永遠のビギナーのブログ -46ページ目

再度、スタージョンの法則

スタージョンの法則については前の記事 を見てもらうとして、まあ現都知事の「文学作品」とやらは今誰が読んでいるのかで全て(彼が文学作品を書いたかどうかの)話は終わる。確かに一作でも売れるのは難しいが、一作しか売れずに終わる作家も多い。(というか、そちらの方が多いだろう。)

彼の場合、幸か不幸か「国民的俳優の兄であった」と言うだけで今も現役で存在するだけだ。そうでなければ今の地位はないだろう?彼はかたくなに認めないと思うが。「カスはカスなりに分をわきまえればいいのに」と思う。まあ、誇大妄想癖の強い彼には諫める弟がいない今、何を言っても無駄であると思うが。

彼のように老醜をさらしそうな副知事には今のうちから警告をしておく。

「まだ間に合う、引き返せ。」

[Pi---]は[Pi--]なりに幸せかと思ったが、どうもそうでもないようだ。本人の自覚がある場合は。

サラ金について2つの記事

今日はここ とここ 。

同じテーマで2つかぶったが、書く人によって知性が表れる(もしくはポジショントークで解析が浅い)差異がはっきり分かるものになっている。前者は数値を使いまあ、説得力を持たせようと懸命だがいかんせん無理がある。後者は対談だが、前者を見た後で読むとどちらが専門家かよく分からない。後者のちきりんさんは私が時たま読ませてもらっている(引用先で知ったのだが)人だ。当然個人的にも知らない。

まあ、これだけでは何の意味もないので少し前者に反論を。大まかな数値について争う気はない。たぶん合っているのだろうし、私は専門外なのでごまかされていても正直分からない。いつものように原理原則で変だという主張をするのみである。

前者で唯一納得できるのは「利息制限法の金利が唯一神のように扱われるのはおかしい」という点だけだ。確かに上げるか下げるかは別にして金科玉条にする合理的理由は何処にもないだろう。が、それだけだ。

筆者は金利に持ち出すぐらい市場原理好きのようであるので、サラ金が事業コストで事業が成り立たないのであれば事業を畳むのは(おそらく金貸しの好きな)「自己責任」であるし、グレイゾーンで事業をしたのも「自己責任」である。何の問題があろうか?何で金を借りた側のみ自己責任が発生するのか皆目見当がつかない。円滑な経済活動のために「短期高利の金貸しが必要である」という議論は存在しても、20万借りに来た客に、「ただいまサービス期間中ですので」とかいって30万貸す事業体が健全な経済に必要だとは私には思えないのだ。(おそらく、健全な社会に「少し」必要だろう。)

そもそも”円滑な経済活動のため”であれば、何の事業もしていない個人に約30%もの金利で高額を長期に貸す方がどうかしている。もちろん金利が払える内は”円滑な経済活動”とは無関係に金儲けとしてうまく回っているだろう。が、近い将来その個人は大部分が破綻するに決まっている。要するに個人を食いつぶす商売で、まっとうな商売ではないだろう。もう少し堅く言えば結果としては要するに「貸すべきでない人に貸して破綻した」わけだ。(そういう意味ではサブプライムローンに似ている。)

だから「市場原理に基づけば、信用力の乏しい個人に対するフェアな金利水準が、規制金利の範囲内に収まるとは考えにくい。」のではなくて、もともと貸すべき人でない人に貸して商売をしてきただけだ。(先のサービス期間中の文言に乗せられる人など典型例だ。また、この段「」内引用。)というかこの人、金の貸し借りの非対称性を(おそらくはわざと)無視して市場原理を適用しているけれど、大丈夫か?”市場原理”分かってる?

最後にマイクロファイナンスを持ち出してくるあたりはかなり[Pi--]と見たが、マイクロファイナンスの多くは事業をやりたい個人に貸し出していると聞いている。決してパチンコに使いたい人に貸すわけではない。根保証をつけるわけでもない(と聞いている、事業体によって違いはあるかもしれない)。存在意義も契約形態も違うものを何の断りもなく出して比較するなど、「無意味」以外の何でもない。引用元によればこの記事は小屋 知幸(こや・ともゆき)さんという方がお書きになった文章である。著書は下に。

とは言え、現状を全て肯定するほど単純でもない。『円滑な経済活動のために「短期高利の金貸しが必要である」』というのは正しいと思うからだ。(ここのカギ括弧は残念ながら別に引用ではない。それっぽいことを言いたいようではあるが。)ただしそれが既存のサラ金である必要はないし、過去の行動からそうでない方が望ましいと言うだけだ。そして現状の最大の問題点はグレーゾーンとは言え、最高裁が法の不遡及に反し、過去の債務への返却命令を出したことだ。

この事は金利の面にとどまらない。法は全てを逐一決めるものではない。(そんなことをしていたら、社会が窮屈でかなわない。)つまり、法にはどうしても「曖昧なところ」というのはあるし、また必要なのだ。その「曖昧なところ」が過去にさかのぼって賠償を命ぜられる(可能性を持つ)となれば新規事業のリスクを見積もることは(ただでさえ難しいのに)さらに困難になる。これは新たな産業を見つけ出すことが急務なうちの国にとってはなはだまずい。

