イチロー選手の会見には、学ぶところが多々ありました | 55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

一昔前なら定年を意識する年齢ですが、家族で夢をかなえるために2019年4月に渡米、現地のIT企業のソフトウェア開発部門のエンジニア・PM(プログラムマネージャー)として挑戦しています。

まさか3月21日東京ドームでの試合が、イチロー選手の現役最後の試合になるとは試合開始時には思っていませんでした。

もちろんイチロー選手と私とでは次元が違いますが、それでも、やはり同じ日本人でアメリカの舞台に挑戦し、そして球史に残る仕事を成し遂げてきたイチロー選手の活躍は、少なからず心の支えになってきました。

なので、昨日の引退発表は私にとっても大きな出来事であり、考えさせられました。


昨夜のイチロー選手の会見は、考えてみれば私にとってはおそらく初めて、LIVEで彼の話をじっくり聞いた機会でした。
紙面などではよく、いわゆる「イチロー節」を沢山読んできましたが、LIVEのインタビューを聞き込んだのは初めてだったと思います。

その会見で最も思ったことは、「イチロー選手は、全く裏表がなく、どんな時でもどんな状況であっても常に、自分自身のあるがままをすべて出してくる人なのだな」ということでした。

多くの選手たちは、一流選手たちも含めて、やはりインタビューや会見では言葉を選んで ある程度体裁を取りながら話していると思います。

イチロー選手の会見の前にインタビューに応じていた菊池選手も、もちろん嘘偽りない気持ちを答えてくれているということはよくわかりましたが、それでもやはり、言い方だったりとか、使う言葉はいったん彼の中で吟味して修正してから口にしているように見えました。

しかしイチロー選手は、そのままを出していますよね。
おそらく、彼の頭の中にあることと、ほぼ同じ内容の言葉が、そのまま出ていると思います。
無論、これは言うべきではない、みたいなことも彼の頭の中を巡っているのだと思いますが、そういうことでさえも「そのことはここで言うべきじゃないよね?裏で言う?」などといってきっちり言及していたと思います。

そんな、表裏のない、すべてを出して答えてくれた内容だからこそ、彼の話には説得力がありますし、そして、その表裏なく全力で取り組む姿勢はそのまま日々の練習や、プレースタイルに繋がっていたのではないかと思います。


さて、彼の昨日の話の中で、個人的に最も納得したのは、日本人に対する彼の印象の部分でした。
日本人は表現をするのが苦手だとおもっていた。実際、アメリカでプレーしていて日本人のファンの熱量を強く感じることは少なかった。しかし、今日、その概念は完全に覆った。日本人が自身の内側にもっている熱い思いというのは非常に大きく、それを表に出した時の迫力や熱量は半端ではないことが分かった

・・というような内容を、多分文脈は違うと思いますが、言っていたと思います。

そう、そうなんですよね。
それが日本人なのだと思います。僭越ながら私も同じようなことを感じてきました。

例えばこの3月まで一緒に仕事をしてきた日本人の同僚の方は、英語力はネイティブに負けないくらい高いのに、英語のミーティングやディスカッションでは通常はそれほど「私が、私が」という感じの発言はされていませんでした。
周囲からは最初は「彼女は自分の意見がないのではないか」と思われていたかも知れませんが、肝心要のところではしっかり発言し、建設的な話をされて、いつしか全体から一目置かれるようになられたと思います。


また、イチロー選手の会見の中でもう一つ、アメリカ人のファンのことにも触れていたと思います。
アメリカ人はとても手厳しく、最初のキャンプに入ったときにはしょっちゅう『日本に帰れ!』と言われた。しかし、結果を残した後は、つまり言葉ではなくて行動で示した後は、すごく近くなるという印象だった。

・・これも納得です。
思えば私が初めてアメリカに出張で行ったときなど、まるで相手にしてくれませんでした。
「こちらはゲストなのだから、色々気を使ってくれて、Welcome partyなんかも当然やってくれて、こちらは言われるままにやっていればいい」という、今にして思えば考えられない甘い考え方で出張に臨んだのですが、一言でいえば放置状態でした。
しかしながら、これまでなかったプロセスを組み込むことに成功すると、突然周囲の態度が変わるという現象が発生し、イチロー選手と同様「手のひら返し」を実感したものでした。


最後にもう一つ、身につまされたイチロー選手の言葉として
プロ野球でそれなりに苦しんだ人間でないと、草野球を楽しむことはできない」というものがありました。

この言葉の意味するところは、好きなことに対してプロとして取り組むことの厳しさにあると思います。

つまり、野球が好きで、大好きで、子供のころから将来の夢はプロ野球選手で、そしてそれは実現したけれども、実はプロの世界で結果を出しながら「プロフェッショナル」として責任を果たしていくことは ただ野球が好きというだけでは続かないことであり、それでも苦労して苦労して 結果を出し続けて、もうこれ以上は自分からは出てこないというところまでやり切ったときに、原点だった「野球が好きだから、ただ野球をプレイすることが楽しい=草野球が楽しい」という気持ちを味わうことができる、ということだと思われます。

私も、ソフトウェア開発が好きで好きで、その世界でプロになることを目指してやってきて、老後は草プログラマ?つまり何の役にも立たないけれど昔から作ってみたかったプログラムをのんびり作って楽しみたいと思っているわけですが、その老後のプログラミングを本当に楽しいと実感するには、今、プロのエンジニアとして努力して、苦労して、やり切ってはじめてできることなのだと思っています。

イチロー選手には遠く及びませんが、それこそ目標は他人と比較して上に行くことではなく、自分自身の今現在の限界を越えられるように積み重ねていくことですので、いつの日か、昨日のイチロー選手のように、胸を張って自分のやってきたことを言えるようになりたいですね。