出発前の素直な心境 | 55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

一昔前なら定年を意識する年齢ですが、家族で夢をかなえるために2019年4月に渡米、現地のIT企業のソフトウェア開発部門のエンジニア・PM(プログラムマネージャー)として挑戦しています。

アメリカへの出発が、いよいよ目前に迫ってきました。

正直に書きます。
怖いです。

何と言っても、もう引き返す道がないというのが怖いです。
既に日本の会社には退職届を出しています。
「しばらく新しい仕事をやってみたけれど上手くいかなかったので戻る」という選択肢は存在しません

また、新しい仕事がうまくいかなくてそのチームを辞める、もしくは辞めさせられるということになった場合、就労ビザを失いますのですぐに日本に帰国しなければなりません。
そうなった場合、今の年齢で日本で再就職先を探すのは極めて困難です。
そう、下を見れば奈落の底まで一気につながっている崖を、命綱なしで登ろうとしている気分です。


思えば、10数年前の渡米のときとは全く状況が違います
あの時は、国が異なるとはいえいわゆる兄弟チームへの異動でしたので、仕事も分かっていました。
既に何度も直接出張でそのチームの人達に会っていましたし、さらに、3か月間の長期出張にてそのチームでの物理的な仕事を実際に行わせていただき、すでに「自分にもできる」ということを証明できていました。
なので、あの時は異動に関して、少なくとも何もできないまま戦力外通告を受けて強制帰国、という可能性は少ない状況でした。

しかし今回は、新しいことだらけです。
チームのカラーも、入ってみないことにはわかりませんし、仕事のリズム、業務、そして求められる技術力も、実際にやってみなければわからないと思います。


また、アメリカに行くこと自体、久しぶりです。
おそらく2013年のグローバルサミット参加以来、アメリカには行っていないと思います。
したがって、6年ぶりということになります。


さらに、今回は大事な家族の人生を、まさに背負っていきます。
いつも頑張ってくれているうちの奥さんの夢を、簡単に終わらせるわけにはいきません。

そしてうちの子には、普通の、99.99%以上の日本の子供達が歩む人生日本で生まれて日本で育つ人生)とは違った特別な人生を歩むことを、彼が熱望したわけではないのに受け入れてもらっています。
彼の将来の夢を本気で実現させるために、長期の米国滞在を経験させてあげる必要があると思っています。

したがって、数年であっさりと引き上げるわけにはいきません。


今、気持ちを練り上げています。
もっとも、無理に練り上げなくても、自分の中のすべての細胞、すべての意識が新しい挑戦のために全力を尽くす状態になっているのを感じます。

・・思えば、こんなにも「頑張りたい」という気持ちを強く持ったことは、過去にはなかったように思います。
もちろん、いわゆる「入れ込みすぎ」にならないように、静かに、しかし内面は熱く、取り組んでいきたいと思います。