■ セッションメニューはこちらへ ■
セッションは現在全て一時的に受付を停止しております
今日初めてうちのブログに来てくださった方もいらっしゃると思うが、ここのブログの趣旨を話すと、タイトルに集約される。
愛と成仏と武士道精神だ。
いっそこれをブログタイトルにすりゃよかったが、何せブログ作ったの10年前だし、その時は単に日常記録のためにアカウント持っただけでなんも考えてなかったのでアレなのだが。
これに集約されるんで、全然スピリチュアル系ブログとかではない。
単に自分が霊的な手法で難病治した経験からそっちもやるというだけでそこは真ん中にはない。
というか、人間というものや世界や宇宙というもの自体がその性質がスピリチュアルなので当たり前というか。
今ブログを書くとか見るとかしているその行為自体がスピリチュアルありきなのである。
そこはともかく、成仏と武士道精神ってなんやねんだが。
話すと長くなるのでカンタンに言うと、成仏できる生き方をしないと人は本質的に不幸になる。
本質的に、だ。
そりゃ見た目上幸せ風はいくらでもある。
だが、魂が心から喜んでないんだったらそりゃ意味がない。
魂が喜んで初めて幸せと称せるのである。
で、成仏できる生き方はどうすればいいのかを一言で言うと、武士道精神になるのだ。
皆様は武士道精神と聞いて何を思われるだろうか。
よう知らんけど切り捨て御免とかだろうか。
私の話す武士道精神は江戸時代中期鍋島藩藩士山本常朝が説いた葉隠とほぼ同一と思っていただいていい。
語弊を承知で一言でコレを表わすと「死んだと思って生きろ」である。
人がなぜ本気で生きられないのか、成功しないのか、夢を実現できないのか、それは、覚悟がないからであり。
覚悟がないというのは、あらゆるものへの恐怖からくる。
ああなったらイヤ、こうなったら怖い、そうなったら困る、そんな不安と恐怖が脳裏に渦巻き、行動を制御させたり、本心を押し殺したりする。
その根底にあるのは、死にたくない、である。
そりゃ人間全員死にたくないわけだが、だからっておもしろいことに全員もれなく最後は死ぬ。
で、最初からそこへの覚悟を持った上で生きれば、やりたいことも言いたいことも可能になるさ、というのが葉隠武士道の要約である。
現代と言うのはとことん死を隠蔽し、禁忌扱いするために生死に関してリアリティがない。
昔は自宅で看取り自宅で葬式を出し近所で火葬するような社会で、日常的に死を間近に体験できたものだが、今はそうじゃないので、なんというか、皆、死なないように生きる。
そりゃ死なないように生きるのは当たり前だ。
そうじゃなくて、安全柵を三重に立てた内側に安全柵を立てて生きるような生き方を指している。
これだと、魂が本当に歓喜する体験はなかなかしにくい。
それぞれの魂は経験したい何かがあるのだ。
それを経験させてはじめて、魂の歓喜は起こる。
まあそんな感じで、愛と成仏と武士道精神をいろいろこねくりまわして書いてるブログです。
はじめまして、今後ともよろしくお願いいたします。
ブログランキング参加しております。