やっとブログが書けます。
もう、昨日は選挙事務所で開票速報を見守り、終わって帰って来て、色々とやってブログ書いていたら寝落ちしてしまいました。
それが5時半くらい(((´∀`))ケラケラなのでいささか眠いです。でも、物凄い心地よい一日です。
四年前、一人10万円と統一教会べったりの選挙で544票差という屈辱的な敗北をしました。
私はその時に加藤憲一さんの本当の真価というものを見ました。一緒に選挙をやり、ものすごく非難も批判も受けました。
一人10万円に憤り小田原駅東口で行った演説。2020年6月28日だったと記憶しています。
エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議事務局長を退任せざるを得なくなり(クビ)、
生活の糧を奪われ、鈴廣さんで取り扱っていたおひるねみかんジュースを取引停止にする、という暴挙をやられました。
政治的発言を理由にしてそうした不利益な取り扱いをすることに、絶対にこういう価値観を変えてやろう
そんな思いで、加藤憲一さんが唱えた
「いのちをも守り育てる地域自給圏」
これの具体的な実践をさらに進めるべく、私なりに営農型太陽光発電(ソーラーシェアリング)を2基から7基、
作られたエネルギーを自分で使うという取り組みを行うために飲食店を1店舗経営する事となりました。
ホントに多くの誹謗中傷を体験し、非難も批判も受けました。
ある意味、市民の中では最も実名を出して、全てのリスクを全身で背負いここまでやってきました。
そして勝負の
2024年市長選挙。
圧勝、しかも2万票差もつけて。
加藤憲一を当選させるという目的のため、市民がフル回転した結果です。
それぞれの市民が自分がやるべきことは何か?を考えぬき、自主的に行動する。
プロジェクトマネジメントがチームとして徹底されてました。
私は本当に沢山の選挙に関わってきました。関わっていると「これは勝てる」という一つの方程式があります。
選挙カーが来ると、どこからともなく人が集まり候補者の話を聞く
千葉一区のたじま要さんの選挙を手伝った時にこの体験をしました。
今回の選挙、何回も応援弁士をしました。その時に、この千葉での経験がよぎりました。同じ光景だ。勝てる。と。
ただ、前回があーいう結果だったので、本当に気を抜かずにやりました。
はじめて選挙をやるママさんたちにも
「この局面ではあんまりネガティブな、負けそうだという書き方はしない。負けそうだから、書くのではなく、あと一歩まで来ている。皆さんで押し上げて欲しい」
そんな言い回しにするようにアドバイスしたりしました。もちろん、僕の演説でもそういう話し方を最後はしてきました。
それは、勝ち馬に乗ろうとする勢力が投票にはいるからです。
どこの誰とは言いませんが、私はそこを意識した書き方をしたことは事実です。
実際、票を見てみると守屋氏の票は、組織票を固めただけ、という程度で、前回を12000票も減らしています。
ほとんど、伸びた投票率、特に女性の票は全て加藤憲一さんにいっていることがわかります。
これは市民革命そのものです。
加藤憲一さんには、どこの政党の推薦もありません。
政策協定は私がつないだ団体と、佐々木ナオミさんところしか基本的にありませんでした。
私がつないだ団体は本当に根気よく電話かけやビラ配りをしてくれ、そのお昼は私が経営する農家カフェシエスタの弁当を注文してくれました。
この団体の書記局長が、本当にいい選挙を体験させてもらって感謝している。本当にうれしい。
ものすごい好感触の反応だったというありがたいメッセージも受けました。
この団体と加藤憲一さんをつなげられたことを私は大変光栄に思います。
つまり、支持団体も1-2、政党支持はなし。自主支援ばかり。これでは普通は勝負にならない。
それが連合から自民党から維新まで。。。あらゆる組織が支援する候補者を
アリのような市民がみんなで踏ん張って、それを粉砕させて
2万票も差をつける。
こんな選挙、なかなか政治家でも体験することが出来ません。快挙としか言いようがありません。
奇跡です。
小田原の奇跡が起きたのです。
まさに
小田原市民革命
そう、いって差し支えないのではないでしょうか?
