に残したい展示物がこちらです。



当時の8ビットPCの代表的なCPUである、ザイログ社のZ80 というCPUです。

ちょっと大げさに聞こえてしまうかもしれませんが、これこそ私の人生を変えたCPUだと思います。

高校時代にこのZ80のアセンブラ言語をマスターしたことが、今でも私の技術力の支えになっているからです。

いまだに、部分的ではありますがZ80アセンブラのマシンコードも覚えています。 LD A,XX は3E XXでしたし、RETはC9 でした。

最後にミュージアムで出口付近にあった売店で、ラズパイ ZERO Wが販売されているのを発見。
日本では2000円くらいで売られていたと思いますが、ここでも19.9ドル(約2千円)でケース付きということで悪くない値段、そしてそもそもラズパイのようなマニアックなPC(?)がアメリカで店頭販売されていたことに感動してしまい、つい購入してしまいました。

発光ダイオードやスイッチ類などの電子工作の材料も販売されており、まるで秋葉原・・ほどではありませんが、アメリカでも電子パーツを目で見て購入できるというだけで安心しました(笑)



アメリカのミュージアム、なかなか侮れないと思いました。