これまでの経緯 (4)アメリカで約2年間、エンジニアとして働く | 55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

一昔前なら定年を意識する年齢ですが、家族で夢をかなえるために2019年4月に渡米、現地のIT企業のソフトウェア開発部門のエンジニア・PM(プログラムマネージャー)として挑戦しています。

今から約15年前 アメリカに移住して最初の一年は、とにかくあまりの文化・常識の違いに打ちのめされました。

アメリカと日本の常識の違い - それに関しては書きたいことがありすぎるのでまた別途書きたいと思いますが、とりあえず言えることは、旅行や駐在といった形でアメリカにいるのと、アメリカの会社の社員として働いてアメリカに所得税を支払いながら住むのとでは全く見えてくるものが違ってくるということです。

過去に5回くらいアメリカには出張で来ており、また(3)で記載したとおり3か月間の長めの出張にも来ていたので、ある程度アメリカで生活するとどうなるのか わかっていたつもりでしたが、全く違っていました。


それでも、仕事は充実していました。

もちろんあらゆる意味で仕事は大変でしたが、とにかく自分自身が実際に製品を作っている実感は嫌というほどありました。

さらに次のバージョンの開発に入って、我々のチームでは、これまでとは全く違う新しい開発プロセスを導入しようとしていました。

私は当初、特にそのプロセスに関して何か具体的な使命を受けていたわけではありませんでしたが、いずれ全員がそのプロセスの上で仕事をしなければならなくなるわけですから、とにかくもっと理解しなければならないと思い、そのプロセスについて一人でいろいろと実験・検証を毎日コツコツと繰り返しました。

そして気づいてみれば、いつの間にかチームのみんなが私に集中的にその新しいプロセスについての質問や依頼をしてくれるようになっていました。

幸い、その新しいプロセスを使っての次期バージョンの製品開発は比較的早い段階で軌道に乗り、確実に開発効率は上がりました。
その年私は賞をいただくことができました。当時30人くらいいたチームでその賞を受賞したのが私を含めて3人でしたので、自身の仕事がチームの役に立ったのだと自信を持って思うことができました。

・・おそらくあの頃、チームの中で、誰一人としてその後すぐに私が日本に帰ってしまうとは思っていなかったのではないかと思います。

もちろん私自身も、その仕事を辞めたいとは全く思っていませんでしたし、やりかけていたことも沢山ありました。
何と言っても、次期バージョンの製品の開発がまだ途中でした。
当時の上司も「君のキャリアに対して私は君の決定を覆す権利は持っていないが、次期バージョンのリリースまでは可能であれば続けてほしい」と言ってくれていました。

しかしながら、どうしても無視することのできない家族の問題により、そのアメリカでの仕事を早急に辞めて日本に帰ることにしました。
結局アメリカで働いた期間は2年ちょっとでした。


ただ幸いにして、アメリカに来る前に働いていた日本のチームで再び採用していただくことができました。

しかも有難いことに、アメリカでやり残していた仕事の一部を、アメリカ側で新しい人が採用されて軌道に乗るまでの期間限定で、自分の30%程度の時間を使って手伝ってよいという許可を、日本のチームの専務クラスの方が出してくださいました。
なのでしばらくは、開発プロセス作りを日本からリモートで続けさせていただくことができました。

その時は、アメリカ側のチームが、私が帰国してもなお頼りにしてくれたことが嬉しくて、休日も会社にきてコーディング・デバッグを黙々とやっていました。
幸いそのツールは、指示されていた期間内に仕上げてビルドプロセス中に組み込むことができました。

おそらくそれが、私が正規の仕事として(ボランティアや趣味の延長ではなくて)、本格的にエンジニアとして製品のコーディング・デバッグ作業を行った最後の仕事だったと思います。