だから、サラ金の話とは無関係に「あの最高裁命令」は間違えている、と私は考えている。

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WikiLeaksとテロとインターネットの今後--3:犯罪とインターネット

よく知られているようにインターネットの開発意図は「核戦争時の通信経路の確保」にあった。

それまでの通信はまあ、いわゆる「電話」でどこかが切れるともう通信できなくなるものだったので都市を核攻撃されると通信路の確保が大変だったわけだ。インターネットはどこかの経路が切れても迂回路があれば自動的に迂回して通信を継続するようになっているので、この種の攻撃への対策として考えられたわけだ。その後なんの因果か知らないが、新しい基本構造の通信手段として一般に開放され、一部企業と大学が使い、通信速度の向上とMosaic(最初期のブラウザー)でWWW(World Wide Web)として普通の人にも知られるようになった。

それで今のインターネットがあるわけだが、そもそもの始まりから基本的に性善説に基づいているので(あまり軍事ネットワークに自由に参加できる正規の部外者の存在は考慮されない。)どうしても脇の甘いところがある。それで今となっては迷惑メールだとか、なんだとか悪意を持った人たちが参加することで、いろいろな弊害が存在する。そしてそういう人たちを排除する基本的な仕組みはない。自由であり、ある意味無法地帯だ。

とはいえ、インターネットはあまりに便利なので使われなくなることはないだろうし、どうにかこうにか改善しながら進んでいくしかない。(改善例としては最近だとDNSSECだろうか?)既存のインターネットが持つ情報インフラとしての問題点は大きく分けて以下の3つになると思う。
1)様々な参加者を包含しつつ、善良な参加者を守るために安全に通信をするための仕組みが必要なことは明らかだ。
2)また、悪意を持った参加者の犯罪にも使用されるため、(根拠があれば)参加者をトレースできる技術的仕組みも必要だ。
3)そしてその技術的仕組みの濫用を防ぐためにトレースを明らかにする社会的仕組みも必要になる(これはおそらく法の問題だろう)。

3)は法の問題なのでとりあえず置いておく。

1)の問題点
安全な通信に使われている数学的一方通行に依存する暗号(現在インターネットで使用されている暗号は全てこれだ)はクラウドの発達によってその基盤が揺らぎ始めている。(安価で高速な計算力は数学的一方通行を強行突破できるようにするかもしれない。)量子暗号の実用化はまだ遙か先だろう。

2)の問題点
数年中に移行するIPv6による個々の機器への固定ID付与は参加者のトレースを容易にするがプライバシーもたやすく破壊する。(この件はIPv6が問題なのではなくて、固定ID付与が問題なのだが。この辺はIDタグ関連でさんざん話されているので興味のある人はそちらをどうぞ)そして残念ながら、固定IDを付与したとしても経済的コストの問題でIDは(悪意を持った者にとっては)割と安価に偽造されるだろう。

基本的に「技術の発達は利益と損失を同時に生み出す」ものだから、新しい技術を導入しても運用で利益の最大化を図るしかない。(銀の弾丸は存在しない。)

しかし実のところ、インターネットの持つ最大の特徴は運用がその参加者自身の意志に委ねられているところにあるので、(正確には「あなた」ではなく、「あなたが入っているプロバイダ」がインターネットに参加している。)一律した運用が強制できるわけでもない。(どんなにがんばっても国家の枠組みでしか「社会的に」強制できない)無論、その特徴を取っ払うことは技術的には可能であるが、それを世界中に強制できるわけでもない。(一応「インターネット2」として研究はされているらしい。)

個人的にはインターネット2に移行する必要はないと考えている。理由はインフラとして考えたときに流れるものの違いを水道と比較すれば分かる。水道を流れるものは(基本的に)水で何処の誰でも変わりはしない。せいぜいがとこ量でしか差は出てこない。インターネットを流れるものは情報で、それはありとあらゆる意味であなたを色づけする。そして、多くの人が水道から水を得ている以上に多くの人が情報をインターネットから得るようになるだろう。
(もう、なっているかもしれない)が、これはまた別の話題だ。

自由ばんざいな私としては(仕組みとして)ありとあらゆる検閲が可能なビックブラザーなど欲しくはないのだ。(まあ、今でもやろうと思えば十分に実効性のあるレベルで技術的には可能なのだが)だから私の観点では、もはや「情報は漏れる。」し、「漏れた情報は完全には回収できない。」(残念なことではあるが。)

現実社会で犯罪が撲滅できないように、インターネットでも悪意を持った者の行動をなくすことはできない。必要なことは犯罪が速やかに摘発されるのと同様に、悪意を持った者を摘発できるようにすることである。多くの国では技術的には現実の犯罪よりも速やかに摘発することができるようになっている。問題は(犯罪がそうであるように)社会的にできないだけだ。つまり私にとって問題は技術ではなく社会的なものだ。インターネットの悪意は国境に無関係なのでそのような枠組みの構築が試されているのではないか?政治犯はいろいろと問題を抱えやすいので、まずは経済犯から枠組みの構築を始めてはどうかと思う。

まとめ
現実社会の犯罪者と同様にインターネットに悪意を持った者は存在し続ける。
現時点の技術でも速やかに悪意を持った者は特定できる。
問題解決を困難にしているものは「国境をまたがる」という社会的枠組みに依存するものであるので、その枠組みを取り払うのは技術ではない。