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生まれた以上、生きるのは義務だ。
これに関しては何十年も自問してきた。
生きるのも死ぬのも自由じゃないかと。
どうせ自分の命なんだからどうしたって自分の勝手だろうと。
私ひとりが生きようが死のうが誰になんの影響もない。
私ひとりが全力で生きようが怠惰を貪ろうが悪の限りを尽くそうが何の影響もない。
世界は広大だ、宇宙もでかい、こんなクソみたいな小さい星にたった数十年しか生きない、大したことを成すわけでもない、とりたててとりえのあるわけでもない自分がひとり、生きるのを苦にそっと命を消そうがなんてことはない。
そりゃ宇宙規模から見たら、ばい菌の一個体が一瞬生きて一瞬で消える程度の話である。
ああ、苦しい、さっさと終わらせよう、生きるだけ資源のムダだ、私なんぞが生きるのは。
そう真剣に考えていた時もある。
そしてその時の考えが間違っているとも思っていない。
これ自体は紛れもなく事実だ。
で、生まれた以上、生きるのは義務だ。
これはもう、人間ごときがひとりの考えでどうこうできるようなレベルの話ではない。
例えて言うなら、あなたがいくら万引き自由の法律作ろうぜと叫んだところでどうにもならないのと同じだ。
国や地方自治体とか、ちょっと知恵を絞れば手が届くところが決めている話ではないのだ。
根源的なルールである。
ルールというか、システムそのものと言ってもいい。
システムそのものなので、いい悪いとか好き嫌いで論じられる話ではないのだ。
ルールだったらそれこそ巨悪の支配者やそれっぽい立場の人がいじれるかもしれんが、この世のシステムそのものなので、改変とかのレベルではないのだよ。
だから、生まれた以上、生きるのだ。
とはいえ、この世は理不尽で不条理である。
私は何度もここでその事実は伝えてきた。
見方によるとはいえ、宇宙も世界も理不尽で不条理であることは事実だ。
おいおいこの記事どこまで落とすつもりだよって感じだが、まあ待ってくれ。
ここで言いたいのは、世界や宇宙が理不尽で不条理であるのは、社会で生きる人間としての目から見たら、という条件下においてということだ。
社会で生きる人間はまじで徹底的に意識を制限されている。
競走馬のように視界を遮られている。
ガムテープでも貼られているかのように、言論を封じられている。
耳栓を強制的に突っ込まれているかのように、聞こえるものがほとんどない。
そんな条件下だったら、そりゃもうこの世界は理不尽で不条理なのだ。
生まれてきたことを悔やみたくもなるし、泣きたくもなる。
制限されまくりだからだ。
しかし、我々は社会的な側面と同時に、超自然的な存在でもある。
仮に、社会と言うものが皆無な環境だったとしても、自然に任せていれば人もまた動植物同様、この世に生まれ、育っていくものだからだ。
社会が歪んでいるだけで、自然は別に歪んじゃいない。
水があり、空気があり、海にも山にも植物が豊富にあり、手に余るほどの必要物資は自然がとっくに用意してくれているので、そこに理不尽さなどないのだ。
超自然的な感覚さえ取り戻せば、この世はさほど過酷な場所でもなんでもない。
なんだ、そんな着地点か、じゃあ社会でしか俺は生きていないからやっぱり理不尽で苦しいままじゃないかと思われたかもしれない。
が、それもちょっと待ってくれ。
着地点はそこじゃないんだ。
理不尽だと散々酷評している社会といふものだが、これもまた、超自然発生した人間の作り出したものだ、所詮。
後天的なものである。
先天的なものはどうしようもない要素が多いが、後天的なものは挑む余地がいくらでもあるものだ。
先ほど書いたように、重要なのは超自然的な「感覚」の部分である。
超自然的に物理的に生きることではなく、感覚の部分が重要なのだ。
誰も渋谷に生きながら素潜りして魚にモリを撃って来いとは言っていない。
誰も難波で会社勤めしながらエベレストに登れとも言わん。
そういうことじゃなくて、ちょっとずつでいいから社会的感覚の枷を外していけという提案だ。
何度も言うが、社会的感覚はものすごい制限を課せられているものなのだ。
アレやっちゃダメ、コレしたら変に見られる、ソレ思ったらここから出ていけ、とアホみたいなルールだらけだろう、それが社会的感覚の枷だ。
そのせいでほとんどの人が人として本当に必要なものや、本当にマズいことがわからなくなっている。
まずは手始めに、家の中に自然を持ち込んでみて欲しい。
動物飼ってらっしゃるおうちはいいねえ、そのまま、動物たちの愛を感じるとよいよね、今までよりじっくりとね。
最初は百円ショップで小さい観葉植物からとかでいいんだ。
百円のパキラひとつにも宇宙の粋が凝縮されてるからさ。
で、そのうち、自分の命ひとつが、実は何億光年も遠い宇宙の果てにむちゃくちゃ影響があることがわかってくる。
こんなんウソくせえと思われるだろうが、マジなのだ。
別に信じなくていいけど、自分の命や生き方や思考が何億光年もの果てに多大な影響を及ぼすんだよ。
そんなんあるわけないと思ってしまうのはそれこそ社会的感覚の枷のせいだ。
制限かけまくられてるから自分を過小評価したくなる。
あなたがあなたを尽くして生きてることで、死ぬほど遠い世界の何かが救われたり幸せになったりする。
例え、それを自分が実感することがなくても、それが事実なんだからしょうがない。
生きるのだ。
あなたは世界のシステム、そのものなのだ。
生きてるだけで大変っていう世の中なので、魂が傷付いている人も多い。
魂のヒーリングに特化した動画作ったので毎日見てくれたまえ。
エネルギーワーク入れてます。
この動画の映像が頭上にあるようなイメージすると効果的だ。
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