2022. 6. 5 (日) 19 : 00 ~ サントリーホールにて
ロボダ:レクイエム ~果てしない苦難にあるウクライナに捧げる (ヴァイオリンソロ)
シルヴェストロフ:セレナード (ヴァイオリンソロ)
ヴァインベルク:ヴァイオリン・ソナタ 第5番 Op.53
シューマン:子供の情景 Op.15より 第1曲「見知らぬ国と人々について」
J.S.バッハ:イギリス組曲 第3番 ト短調 BWV808より 第5・6曲 ガヴォット I・II
スカルラッティ:ソナタ 二短調 K.141 (L.422) (以上アルゲリッチ・ソロ)
ショスタコーヴィチ:ピアノ三重奏曲 第2番 ホ短調 Op.67
(アンコール)
ベートーヴェン: 三重協奏曲 ハ長調 op.56から 第2楽章
ロボダ: タンゴ「カルメン」
シューベルト: 君はわが憩い D776
ピアノ:マルタ・アルゲリッチ
ヴァイオリン:ギドン・クレーメル
チェロ:ギードレ・ディルヴァナウスカイテ
サントリーホール2日目、先週日曜のコンサートです。1日目の記事はコチラ
演目は両日ともに同じ。
今回はせっかくなので作曲家のことを交えて書きます。当日もらった無料パンフの萩谷由喜子氏の解説も一部引用しています。
最初の2曲のクレーメルのヴァイオリン・ソロ。クレーメルは前日の紺色のシャツとは変わって白いシャツでおでまし。
さて、いずれの作曲家も今回聴くまで私は知らなかった。
1曲目のロボダの「レクイエム~果てしない苦難にあるウクライナに捧げる」。
イーゴリ・ロボダ (Igor Loboda:1956~)はジョージアのトビリシ出身のヴァイオリニスト、作曲家。
イーゴリ・ロボダ:1956~
(画像はこちらのサイトよりお借りしました)
この作品は2014年のウクライナ紛争(ロシアがクリミア半島を無理矢理併合した)の犠牲者に捧げられた曲。クレーメルは今年2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻を予想したかのように今年1月のウィーンでのリサイタルで本作を演奏、侵攻後の3月にもウィーンで演奏したそうだ。you tubeで検索するとリサ・バティアシュヴィリが演奏している「レクイエム」がヒットするが、この作品とは違うみたい。ただ、最後に左手で弦をポン、ポンと5回ほどはじくあたりは一緒。
ここの箇所、消え入るように弦をはじきながら終わっていくのに、この日どっか(1階席)のアホが完全に終わってないのに大きな音(しかも柏手で)拍手を始めた 誰も追随しなかったので数回の拍手で途切れたがクレーメルは完全に気がそがれた様子に思えた。ほんっとに大バカ野郎め~
続いてシルヴェストロフの「セレナード」。
ヴァレンティン・シルヴェストロフ(Valentin Vasylyovych Silvestrov)はウクライナ出身の作曲家。キーウ生まれでキーウ音楽院で学び、1974年にソ連作曲家同盟から除名されると西側と結びつくようになる。2017年に初来日したときの貴重なインタビューがコチラに載っています。
ヴァレンティン・シルヴェストロフ (1937~)
(画像はこちらのサイトからお借りしました ©油谷岩夫)
そして・・
今回のロシアのウクライナ侵攻でシルヴェストロフは現在はベルリンへ避難しているそうだ。キーウにとどまっていたのを娘と孫娘の強い要望でベルリンに退避したそう。キーウからリヴィウへ、そしてポーランドを経由して3日かけてベルリンへ移動したそうだが、その移動中に大勢の難民や車の列が延々と何キロも続くのを目にしてウクライナの惨状を感じた彼は、ベルリンでピアノ作品を2曲作曲、いずれもエレジーと題されたものが含まれている。1つめはベルリンに到着した翌日の3月9日に書かれた《3つの作品》。
2つ目は3月16日作曲の《パストラーレとエレジー》でウクライナの状況をベルリンで見聞きするうちに次第に落胆を深めつつ書かれたもの。このエレジーはシャコンヌであり”悲しみの反応”とシルヴェストロフは表現しているそう。(詳しくはコチラの記事)
この作品は寂寥感の漂うシンプルな主題が反復して静かに歌われる。重音の他は特殊技巧を一切用いることなく、ただ旋律とリズム、そっと寄り添う和声、しみじみとしたテンポとヴァイオリン独特の音色によって胸に染み入る音楽が紡がれる。
