家族がアメリカに来る日を7月に設定していた理由は、うちの子の小学校の編入のタイミングを合わせるためでした。
アメリカでは年度が6月締めなので、学校はいったん6月末で終業式を迎え、卒業生は卒業式を迎え、6月末から8月末までの長い夏休み(日本でいう春休みが夏休みと合体している感覚です)に入ります。
うちの子には少しでも慣れた形で新しい学校での新しい冒険を始められるよう、こちらに来ていきなり学校で授業、ということではなく、しばらくアメリカでの生活に慣れることに専念してもらい、そして満を持して学校に編入するという形をとってほしかったからでした。
また、私が全く新しい仕事にチャレンジするにあたって、週末も含めていつでも仕事に没頭できる環境にいることができたのは、早く仕事になじむ上では有効でした。
しかし、そんな一人暮らしの3か月もいよいよ終わりを迎えることとなりました。
ここからが本当の、うちの家族の新しい出発点です。
・・しかし、大きな不安がありました。
何といっても、うちの子がアメリカに住むことを受け付けられない可能性があることが不安でした。
もう8歳ですから、それなりのアイデンティティもありますし、彼が生まれ育った町や友達に思い入れもあり、そこらをいきなり遠ざけてしまうわけですから、「もう日本に帰りたいよー」といって泣き続けたりすることが不安でした。
また、うちの奥さんも、もしも子供の心配がなければ希望と喜びに満ち溢れて渡米してくれたかも知れませんが、子供のことなどが不安でしょうがない、という感じになってしまう可能性がありました。
それでもやはり、うちの子にとっても、うちの奥さんにとっても、この渡米は気持ちの持ち方次第で 普通ではまず得られない素晴らしいものにもなり得ると思っていました。
特にうちの子には、渡米してきた日のことを大事な日として、彼の新しい冒険の始まりの日として、胸に刻んでほしいと思っていました。
だから、空港で二人に会えたら、必ず以下のことをうちの子に言ってあげたいとずっと思っていました。
「ここから先はまったく新しい世界だから、きっと大変なこともあるし、辛くなることもあると思う。けれども、諦めるな。諦めないで、少しずつでもがんばっていれば、必ずできなかったこともできるようになるし、夢はいつかきっと叶うから、とにかく諦めないで、がんばっていこうな!お父さんもお母さんも、いつも〇〇を応援しているから」
・・ここにこうしてあらためて書くと歯の浮くような話ですが(笑)、私は真剣でした。
そして当日、デルタ航空で成田からフライトしてきた二人と、予定通り、ほぼ予想していた通りの時間に空港の待ち合わせ場所で会うことができました。
再会を喜んでくれているうちの子に、上記の話をしっかりしました。
どこまで私の話を受け入れてくれたかはわかりませんが、しっかり聞いてくれていました。
そして、驚いたことに、彼はあらゆることに対して前向きでした。
週末の二日間、買い物等色々なところに行き、時々彼の知らない人から英語で話しかけられたりもして、以前はお母さんの後ろに隠れて小さくなったりしていたところが、少なくとも逃げはしませんでした。
そして「たった二日しかたってないのに、もうアメリカに慣れちゃった!」と言っていました。
・・もちろん、本当に大変なのは学校が始まってからなのですが、少なくとも「すぐに日本に戻りたい」といて泣き出すような状況では全くありませんでした。
もう一つの驚きは、うちの奥さんでした。
彼女がここにくるまでにどれほど大変だったかは想像に安く、そして飛行機では全く寝られないという彼女がこちらに着いたときに疲れ切っているのは明白でした。
着いたらとにかく寝たい、と言い出すだろうと思っていました。
しかし彼女は積極的に外出し、あらゆることが嬉しそうでした。
まるで第二の故郷に帰ってきたというような清々しい表情で、あらゆることに前向きでした。
ああいう感じの彼女を見たのは久しぶりでした。
そして、二人が来てくれて、家の中が一気に変わりました。
それは単に必要なものを週末の間に買い込んで配置したからというだけではないと思います。
単純な言い方で恐縮ですが、「家の中が明るく暖かくなった」と思います。
今までは、家の中の古くて汚れているような部分とかがすごく気になっていたのですが、そういう部分もあまり気にならなくなりました。
何といっても、二人がこの家に対して文句ひとつ言わないで、ここから始まる新しい人生に希望を膨らませてくれている様子がうかがえるのが本当に有り難いです。
当然、本当に大変なのはまだまだこれからだと思いますが、とりあえず最初のステップに関しては何とかなったように思います。