サラ金について2つの記事
今日はここ
とここ
。
同じテーマで2つかぶったが、書く人によって知性が表れる(もしくはポジショントークで解析が浅い)差異がはっきり分かるものになっている。前者は数値を使いまあ、説得力を持たせようと懸命だがいかんせん無理がある。後者は対談だが、前者を見た後で読むとどちらが専門家かよく分からない。後者のちきりんさんは私が時たま読ませてもらっている(引用先で知ったのだが)人だ。当然個人的にも知らない。
まあ、これだけでは何の意味もないので少し前者に反論を。大まかな数値について争う気はない。たぶん合っているのだろうし、私は専門外なのでごまかされていても正直分からない。いつものように原理原則で変だという主張をするのみである。
前者で唯一納得できるのは「利息制限法の金利が唯一神のように扱われるのはおかしい」という点だけだ。確かに上げるか下げるかは別にして金科玉条にする合理的理由は何処にもないだろう。が、それだけだ。
筆者は金利に持ち出すぐらい市場原理好きのようであるので、サラ金が事業コストで事業が成り立たないのであれば事業を畳むのは(おそらく金貸しの好きな)「自己責任」であるし、グレイゾーンで事業をしたのも「自己責任」である。何の問題があろうか?何で金を借りた側のみ自己責任が発生するのか皆目見当がつかない。円滑な経済活動のために「短期高利の金貸しが必要である」という議論は存在しても、20万借りに来た客に、「ただいまサービス期間中ですので」とかいって30万貸す事業体が健全な経済に必要だとは私には思えないのだ。(おそらく、健全な社会に「少し」必要だろう。)
そもそも”円滑な経済活動のため”であれば、何の事業もしていない個人に約30%もの金利で高額を長期に貸す方がどうかしている。もちろん金利が払える内は”円滑な経済活動”とは無関係に金儲けとしてうまく回っているだろう。が、近い将来その個人は大部分が破綻するに決まっている。要するに個人を食いつぶす商売で、まっとうな商売ではないだろう。もう少し堅く言えば結果としては要するに「貸すべきでない人に貸して破綻した」わけだ。(そういう意味ではサブプライムローンに似ている。)
だから「市場原理に基づけば、信用力の乏しい個人に対するフェアな金利水準が、規制金利の範囲内に収まるとは考えにくい。」のではなくて、もともと貸すべき人でない人に貸して商売をしてきただけだ。(先のサービス期間中の文言に乗せられる人など典型例だ。また、この段「」内引用。)というかこの人、金の貸し借りの非対称性を(おそらくはわざと)無視して市場原理を適用しているけれど、大丈夫か?”市場原理”分かってる?
最後にマイクロファイナンスを持ち出してくるあたりはかなり[Pi--]と見たが、マイクロファイナンスの多くは事業をやりたい個人に貸し出していると聞いている。決してパチンコに使いたい人に貸すわけではない。根保証をつけるわけでもない(と聞いている、事業体によって違いはあるかもしれない)。存在意義も契約形態も違うものを何の断りもなく出して比較するなど、「無意味」以外の何でもない。引用元によればこの記事は小屋 知幸(こや・ともゆき)さんという方がお書きになった文章である。著書は下に。
とは言え、現状を全て肯定するほど単純でもない。『円滑な経済活動のために「短期高利の金貸しが必要である」』というのは正しいと思うからだ。(ここのカギ括弧は残念ながら別に引用ではない。それっぽいことを言いたいようではあるが。)ただしそれが既存のサラ金である必要はないし、過去の行動からそうでない方が望ましいと言うだけだ。そして現状の最大の問題点はグレーゾーンとは言え、最高裁が法の不遡及に反し、過去の債務への返却命令を出したことだ。
この事は金利の面にとどまらない。法は全てを逐一決めるものではない。(そんなことをしていたら、社会が窮屈でかなわない。)つまり、法にはどうしても「曖昧なところ」というのはあるし、また必要なのだ。その「曖昧なところ」が過去にさかのぼって賠償を命ぜられる(可能性を持つ)となれば新規事業のリスクを見積もることは(ただでさえ難しいのに)さらに困難になる。これは新たな産業を見つけ出すことが急務なうちの国にとってはなはだまずい。
だから、サラ金の話とは無関係に「あの最高裁命令」は間違えている、と私は考えている。