下の動画では本作品が始まるのは35秒あたりからですが、それまでシルヴェストロフ本人が出てきてます(たぶん録音に立ち会ったときだと思います)。
シルヴェストロフ:セレナード (4分6秒)
/ Myroslava Kotorovych (Vn)
2日聴いてみて、シンプルな旋律なのになんでこんなに心に染み入るのだろうと思う。
クレーメルの音色がなんともいえない。彼の内に秘めたものを音で語りかけてくる気がした。
この曲は2012年の来日時にもアンコールで弾いたそうだ。
次はヴァインベルクのヴァイオリン・ソナタ第5番。
今回はヴァインベルクについても書きたい。
ミェチスワフ・ヴァインベルク(Mieczysław Wajnberg)は、ポーランド出身でソ連・ロシアで活動した作曲家で、その生涯はまさに波乱万丈なのです。
ミェチスワフ・ヴァインベルク (1919.12.8-1996.2.26)
(画像はinterludeよりお借りしました)
1919年にワルシャワのユダヤ人の家庭に生まれた。祖父や曾祖父は1903年のキシナウ (モルドバの首都)で起こったポグロム (ユダヤ人に対する大虐殺)で殺されている。
ワルシャワに逃れた父はイディッシュ劇場で指揮者やヴァイオリン奏者をしながら生計を立てていた。
ミェチスワフは12歳でワルシャワ音楽院でピアノを学んだが、1939年にナチス・ドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発すると、ミェチスワフと妹はワルシャワを脱出しようとする。しかし、ミェチスワフは、靴が足に合わず別の靴を取りに家に戻った妹と途中ではぐれてしまう。彼は単身でベラルーシに逃れ次いでウズベキスタンで難民生活を送ったのち、彼の才能を認めていたショスタコーヴィチの助力によりモスクワへ移り、ふたりは親交を深めた。若きヴァインベルクはショスタコーヴィチに多大な影響を受け、「生まれ変わったようだった」と後に語った。
ショスタコーヴィチ(左)とヴァインベルク(右)
(画像はinterludeよりお借りしました)
しかし、モスクワでも反ユダヤ主義の標的となり過酷な日々を過ごしながらも作曲を続けていた彼は、ある日両親と妹が強制収容所に送られそこで亡くなっていたことを知る。
ヴァインベルクの義父で俳優だったソロモン・ミエホリスはスターリンの戦後の反ユダヤ主義運動の一環として1948年に殺され、ヴァインベルクのいくつかの作品は同年のジダーノフ批判で禁止となる。彼は映画やサーカス音楽の作曲で生計を立てていたが1953年2月に逮捕されてしまう。ショスタコーヴィチは彼を救済するために奔走するが、翌月にスターリンが死去したことで処刑をまぬがれ九死に一生を得た。後に公式に名誉回復がなされた。
その後はモスクワに住んで作曲を続けた。晩年にはクローン病に罹患し寝たきりの状態となったが作曲を続けた。
彼については、wikipediaの他、interlude (コチラやコチラ)が興味深かったです。
『My moral duty is to write abouto the horrors that befell mankind in our century.』
(私の道徳的な義務は我々の世紀に人類を襲った恐怖について書くことです。)
ヴァインベルクはピアノとヴァイオリンのためのソナタを6曲書いているが、初期4曲は1943~47年に集中して書かれているが第5番は1953年、第6番は1982年と離れた時期に書かれている。特に第5番は屈指の傑作とされ、ショスタコーヴィチの影響やユダヤの旋律的要素がみられる。
この曲やっぱり好きだなぁ。後半のショスタコのピアノトリオも好き。どっちもなんともいえない、ひたひたと迫ってくるような暗さや哀愁が好きだ。彼らの生涯を知って聴くとよけいに色々と考えさせられる。 年のせいなのか、元々根暗だからなのかw 昔だったら好きになりそうにない曲かもしれない作品が胸にグッとくる。
そして年齢を経て人生の深みがあるふたりのデュオは心に染み入りまくりなのだw
最高に素晴らしかった
