9月14日 ~ オペラと宗教音楽のケルビーニ 生まれる | Wunderbar ! なまいにち

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まだまだひよっこですがクラシック大好きです。知識は浅いがいいたか放題・・・!?

皆さま、今日もお元気でお過ごしでしたか?お月見 今週もがんばりましょ~ぶどう

 

「今日はなんの日」のコーナーです。

参考にしたのは、近藤憲一氏著「1日1曲365日のクラシック」という本で、それにプラスαで書いています。(写真はwikipediaなどwebからお借りしました)

 

今日、9月14日は・・・作曲家 「ルイジ・ケルビーニの生誕日」です。バースデーケーキ クラッカー クラッカー

 

Luigi Cherubini : 1760.9.14-1842.3.15

イタリア出身でフランスで活躍した作曲家、音楽教師

 

ケルビーニはモーツァルトやベートーヴェンと同世代のイタリア出身の作曲家で、フランスで活躍しました。19世紀に隆盛を誇る壮麗なグランド・オペラの創始者とされています。オペラの代表作は、マリア・カラスが蘇演して人気作になった《メデア》ですが、宗教音楽でも有名です。中でも(今日の曲でもとりあげる)《レクイエム ハ短調》は、”3大レクイエム”に入れるべきという声もあるくらいの傑作だそうです。 今日は生誕260周年ビックリマーククラッカークラッカー

 

 

ルイジ・ケルビーニ(本名はマリア・ルイジ・カルロ・ゼノービオ・サルヴァトーレ・ケルビーニ (Maria Luigi Carlo Zenobio Salvatore Cherubini)は、1760年の今日、9月14日にイタリア(当時はトスカーナ大公国)のフィレンツェで生まれました。

6歳から音楽家の父親から音楽教育を受け、13歳までには宗教曲をいくつか作曲していたそうです。1778年(18歳)から2年間、ボローニャとミラノで音楽を学びました。

 

1788年(28歳)からパリへ移住。 1791年(31歳)にオペラ「ロドイスカ」で最初の成功を収め、1797年(37歳)に現在彼のオペラの中で最も有名な「メデア」Médée)を発表しました。

しかし、(wikipdeiaによると彼の理想が高く束縛を嫌う性質や、作品の厳粛さなどが理由で)彼の作品は大きな劇場では上演されず、小さな劇場で上演せざるを得なかったそうです。

 

1795年(35歳)に音楽院(現パリ国立高等音楽院)の視察官に就任。

1805年(45歳)にはウィーンに招聘、翌年に自作のオペラ「ファニスカ」を自ら指揮して上演、ハイドンやベートーヴェンから熱心な支持を受けました。

 

ケルビーニは徐々に宗教音楽の創作活動をするようになり、7つのミサ曲や2つのレクイエムなど多数の作品を書きました。(この頃王政復古が起こり、「王室音楽監督」にも任命されました)

1815年(55歳)にはロンドン・フィルハーモニック協会の委嘱で、交響曲、演奏会用序曲、管弦楽つき合唱曲を作曲、これらをロンドンで自ら指揮して上演して成功を収めたことで一層の国際的名声を得ました。

 

ルイ16世の処刑を悼んで作られ、翌1816年(56歳)に発表された《レクイエム ハ短調》は特に大成功を収めました。この作品はベートーヴェン、シューマン、ブラームスにも絶賛されており、ハンス・フォン・ビューローは『モーツァルトのレクイエムよりも優れている』と評価しているそうです。

 

1822年(62歳)にパリ音楽院院長に就任。

1835年(75歳)に弟子のジャック・アレヴィの補佐を得て、「対位法とフーガ講座」(後述)を出版しました。

 

1842年にパリで永眠、81歳でした(当時としてはすごい長寿ですね!) 彼のお墓はパリのペール・ラシェーズ墓地にあり、ショパンのお墓の4つ左隣にあるそうです。

 

パリのペール・ラシェーズ墓地にあるルイジ・ケルビーニのお墓

 

 

ケルビーニの4つ奥にはショパンのお墓(奥の白い彫像のもの)

 

1820年代にロッシーニなど華やかなオペラがパリに入ってくると、古典的なケルビーニらのオペラは時代遅れになりましたが、現代になって1953年にマリア・カラスが主役を演じた「メデア」の上演や、1957年にカルロ・マリア・ジュリーニに指揮による「アバンセラージュ族」の上演(イタリア語上演)などは、彼の作品が復活、見直されるきっかけとなりました。

 

《レクイエム ハ短調》を現代に復活させた大きな立役者は、1950年にトスカニーニが指揮したNBC響の録音(あとで載せます)です。現在では彼の他の作品も録音されており、リッカルド・ムーティは、彼のミサ曲を録音した他、2004年にケルビーニの名を冠したユース・オーケストラ、「ケルビーニ管弦楽団」を創設したそうです。

 

ベートーヴェンはケルビーニのことを、当時の最も優れたオペラ作曲家を評価していました。

彼が書いた「対位法とフーガ講座」(1835年に初版が出版)は、ショパンやシューマン夫妻もこれで学んだそうです。ケルビーニが院長を務めていたパリ音楽院だけでなく、英国王立音楽院の授業でも採用されたことがあるそうです。

 

 

それでは今日の曲です。

”3大レクイエム”に入れるべきだともいわれる、《レクイエム ハ短調》から「アニュス・デイ」です。 近藤氏によると、「オペラ作曲家の手によるだけに非常にドラマティックだが、美しい合唱旋律にも均整のとれた形式にも、ウィーンで出会ったベートーヴェンを感動させた格調の高さがある」 だそうです。

「アニュス・デイ(神の子羊)」のみはなかったので、全曲を載せます。この曲の復活のきっかけとなったトスカニーニ&NBC響のものです。

 

ルイジ・ケルビーニ:「レクイエム ハ短調」 (48分13秒;アニュス・デイは41分1秒~)

/ トスカニーニ&NBC交響楽団、ロバート・ショウ コラール (1950年2月18日)

 

 

ルイジ・ケルビーニ (1760-1842)