昨日、最後の元老と言われ、昭和15年まで存命した幕末の志士(公家)西園寺公望の静岡県は興津にある別邸(復元)に行きました。

私は、何故、最後の元老と言われる西園寺が存命であっても軍部の暴走を止められず、戦争へ突き進んでしまったのか?

なぜ、あの愚かな戦争をやるに至ったのか?大いに関心があります。
そんなことも有り、西園寺にはひとかたならず注目しています。
伊藤博文の後継者として、立憲政友会の総裁を務めたり、リベラルな新聞の社長になって明治天皇を困らせたり、

桂園時代と言われる桂太郎との交互の総理大臣を務めたり、第一次世界大戦後の講和会議であるベルサイユ条約の首席全権を務めたりと
91歳で亡くなるまで、本人は興津の別邸で静かな余生を過ごしたかったそうだが、状況がそれを許しませんでした。
座漁荘は大正八年に建てられたそうですが、政治家の来訪は引きも切らず、後の世に
興津詣

と称されることとなりました。
以前から行きたいと思っていたのですが、なかなか機会に恵まれず昨日足を延ばしました。
明治の元勲たちの別荘というのは、一見すると豪勢なものではなく、
やはり貧しい日本を知っているからか?
質素なたたずまいであることこの上ありません。
現代で言えばキングメーカー(麻生太郎か?)と言われる立場の西園寺公望がたった300坪の数寄屋造りの質素なたたずまい。

座って魚を釣るがごとく穏やかに暮らしたいと名付けた座漁荘。

見事でした。


亡くなるいまわで
「(軍部は)日本をどこへ連れて行こうとしてるのや」
と言って絶命したと伝わります。
本人も90を超えて、昭和天皇の奏請に応えて次期の総理を推戴する権限を持っていた西園寺も老齢で軍部を叩きのめすような力もなかったのでしょう。
晩年は老齢を理由に総理の推戴も内大臣の木戸幸一あたりに任せてしまったようです。
西園寺を残して元老は全て死んでしまいましたから、やはり一人で止めることは難しかったのかも知れません。
でも、と無い物ねだりをしたくもなります。
結局、日本は破滅の道へ突き進み、国民を塗炭の苦しみの淵に追いやり、
皇統の維持
すら危ぶまれる際まで行くことになるのは歴史が証明しています。
西園寺公望の危惧が現実になってしまったわけです。
一度流された大きな力には日本人は抗うことが出来ず、流されるがままになってしまうことは歴史が証明しています。
一度、作られた流れは止めることが出来ません。
今、日本は、消費税の減税もそうですし、原発の再稼働もそうですが、今だけしか見れない流れにあらがうことが出来ない風潮になってしまっています。
かつて来た道と同じ、止められない、歯止めをかけられない、究極のポピュリズムにひた走っているように見えます。
国を守ると称して防衛費を青天井の如く釣り上げる議論もあります。
抑止なのだから仕方ないという風潮で国民を黙らせてしまっています。
それで本当にいいのでしょうか?
国を守るというのであれば、テロや戦争で真っ先に狙われる原発を辞めることが安全保障に資するのではないですか?
国民を食べさせ快適に暮らさせる為の食糧やエネルギーの供給を万全なものにするためにその自給率を高める政策をすること
~だから農業とエネルギーを両方担うソーラーシェアリングなんですが~

こそが真の安全保障ではないですか?
そんなことを座漁荘の二階のかつて清見潟が見えた窓越しに、さっぱり変わってしまった景色を見ながら物思いにふけっていました。

折しも本日は、広島原爆投下から81年を迎えます。改めて、核なき未来、恒久平和を望まずにはいられません。
勇ましいことを述べるだけでは日本も平和も守られません。
二度と戦争の惨禍が起こることのないように不戦の誓いを胸に刻み、不断の努力の下、日々を丁寧に生きたい=行きたい、と思っております 。