ふたりのこの曲の演奏はルガーノ音楽祭での録音もあるので興味ある方はぜひ聴いてみてください(you tubeにもあります)。
マルタ・アルゲリッチ ルガーノ・レコーディングス 2002~2016
(No.9029594897) (22CD)
後半最初はアルゲリッチのソロ。曲は前日と同じだった。
今日でアルゲリッチを聴くこともしばらくないな、と思うとほんとに名残惜しかった。
この日は2階の右サイドの席だったので、手元はみえないが彼女の表情やペダリングはよく見えた。あらためてガン見するとペダリングもすごい バッハのガヴォットIIなんか、めちゃめちゃ細かくダンパーペダルを踏んでいた。
指回りなどテクニックが~云々がどうでもよくなる。彼女のピアノはただただ好き、それだけなのだ 彼女の演奏動画はいっぱいあるがやはり生で聴かないと真の素晴らしさはわからないと思う。
ほんとならモーツァルト、ベートーヴェンやシューベルトのピアノ・ソナタ全集を録音してくれたらどんなに狂喜乱舞かwと思うんだけど叶わぬ夢なんだろな・・
最後はショスタコーヴィチのピアノ三重奏曲第2番。
ショスタコーヴィチの生涯については、彼の命日の8月9日に書いたことがあります。
この作品はショスタコーヴィチが親友のイワン・ソレルチンスキーの追悼音楽として第二次世界大戦中の1944年に作曲された。彼のピアノ三重奏曲は17歳時に書かれた第1番とこの第2番の2曲がある。ロシアではその昔チャイコフスキーが故ニコライ・ルービンシテインを偲んでピアノ三重奏曲「ある偉大な芸術家の思い出に」を書いて以来、音楽関係者の死去に際してピアノ三重奏曲が書かれる慣習があるのだそう。
第1楽章は面白いことにチェロがより高い音域を(弱音器をつけたハーモニクスによる挽歌)、ヴァイオリンは6小節遅れで低い音域で同じ旋律を奏でる。第2楽章はスケルツォ楽章できびきびとしているが、第3楽章は哀悼の念を含んだ緩徐楽章、第4楽章は第3楽章から切れ目なく演奏され、「ユダヤの旋律」を中心主題としている(弦のピチカートに導かれてピアノがユダヤ民謡風のシニカルな旋律を奏し、執拗に繰り返される)。終楽章については、墓場を歩き回るというイメージで作曲されたという説もあり、ヴァイオリンがピチカートで呈示する主題が、墓場に眠る遺骨の上をうろつく男を描写しているとも言われた。
この日は席が変わったせいなのか、前日に比べてチェロがすごく響いてきた
チェロのディルヴァナウスカイテさん(クレーメルの奥様?)、すごくうまい!!
第3楽章のラルゴでのチェロのソロなど素晴らしかった。 前日と違い(たぶん席のせい)、ヴァイオリンとチェロが対等にわたりあっていてさらによかった。
アンコールは3曲。
1曲目と3曲目がそれぞれヴァイオリンとチェロのソロがあって、チェロソロとヴァイオリンソロが2曲で逆の順で奏でられるのもなんだかイキだった。
カーテンコールでは前日と同じく、3人で手をつないで舞台の端から端まで拍手に応えに来てくれた。
さて、今回は作曲家についても書いたがこうして各作曲家の生涯や背景を知ると、今回のプログラムには深い意味があると思わざるを得ない。
ふたりの演奏が単に素晴らしかった~だけではなく、この演目を通してふたりが伝えたかったこと、我々が考えなくてはならないこと、たくさんあると思う。今回おふたりの演奏を、このプログラムで聴けて本当によかった。
今年は3年ぶりに別府アルゲリッチ音楽祭が開催され、そのおかげで私も今年は4回も彼女のピアノを聴くことができた。3年ぶりに聴いた彼女のピアノはまったく衰えることもなく、多くの喜びと幸せを与えてくれた。彼女もクレーメルも、そして私自身も年々年を取っていくので、来年どうなっているかわからない。来年またお元気で来日できますように!
私たちの親愛なるマルタ・アルゲリッチ総裁へ
— 別府アルゲリッチ音楽祭 (@argerich_beppu) June 5, 2022
お誕生日おめでとうございます
大分そして日本へ心を寄せてくださり深く感謝申し上げます
いつまでもお元気でいてください
あなたとご家族の幸せを心から願っています
大分から愛をこめて
アルゲリッチ芸術振興財団一同#6月5日はアルゲリッチの日 pic.twitter.com/nFzXvLApQw
アルゲリッチばんざい