同じテーマで2つかぶったが、書く人によって知性が表れる(もしくはポジショントークで解析が浅い)差異がはっきり分かるものになっている。前者は数値を使いまあ、説得力を持たせようと懸命だがいかんせん無理がある。後者は対談だが、前者を見た後で読むとどちらが専門家かよく分からない。後者のちきりんさんは私が時たま読ませてもらっている(引用先で知ったのだが)人だ。当然個人的にも知らない。
まあ、これだけでは何の意味もないので少し前者に反論を。大まかな数値について争う気はない。たぶん合っているのだろうし、私は専門外なのでごまかされていても正直分からない。いつものように原理原則で変だという主張をするのみである。
前者で唯一納得できるのは「利息制限法の金利が唯一神のように扱われるのはおかしい」という点だけだ。確かに上げるか下げるかは別にして金科玉条にする合理的理由は何処にもないだろう。が、それだけだ。
筆者は金利に持ち出すぐらい市場原理好きのようであるので、サラ金が事業コストで事業が成り立たないのであれば事業を畳むのは(おそらく金貸しの好きな)「自己責任」であるし、グレイゾーンで事業をしたのも「自己責任」である。何の問題があろうか?何で金を借りた側のみ自己責任が発生するのか皆目見当がつかない。円滑な経済活動のために「短期高利の金貸しが必要である」という議論は存在しても、20万借りに来た客に、「ただいまサービス期間中ですので」とかいって30万貸す事業体が健全な経済に必要だとは私には思えないのだ。(おそらく、健全な社会に「少し」必要だろう。)
そもそも”円滑な経済活動のため”であれば、何の事業もしていない個人に約30%もの金利で高額を長期に貸す方がどうかしている。もちろん金利が払える内は”円滑な経済活動”とは無関係に金儲けとしてうまく回っているだろう。が、近い将来その個人は大部分が破綻するに決まっている。要するに個人を食いつぶす商売で、まっとうな商売ではないだろう。もう少し堅く言えば結果としては要するに「貸すべきでない人に貸して破綻した」わけだ。(そういう意味ではサブプライムローンに似ている。)
だから「市場原理に基づけば、信用力の乏しい個人に対するフェアな金利水準が、規制金利の範囲内に収まるとは考えにくい。」のではなくて、もともと貸すべき人でない人に貸して商売をしてきただけだ。(先のサービス期間中の文言に乗せられる人など典型例だ。また、この段「」内引用。)というかこの人、金の貸し借りの非対称性を(おそらくはわざと)無視して市場原理を適用しているけれど、大丈夫か?”市場原理”分かってる?
最後にマイクロファイナンスを持ち出してくるあたりはかなり[Pi--]と見たが、マイクロファイナンスの多くは事業をやりたい個人に貸し出していると聞いている。決してパチンコに使いたい人に貸すわけではない。根保証をつけるわけでもない(と聞いている、事業体によって違いはあるかもしれない)。存在意義も契約形態も違うものを何の断りもなく出して比較するなど、「無意味」以外の何でもない。引用元によればこの記事は小屋 知幸(こや・ともゆき)さんという方がお書きになった文章である。著書は下に。
とは言え、現状を全て肯定するほど単純でもない。『円滑な経済活動のために「短期高利の金貸しが必要である」』というのは正しいと思うからだ。(ここのカギ括弧は残念ながら別に引用ではない。それっぽいことを言いたいようではあるが。)ただしそれが既存のサラ金である必要はないし、過去の行動からそうでない方が望ましいと言うだけだ。そして現状の最大の問題点はグレーゾーンとは言え、最高裁が法の不遡及に反し、過去の債務への返却命令を出したことだ。
この事は金利の面にとどまらない。法は全てを逐一決めるものではない。(そんなことをしていたら、社会が窮屈でかなわない。)つまり、法にはどうしても「曖昧なところ」というのはあるし、また必要なのだ。その「曖昧なところ」が過去にさかのぼって賠償を命ぜられる(可能性を持つ)となれば新規事業のリスクを見積もることは(ただでさえ難しいのに)さらに困難になる。これは新たな産業を見つけ出すことが急務なうちの国にとってはなはだまずい。
だから、サラ金の話とは無関係に「あの最高裁命令」は間違えている、と私は考えている。
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