日本の小学校を離れるということ | 55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

一昔前なら定年を意識する年齢ですが、家族で夢をかなえるために2019年4月に渡米、現地のIT企業のソフトウェア開発部門のエンジニア・PM(プログラムマネージャー)として挑戦しています。

うちの子が、日本の小学校を離れてアメリカの小学校に転校する - そのことがどれほど大きいことだったのか、以下の手紙を含むクラス全員からの一通一通の手紙と、保育園時代からの友達からの寄せ書きを見て改めて思い知らされました。



離れていてもずっと友達だよ」「絶対に〇〇小学校のことを忘れないでね。私も忘れない」「いつかきっとまた会おうね」「もっと一緒に遊べばよかった
・・そんな言葉が、後から後から、何十人ものクラスメイトたちから寄せられていました。

私はもちろんお別れ会や最終登校日に一緒にいることはできませんでしたが、この大量の手紙を見ただけで、うちの子がこれまでにどれほど濃密な小学校生活を送り、そして今回どれほどつらい別れをしてきたのか、伝わってきました。

もしも私自身が小学校3年生の時に、いきなり海外へ引っ越すからいままでの小学校の友達と別れる、ということになっていたら、果たしてその悲しみに耐えられただろうかと考えてしまいます。
・・少なくとも、人生観が変わるほどの大きな影響を受けていたと思います。
当然うちの子も、これまでの人生観が変わる体験を、今してくれているはずです。

その人生観の変化が、いい方向への変化になるようにマネージするのは親の大事な役割だと思います。
「変化」を「成長する機会」として前向きにとらえて、新しいことに対して諦めずにコツコツと取り組むことができる大人になってくれるように、サポートしていきたいところです。


また、今回のことはうちの子のみならず、日本のクラスメイト全員にとっても大きなことだったということも良くわかりました。

友達と別れる」ということがどういうことなのか、おそらくクラスメイト達は実体験として学習してくれたはずです。

友達が周囲にいるのが当たり前」という感覚から、「友達と一緒にいられる時間は実はかけがえのない大切なもの」という気づきへと転換してくれたなら、うちの子はクラスメイト達に小さくない影響を与えてきてくれた、ということになると思います。
もしそうだったならば有難いことです。

うちの子にはぜひ、彼自身が勇気を持って新しい道へと踏み出したことによって、沢山の友達の人生に わずかでも違いを作ったのだということを、いつか理解してほしいですね。