経営をしていて思うのは
①お金の問題
と
②人の問題
ほぼ、ここに尽きると思います。
サラリーマン(宮仕え)とは全然違うのです。
それは、物の本で、わかっていない人が、わかったような口で経営を語りますが
全て、借金と自分のお金で会社を立ち上げ、事業を展開し、経営をしている人と
宮仕え(サラリーマン)とは、申し訳ないけれど、全然次元が違います。
よく、サラリーマンに時代に
『経営者になったつもりで』
なんて、上司(管理者)が、いうことがあるけれど
本人が経営者にもなっていないのに、その本当のシビアさはわからない。
僕は、郵便局にいて、外務員、つまり、営業マンだったから
よく、そういう話をされたし、したけれど
モチベーション、意識、シビア度ふくめてまるで違います。
郵便局でも、雇われ経営者という人がいたし、鈴廣時代にも、取締役とかいたけれど
結局、自分で、おなかを痛めて事業を展開しているわけではないので
やっぱり、モチベーション、意識がまるで違います。
エネルギーから経済を考える経営者ネットワークの事務局長として
いわば、会の経営を任されてはいたけれど、これだって所詮は人のお金でやっていたわけですから
そんな意味で2020年の後半から今の僕というのは、今までの私と同じはずがないのです。
そういう中で、直面するのが冒頭の①と②です。
経営者と社員、アルバイトさんでは、やっぱり感覚が違うのです。
自分の意図するところがきちんと伝わらない、という部分はやはりありますね。
私は郵便局時代に過度に期待しすぎて、失敗した経験もあるので
努めて、そうしないようにしていますが
人によっては「厳しい」ととられてしまいます。
人の受け取りはいかんともしがたいので、そう思われれば、それで仕方ないですが
甘すぎても店は傾くし
厳しすぎても人はついてこないし
按配は本当に難しいところです。
甘やかしすぎると、増長する、ということもありますしね。
例えば、私は料理が出来ませんから、そういう人間が、料理のことを言っていると
料理が出来る人からすれば
「何もわからないくせに、ぐだぐだいいやがって」
となる。
「俺がいなくなったら、店なんか回らなくなる」
となると、もう、大変です。
昔の僕がそうでした(笑)
「俺が数字をとっているんだ、俺の数字がなくなったら局は達成できんぞ」
→そういうけど、実はそんなことないのです。代わりはいくらでもいるのです。そう思えば、なら、勝手にしろ、と突き放せばいいんです。でも、みんなビビッてそうしないのです。そういう積み重ねは、組織をダメにしていく原因の一つだとは思っています。
しかし、過去の私は確かにそういう気持ちはありましたね(笑)。
あるのはいいけど
それを
態度で出してはいけない。
こういうことの積み重ねが、私が郵便局で、優績者になっても、今一つ尊敬されず、
そして、最後はコンプライアンス室と戦うくらい、色んな事案が垂れ込まれてしまった原因かと思います。
(まあ、私は、その疑われた事案については、そのすべてにおいて、いまだに、あそこまで、聴取され、疑いをかけられる必要はなかったと思っています。また、疑われた事案についてはやっていないので認めていません。)
ただ、相当嫌な思いをしたので、そこから、私が学んだことです。
そういう、俺がいないと、なんてのに引っ張られると
つまり、数字をあげる人や、特殊技能を持つ人に遠慮しだすと、その人が増長するので
数字は上がるし、店は回るかもしれないけれどね。
職場内がギクシャクします。
そういうこともあって、私なりには、色々と変えてはいるのですが
親切心で厳しく言っても
とる人が
『それで傷ついた』
と言われれば、もっと言うと、パワハラだといわれれば、パワハラですからね。
自分では、そんな、厳しく、また、スピードも求めていないのに
自分のペースでやればいいんだけど、
どうしたいか?ちゃんと言わないなら、こちらとしてはわかりませんよね?
仮に言ってきても、それは、違うと思えば私は言いますよ。
対話ってそういうことでしょ?
それができないなら、もう後は仕方ない。
でも、普通の人からしたら、私のスピードとか行動というのは、相当に早いんだと思いますね。
私は、いたって普通なのですが。
結局、仕事っていうのは
「契約」
ですから
2つの異なる意思表示の合致が、法律的には契約の定義ですからね?
意思が違うわけです。
結婚だって契約ですからね。
異なる意思表示の合致
ですから。
異なる意思表示ですから、齟齬があったり、溝があったりするのです。
しかし、人の問題とお金の問題は経営者は本当に頭を悩ませますね。
人はいつになっても
学び
の連続です。