自民党幕府の滅亡のはじまり…小田原がそれを作った | おやまだやまと公式ブログ『推譲(すいじょう)』



まあいいや(笑)

この光景は、太平記で鎌倉幕府が滅びる時の光景にとても似ているのです。

後醍醐天皇が鎌倉幕府に対して元弘の変というクーデターを企てて失敗し隠岐島に流されていたわけですが、

死んだはずの楠木正成が千早城に出現し、様々な反幕府の頭目が全国で放棄する中、後醍醐天皇が隠岐島を脱出し伯耆の国の船上山に入った

この出来事が鎌倉幕府が滅びる引き金になる。

その後、その討伐のために足利高氏、後の尊氏が派遣されたところ、嫌気が差した足利尊氏が幕府に反旗を翻し六波羅探題を攻め新田義貞が鎌倉を攻略し幕府は滅亡したわけです。

これにとても似てます。

今、岸田政権が解散したら、自民党は2度と戻ることが出来ない特攻精神…玉砕覚悟で選挙やらなきゃならないから

石破茂でもでてこない限り自民党が政権を延命することは出来ない…

いや、仮に石破茂が出てきたところでひよっとするとダメかもね…

それだけ小田原ショックは計り知れないのです。それをやってのけたのは

名もなき市民たち

そこに関われて光栄です。

だってずっと市民と野党の共闘に身をおいて来たわけですから…

加藤さん、西川さんとのこの写真はとてもホッとしてる感じでよかった!!

加藤憲一さんが再びスーツを着て市長に戻れるなんて…

夢みたいです…

巨大な組織や塊をアリのような私達市民が粉砕したことが何よりうれしいです。

戦いのときはおおきな塊でも大きな塊と見るな、とよく言われました。

その塊も結局は私達と同じなんだ…だから恐れるな…

そーいうことですね…

いや、ホントにうれしい😆