9月13日 ~ ”音の魔術師” ストコフスキー 没 | Wunderbar ! なまいにち

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まだまだひよっこですがクラシック大好きです。知識は浅いがいいたか放題・・・!?

皆さま、週末もお元気でお過ごしでしたか?お月見

テニスの大坂なおみ選手、全米オープン優勝!! すごいですクラッカークラッカークラッカー

今大会は人種差別への抗議へのモチベーションもあったためか一層強くなった気がしました。

ただ決勝戦の様子がWOWOWの独占放送だったせいかほんのちょっとしか見れない?のが残念です汗 とにかくおめでとうございます!!

 

 

さて、今日はほんとはこの下差しコンサートの予定でしたが、やはり新型コロナで中止に。

 

でもその代わりに今日は辻井さんのソロ・リサイタルの福岡公演があってるはずです。

私は行けませんでしたが(瞬殺するチケットを平日に販売するのやめてくれっちゅうねんえー?)、行かれた方々はきっと楽しまれたことと思います。

 

 

 

 

さてさて、「今日はなんの日」のコーナーです。

参考にしたのは、近藤憲一氏著「1日1曲365日のクラシック」という本で、それにプラスαで書いています。(写真はwikipediaなどwebからお借りしました)

 

今日、9月13日は・・・指揮者 「レオポルド・ストコフスキーの命日」 です。

 

Leopold Antoni Stanislaw Boleslawowicz Stokowski, 

1882.4.18-1977.9.13; イギリス出身、アメリカで活躍した指揮者

 

ストコフスキーは「音の魔術師」ともよばれた、アメリカで活躍したスター指揮者でした。

映画「オーケストラの少女」に実名で指揮者として出演してた人ですね。私も小さいころにテレビの洋画劇場でこの映画を観ました。

以降は彼の名前すらずっと忘れてましたが、再び知ることになったのは、フィギュアの浅田真央ちゃんが2010年のバンクーバー五輪でラフマニノフの「鐘」(前奏曲嬰ハ短調)を滑ったときです。この曲いいなー音符と思って原曲を探すと、え?これピアノ曲だったの!?(当時クラシックなんか全く興味なかったもんであせる) 真央ちゃんが滑ったときのようなオケ版ってないのかな?と探したときに見つけたのが、ストコフスキーが編曲した「鐘」でした。 で、「この人あの「オーケストラの少女」の指揮者のおっちゃんだったの!?」となったわけですにやり

 

 

レオポルド・ストコフスキーは、1882年4月18日にイギリスのロンドンで生まれました。父はポーランドからの移民、母親はアイルランドからの移民でした。幼少期からピアノ、オルガン、ヴァイオリンを始め、1895年に最年少の13歳で王立音楽学校に入学を許可されました。

1898年(16歳)に王立オルガニスト学校、オックスフォード大学クイーン・カレッジに入学。

1903年(21歳)に音楽学士の学位を取得、同年ロンドン、ピカデリーの聖ジェームス協会のオルガニストとしてキャリアをスタートします。

1905年(23歳)に渡米、ニューヨークの聖バーソロミュー教会のオルガニスト・合唱長に就任しますが、3年後に解雇されます。

 

若いころのストコフスキー

 

1909年(27歳)パリのコロンヌ管弦楽団で急病となった指揮者の代役として指揮者デビュー。その6日後にはロンドンでもデビューしました。同年から3年間シンシナティ響の常任指揮者を務めたのち、1912年(30歳)から1940年(58歳)までの長きにわたってフィラデルフィア管弦楽団の常任指揮者を務め、同楽団を世界で一流といわれるレベルに育て上げました。

この時代の1937年(55歳)に映画「オーケストラの少女」に実名役で出演1940年(58歳)にディズニー映画「ファンタジア」に同楽団と音楽を担当(ストコフスキーはシルエットとしても出演)しました。

 

映画「オーケストラの少女」(1937年)で主役のディアナ・ダービンと

 

フィラデルフィア管の職を辞任した後、「全米青年管弦楽団」(1940年)、「ニューヨークシティ管弦楽団」(1944年)、「アメリカ交響楽団」(1962年)といったオーケストラを創設しました。

 

1941-44年NBC交響楽団の常任指揮者、1945-46年ハリウッドボール交響楽団常任指揮者、1946-50年ニューヨーク・フィル指揮者(この間1947年(65歳)に映画「カーネギーホール」に出演)、1955-60年ヒューストン交響楽団常任指揮者、1962-72年アメリカ交響楽団の初代常任指揮者などを歴任しました。

