教師からIT企業のエンジニアへ転職という、あまり周囲で聞いたことのない転職をしてからの約4年間、それは私にとっては憧れの舞台に立ったのと同等の日々でした。
※今から約20年ほど前の話です。
とにかく毎日、明けても暮れても、大好きな製品の次期リリースのことばかり考えていられることが幸せでした。
もちろん実際には、特に英語には苦労しました。
最初の数か月は、電話会議はおろかメールのやり取りでさえも、正直何を話しているのかほとんど分かっていないような感じでした。
なので当時は、気が狂ったかのように英語の勉強をしました。
日本のTVを見たり、日本の雑誌を読んだりすることさえも 極力避けて、わかりもしないのにCNNのニュースを聞き続けたり、洋書ばかり読んだりしていました。
英語力が低いせいで、チームの皆さんに迷惑をかけたこともありました。
それでも、とにかく英語の世界から逃げないで、寝ても覚めても平日も休日も、英語学習漬けの日々を送り続けました。
そして、実際の業務の方ですが、素晴らしい製品の開発プロセスにかかわることができている喜びを感じる一方で、その先の遠い遠いところにある「夢」が見え隠れしはじめていました。
その夢とは、アメリカ本社で、実際にソフトウェア製品を「作る」仕事をすることでした。
というのは、当時日本で行われていた業務は基本的にはテスティング、ローカリゼーション、リリースマネージメントといった部分であり、本当にそのソフトウェア本体を作るつまりコーディングやデバッグ、ビルドといった部分はアメリカ本社で行われていました。
※私が入社するよりもさらに数年前までは、そういったコーディングなどの開発業務も日本でやっていたそうですが、当時はすでにアメリカに移管されていました。
正直なところ、入社して1,2年目の頃の私には、そんなアメリカ本社で働くなどということを夢見る資格さえもないほど英語力は低かったですし、本社側から見て私のような人間を採用する意味は客観的に見ても感じられませんでした。
ただそれでも、あきらめませんでした。
本社側で行われているプロセスの中でボトルネックになっている部分を明確にし、それらをちょっとしたツールを作ることで自動化して解消できないか考えました。
試作品的なツールをいくつか作り、上司をはじめ本社側の皆様にも見ていただきました。
幸い、当時の上司や、上司の上司、また本社側のカウンターパートのマネージャーの皆さんも、そういったチャレンジには好意的でかつ協力的でした。
当時、本社側の人手が足りないという問題があったこともあって、私は3か月間本社に出張してそのチームの中でアシストをしながら上記のツールを本格的に作り込むことを指示されました。
・・今からさかのぼること15年くらい前の話です。
その3か月間は本当に嬉しくて、出張前に言われていたこと以上の結果を残すことができました。
そしてそのわずか数か月後、本社側のそのお世話になったチームで空きができて、募集が開始されました。
そして私はそのポジションに対して、応募させていただいたのでした。
生まれて初めての、海外の会社へのApplyでした。
そして行われた電話経由での複数回の面接試験は、大変でした。
信じられないほどたくさんの回数、電話面接は行われました。
しかもそれらの電話面接は、日本時間の朝4時とか5時とか、そういう時間に行われました。本社の日中に合わせるためです。
今のようにネット電話が普及していない時代でしたので、普通に電話で国際電話をかけて行いました。
・・正直に言えば、その面接自体が辛くて、途中でもう辞退したくなりました(笑)
そして結果ですが、おそらくは先の3か月出張での実績が無かったら採用してはいただけなかっただろうと思いますが、幸い運も味方して 採用していただくことができました。
そう、上記のような経緯から、私は15年くらい前に一度アメリカ本社で働かせていただきました。
その後は・・(4)で書きたいと思います