これまでの経緯(2) 教師から外資系IT企業への転身 | 55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

一昔前なら定年を意識する年齢ですが、家族で夢をかなえるために2019年4月に渡米、現地のIT企業のソフトウェア開発部門のエンジニア・PM(プログラムマネージャー)として挑戦しています。

20代の頃の私は、「自分は生涯いち教師」と思っていました。

プログラミングというものがこんなにも楽しいものであるということを、多くの人達に伝えたかったからでした。

幸いにして、コンピュータ系の専門学校の教師としての人生は、悪い状況ではありませんでした。
というのは、ちょうど時代はFORTRANやCOBOL言語を使った大型汎用機の時代から、C言語やスクリプト言語を使ったPC・ワークステーションの時代へと変遷している時期であり、C言語を得意としていた私は新しい機会を多数いただき、沢山の学生さんに講義を聞いてもらい実習を体験してもらって、充実した教師生活を送っていました。

ただ、どうしてもぬぐい切れないコンプレックスがありました。

それは、「プログラマを本職にしたことが無い」ということでした。

もちろん実際には、教師をやりつつその学校のシステムプログラムを作ったり、ネットワーク管理者をしながらCGIで各種のWebツールを作ったりと、色々とやっていました。
しかし、やはりそれらはあくまで本職としてやっていたわけではなく、授業の合間や夜中にやっていたことでした。

実際に教壇に立って、時には150人以上の学生さんが聴講しているC言語プログラミングの講義の中で、自身がIT企業で働いた実体験をもとにした話ができない、ということがいつも引っかかっていました。


そしてそんなコンプレックスを抱えながらも、さらに時代は変わりました。

いわゆる「就職難」の時代になってしまいました。
一時期は企業側が「どうぞ貴校の学生さんをうちの会社で雇わせてください」とおっしゃって菓子折りを置いていかれる、という時代もありましたが、すでに事情はまったく逆転していました。
我々教師が、実績のある企業様に菓子折りをもって訪問し、「ぜひうちの学校に求人を出してください」と頭を下げて回ることを余儀なくされました。

企業様を訪問して頭を下げることは当時当然のことでしたし、我々がやるべきことであるという自覚ももちろんありました。

ただ、学生さんたちに対して就職活動の指導をするにあたって、自分自身がそういう就職活動の苦労をしていない(バブル時代に労せずして就職を決めてしまった)ため、本当に学生さんの立場に立った指導やアドバイスができていないのではないか、と思ったのです。

せめて自分自身で、一度くらいは今の時代の就職活動を体験して、どれほど風当たりが厳しいのか肌で体験して初めて、本当の就職指導ができるのではないか、と考えるに至りました。

そして、どうせ受けるならば自身が一番入りたい企業、そして当然ソフトウェア開発エンジニアのポジションに挑戦しようと思いました。
そういう夢の企業に応募することで何が起きるのか、どれほど冷たい対応をされるのか、相手にもしてもらえないのか、面接を受けさせてもらえるのか、受けさせてもらえるならばどんな面接なのか・・結果はどうであれすべてが勉強になると思いました。

もちろん、確率は相当低いとはいえ万が一受かったなら受かったで、IT企業で働いたことが無かったという問題も解消しますし、それはそれで人生の転機になるとも思っていました。

そう、それで応募したのが今現在働いている会社だったのです。


・・そして臨んだ面接試験は、簡単ではありませんでした。

私のようにボランティアベースでシステム開発をしてきたレベルとは、まるで比較にならない次元で開発をしているということが質問の節々からわかりました。

例えばバグ管理。
そのバグトラッキングのプロセスは極めて大規模でかつ厳格でした。
ひとりで作ったシステムを、口頭ベースでうけた問題報告をもとに気まぐれにアップデートするという世界観とは雲梯の差でした。

そしてもう一つの問題は、一部質問が英語で行われた、ということでした。
外資系企業であり、業務も極めて国際的な内容でしたら、とうぜんです。
実は私はその面接を受ける3年前くらいまでは、なんと一度も海外へ行ったことはなく、しかも高校時代に英語をサボってしまったため、英語力は人並み以下でした。
※ただ、その面接に関係なく、今後の人生英語力ゼロではいけないと以前から思っていたので、約3年間 毎週カナダ人講師の英会話スクールに通い続けていました


おそらく、上記の面接試験を今の時代に受けていたならば、まず受からなかったと思います。
客観的に見て、ひどい回答でした。
私が面接官なら、おそらくOKを出さなかったでしょう(笑)

しかしおそらくは、ポテンシャル採用という意味合いで採用してくださったのでしょう、幸いにして採用していただくことができて、最初の「予定外の人生の大きな転機」を迎えたのでした。

※「予定外」という意味は、私の場合おそらくそのまま専門学校でプログラミングの教師を続けていれば、それはそれで今なお(担当教科は変わっていたと思いますが)続けられていたと思うのですが、それを覆して未知の冒険に出た、という意味です。

・・それから約4年後、再び大きな転機を迎えることになりました。