今にして思えば、私の人生は最初からソフトウェア エンジニアとしての挑戦し続ける人生だったような気がします。
・・まだ保育園に通っていた頃
「大きくなったら何になりたいですか?」という先生や両親の質問には
「キカイをセッケイする人になりたい」と答えていました。
もちろん当時はソフトウェアエンジニアという業種は存在していませんでしたが、その「キカイをセッケイする人」というのは、後のソフトウェア開発の仕事に通じるものがあったのだと思います。
本格的にプログラミングを始めたのは、中学2年生の時でした。
近くのホームセンターに展示されていたPC6001に魅せられました。
プログラムを自分で作成、入力すれば、ゲームでもビジネスツールでも、何にでもなれるという可能性の大きさに魅せられたのでした。
お年玉を貯めて、最後に数万円親の援助を頂いて、ついに購入したのが、SHARP製のエントリーモデルの8ビットPC、MZ700でした。
8万9800円でした。
思えば、このMZ700というPCを選択したことが、大きな分岐点になりました。
というのは、このPC、グラフィック機能が無かったためあまりゲームを楽しむことができませんでした。一方で8ビットCPUの限界である64Kバイトがオールフリーで、しかもROMベーシックが入っていないマシンだったため、システムプログラミングを学ぶには非常に向いているマシンでした。
さらに追い風になったのが、当時愛読していたOh!MZという雑誌で、アセンブラ言語の入力ツールが公開され、そしてアセンブラ言語の入門記事が連載開始されたことでした。
高校を選択するにあたって、自分は工業高校の情報技術科という学科を選択しました。
理由は、当時親から「うちではお前を大学に行かせられる余裕はないから、そのつもりで。」と言われていたため、高卒で働くことを前提に進路を選択したのですが、それでもコンピュータプログラミングに関係する仕事につきたかったからです。
なお、現実には奨学金を借りるなり、バイトをしながら学校に行くなどの対応をすれば、大学に行って工学部で学ぶこともできたと思いますが、中学3年生だった当時は親の言うことは絶対でしたし、田園が広がる田舎の真ん中の家に住み着いてほとんど県外にさえ出ない人生を過ごしてきた当時の両親には「バイトしながら大学に行く」といった考え方は受け入れてもらえませんでした。
しかしながら、このとき進学校に行かないで その高校を選択したことは、素晴らしい選択だったと思います。
なぜなら、その高校で学んだこと・実習などで行われていたことのレベルは十分に高くかつ実用的だったからです。
実は高校時代に学んだプログラミング技術が、今でも自分を支えてくれています。
もちろん、今ではFORTRANもCOBOLも使いませんが、アルゴリズムの考え方や、ハードとソフトの間の部分の技術は当時学んだことが今も生きています。
ただその後 結局、24歳の時に大学に入学しました。
なぜなら、その頃の自分の結論は、「プログラミング技術を究極的に鍛えるためには、本格的な純粋数学をマスターする必要がある」と思ったからでした。
なので、ずいぶん遠回りにはなってしまいましたが、理学部数学科へと進学しました。
・・ただし、正直に言えば、そこで学んだことは少なくともプログラミング技術を向上させることには直接はつながりませんでした。
ただもちろん、数学の勉強にはなりましたし、教員免許を取ることもできました。
そして最初に就職したのは、専門学校の教員としてでした。
情報処理科という学科で、プログラミングやコンピューターサイエンスを教える教員になったのですが、そこでの経験は非常に有益でした。
なぜなら、人に教えることほど、自分自身の勉強になることはないからです。
特にC言語のプログラミングテクニックを教えるために、自分自身がC言語について深く理解する必要がありました。
さらに、教務関係の仕事に使うちょっとしたツールを自分で作って配信することで、現実的な経験を積むことができました。
・・その頃は、「自分は生涯いち教師」と思っていたのでした。。