本日は私の47歳の誕生日です。
幾人かの皆様からお祝いメッセージを頂きました。
お一人お一人に返したいところですが、こちらでご勘弁くだされば幸いです。
さて、誕生日を迎えた心境は?
というと
「全く嬉しくない」
というのが正直なとこ(笑)。
住んでいる小田原市政は「イライラの元凶」だった状況を脱してほぼ正常化しているという実感も感じています。
が、何故かイライライライラしている自分がいるのも又、事実です。
とはいうものの、いろんな本を読んだり、人の話を聞きに行ったり、比較的落ち着いた毎日を過ごしていることも事実です。
今日は小和田哲男先生の『駿河・遠江・伊豆の戦国史』(法律文化社)

歴史学を学んだものではないのですが、歴史はずっと生きるバイブルでもあり趣味でもあるので晴耕雨読でした。
最も朝は雨が降っていないことを良いことに(笑)一時間半弱、昨日、秘書の吉田君がタイムオーバーでやりきってくれなかった残りの草刈りを朝の7時前からやりました。
この小和田先生の本を読んで感じたことが誕生日に際して私が一番言いたいことです。
それは
「常識や定説がどんどん変わっている」
ということです。
私が知っていた常識が何個も変わっていたのです。
例えば、北条早雲(といいますが、もはやそんな言い方すらしません。例えば伊勢早瑞です。でもわからないので早雲とします)の小田原城奪取は昔は1490年ころと言われました。それが1500年が有力になっています(その論拠に小田原城の特別館長の諏訪間さんの論文が引用されてました)。
あとは今川義元は最初は坊主だったのですが、名前が昔は「ばいがくしょうほう」といったのですが「せんがくしょうほう」になってます。こちらがほぼ確定です。
また、今川義元は正室(寿桂尼)の子どもとされてましたが側室の子どもだった、とか。
もう、私からしたら「えー」みたいな事の連続でした。こんなのは一部です。
何が言いたいか?というと
「常識や定説は絶対ではない」
という事です。
変わることが前提であるという事です。
この当たり前と言えば当たり前のことに多くの人は気づかないのです。
学問というのは「本当にそうだろうか?」という所からスタートするのだと改めて思います。
同時にそれは、人生にも生きるという事にも言えるのではないか?とも思います。
常識を疑い、常識とは違う道を模索しようと思うことからしか新たな発見はありえません。
人は誰でも新しいことをする時には躊躇があります。新しきものへの挑戦は怖いですからね。
ですが、新しきものへの挑戦のためにも
「物事は変わるのだ」
という事も意識しつつ、一度得た知識をガラガラポンするためにも「生涯教育」「生涯勉強」本当に勉強を不断にしていかなければならないと思います。
そういう意味で色んな本を読んだり、論文や原著に当たってみるとかという作業も、私のような大学卒業レベルの人間でもやっていかなきゃいけないんだな、という事を痛感しました。
向上心を持って勉強し続ける事が「丁寧に生きる」ことの大前提であり、専門の本ばかりでなく、法律や歴史、哲学、そういう領域の本も視野を広げるためにも読んでいく必要もあるなーとも感じます。
「変わるとは、視点を変え、視野を広げ、新しい行動パターンに挑戦することだ」。
人生の師匠であり今は袂を分かっている人が私が学生時代から社会人になりたての頃(25年近く前になります)によく言っていた言葉です。私も一つのバイブルにしている言葉でもあります。
まさに、視点を変えるために視野を広げ、新しい行動パターンに挑戦し続けていける人となれるように生き続けていきたいと思います。
そして、いずれ、この今の日本は私にとっては閉塞感の漂うものでしかないのですが(それが私の今の鬱屈した状況を作り出しているのだと思いますが)
これを何とか局面打開できるようにしていきたいと思っています。
今後ともよろしくお願いします。