全否定、部分否定について | お金と自由とライフワークと萌え

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完全に全てが正しい人などこの世に存在しない。

かのブッダですら家族を捨てて出家しているわけだ。

誰しも生きてりゃ人と関係するものだし、関係者全てが潔白であるというのも奇跡に近いだろう。

完璧な者などどこにもいないのだ。

なのに、人は何か知らんがちょっとアイコン的な存在に出会うと完璧さを求める傾向がある。

全くの黒歴史がなく、全ての思考、考えが理想的で、なんか知らんが家族も美しいみたいな、なんかそういう幻想を抱くというか。

だから、芸能人や有名人のゴシップは売れるわけだ。

実にくだらないが、人が人に憧れた時の完璧さを求める傾向を逆手に取った商売である。

「信じてたのに裏切られた」

みたいな気持ちにさせられることがなぜか商売になる世界なのだ。

 

 

 

先日、私がフォローしているとある大手アカウントが別の大手アカウントと揉めて(?)ブロックしました的なことがあった。

フォロワーたちは大騒ぎである。

Aさんのこと好きだったのに、Bさんってそんなこと言う人だったんだね、とかまぁまぁザワついた。

 

 

 

ただ傍観していて思うのは、まるごと正しいかどうかで見るのではなく、部分部分で見ればいいじゃないかということだ。

Aさんのこの意見が好きだ、しかし、あの見解は好きじゃないとか、Bさんのこの動画は素晴らしかったが、新しい動画で展開してた理論は受け入れられないとか。

なにも、意見=Aさんの全て、動画=Bさんの全てではないのだ。

 

 

 

世の中の全ては、全てにおける一側面でしかない。

例えば私で言えば、このブログは私の一側面に過ぎず、私の意見や考えの全てが詰まっているわけでもない。

実際、過去の自分の記事を読み返すと「あーあーこの頃はこんなこと考えてたんだね、今の自分じゃあり得ないわ」と思うこともある。

それを、たまたまその過去記事を読んだ人が「アイザワはこういう人だ」と判断したとして、今の私からしたら完全に誤りなわけである。

そして、これが世の中の全てに通ずる。

 

 

 

なにもかもダメな人はいないし、なにもかも完璧な人もいない。

なにかひとつの側面を見ただけで、全否定することもなかろう。

部分否定でいいし、そして部分否定を激重感情で対応することもない。

ああ、こんなことを書いているが、私はかつて、人の一側面を見て全否定しまくる上に激重感情で吠えていたクチだ。

な、人は変わるんだ。

部分否定だけしてサラっとかわすのがよいのだよ。

 

 

 

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