古い小田原、昭和丸出しの選挙、自分たちの利害を調整してくれれば、他は市民ではないと言わんばかりのスタイルが完全に否定された選挙と言えるでしょう。
これからは市民が主役の原点に立ち戻り、市民と行政の協働の下に政が展開されていく。
多様性を尊重し、俺について来いリーダーではなく、多様な価値を吸い上げられるリーダーシッの発揮できる人がリーダなのだ。
そーいうスタイルでないと受け入れてもらえないことを証明したと思います。
私も加藤憲一という素晴らしい候補者を擁立し(本当に何度も出てくれとお願いしました)、共に戦えたことを心から誇りに思います。
以前に加藤憲一さんは僕の永遠の小田原市長といったことがあります。本当にそうなって良かったと思っています。
4年間のうっ憤を雪辱を晴らせて本当にせいせいしています。
しかし、ここからです。
色々と恨みつらみはあります。
でも、ここは、加藤さんがいう一円融合を私らも成し遂げなければならないと思っています。
兎に角、皆でその方針のもと、我慢すべきは我慢して、共に持続可能な市民自治のまち小田原という壮大な目標を成し遂げたいと思います。
それから、今回の選挙結果は本当に自民党にとっては激震以外の何物でもないでしょう。
普通は勝てるはずのない加藤憲一陣営がこんなに勝ってしまった。
地殻変動、山が動いたという言い方が間違いなくできる。
守屋輝彦氏の不誠実で不正義な振る舞いが今回の結果をもたらしたことも事実ではあります。
有権者は見ていたという事です。
10万円の問題、統一教会との問題。そうしたことが天罰を受ける大きな原因だったことは間違いありません。
選挙最終盤。失速していく守屋陣営の様子を私は感覚として掴んでいました。
連帯の多様な人が陣営にいる、という感じには見えない雰囲気がありました。どこか支離滅裂で、覇気の無い感じ。
それは自民党に対する批判、非難の渦があったことと無縁ではないかもしれません。
この小田原も保守王国です。普通は組織を盤石に固めれば勝てるのです。そんな土地柄なのに。
私は、この小田原ショックは激しく国政を、特に自民党を揺さぶっていると思います。
このままでは本当に政権交代が現実的になっていく、と。
名もなき市民の反乱が、小田原市に地殻変動をもたらし、政権交代を実現させ、そして、それは国政までも動かした。
この企てに参加したのは、名もなき市民たち。こんな痛快で、爽快なことはない。
小田原の良識が示された。小田原には希望があったのだ。岩盤を市民がこじ開けて風を呼んだこと。
そこに主体的に関わり、全力全霊で加藤憲一候補を市長に戻せたこと。本当に良かったと。そして、この戦いに参加出来たことを誇りに思います。
2015年から市民と野党の共闘、という所に身を置き、何度となくガラスの天井に阻まれてきました。
勝ち癖などなかなかつけられない、そんな状況が長らく続く中、今回の大勝利は僕にとって、
政権交代はやればできる、やれるぞ、という大いなる勇気を与えてもらいました。
大いにに自信になりました。
そんな貴重な貴重な体験でした。
また、自分が大きくなったな。
そう思っています。
本当に爽快な選挙でした。
共に戦った仲間の皆さん、本当にありがとうございました。
僕たちは歴史を創ったぞ
そう、声高らかに宣明していい。
そう、思っています。
本当に辛く、苦しい選挙、4年間でした。艱難辛苦、臥薪嘗胆の日々でした。
報われました。
ありがとうございます。
仲間の皆さん、お疲れさまでした。
これから、また、希望のある小田原を共に手を携えて、これからは、相手方の人とも一円融合で
新しい小田原
真の意味での市民との協働のまち小田原を作りましょう。
私達にはそれができます!