1961年(79歳)に生涯唯一となるオペラハウスで指揮(メトロポリタン歌劇場で「トゥーランドット」)、1965年(83歳)に初来日、日フィルと読響を指揮しましたがこれが唯一の来日となりました。日フィルとの7月13日の日本武道館公演は、武道館での初めてのクラシック公演だったそうです。

 

晩年はこの横に伸びた白髪を振り乱しての指揮が鬼気迫るものがありますにやり



1973年(91歳)にアメリカ交響楽団を秋山和慶氏に譲って母国イギリスへ帰りましたが、生涯現役を貫いて精力的に音楽活動を続けました(公開の演奏会は1975年(93歳)が最後)。

1976年(94歳)にはCBSコロンビアと6年契約(100歳まで!ハッ)を結びましたが、翌1977年の今日、9月13日にハンプシャー州ネザーウォロップの自宅で心臓発作により95歳で他界しました。この6日後にはラフマニノフの交響曲第2番の録音予定で、数年後にはベートーヴェンの「田園」をデジタル録音する予定だったそうです。

 

 

ロンドンのイースト・フィンチリー墓地にあるストコフスキーのお墓
 

彼の果たした功績は非常にたくさんあります。

 

早い時期から録音に積極的で、1925年(43歳)に初のオーケストラの電気録音、1932年(50歳)には世界初となるステレオ録音を行いました。

ブラームスの交響曲全集を初めて作ったのもストコフスキーだそうです(1927-31年に録音)。

 

アメリカの聴衆に様々な作曲家の作品を積極的に紹介、初演しました。wikipediaに載っていたものを挙げると・・・

 

1916年(34歳):マーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」、R.シュトラウスの「アルプス交響曲」のアメリカ初演 (昨日の記事にも書いたように、彼はマーラーが指揮した「千人の交響曲」の世界初演を客席で聴いたそうです)

1922年(40歳):ストラヴィンスキーの「春の祭典」、ファリャの「恋は魔術師」のアメリカ初演

1931年(49歳):ベルクの歌劇「ヴォツェック」のアメリカ初演

1932年(50歳):シェーンベルクの「グレの歌」、ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」のアメリカ初演

1934年(52歳):ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」の世界初演

1937年(55歳):ラフマニノフの「交響曲第3番」の世界初演

1940年(58歳):シェーンベルクの「ヴァイオリン協奏曲」の世界初演、ショスタコーヴィチの「交響曲第6番」のアメリカ初演

1947年(65歳):R.シュトラウスの「メタモルフォーゼン」のアメリカ初演

1965年(83歳):アイヴズの「交響曲第4番」の世界初演

 

指揮やオーケストラについても色々あります。

 

ストコフスキーは指揮棒を使わずに指揮しましたが、その理由については、

『1本の棒より、10本の指の方がはるかに優れた音色を引き出せる』 と語ったのは有名な話です。

 

作品をより分かりやすく、効果的に聴かせるためには原曲の改変も辞さず(これには賛否両論ありましたが)、その独創的な解釈と音色は「ストコフスキー・サウンド」(日本では「ストコ節」ともよばれた)と呼ばれ、”音の魔術師”の異名をとりました。

 

よりよい音響を求めて、オーケストラの配置についても研究し、それまで多かった第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンを左右両翼に分けていた配置を、現在のようにまとめて配置する形を生み出したのはストコフスキーです。この配置は「ストコフスキー・シフト」と呼ばれ、以後世界中に広がりました。 その後彼は弦楽器群と管楽器群を左右に分ける配置も試みるようになりました。 弦楽器については意図的にボウイングを統一しないようにしたそうです。

 

また最初にラフマニノフの「鐘」の編曲の話も書いたように、彼の特徴は「編曲」を積極的に行ったということです。

特に、J.S.バッハの作品の編曲は有名で、中でも「トッカータとフーガ ニ短調」は今でもよく演奏されています。これは最初オケの練習用として編曲されたそうですが、好評だったので演奏会でも使ったところ評判がよかったそうです。これにも賛否両論あったそうですが、彼自身はバッハ作品の編曲については、

『彼(バッハ)が私の編曲をどう思うか、それは私の死後の運命がどうなるか分からないけど、とにかく行った先で彼に会ってみないことには何とも言えない。』 と語ったそうです。

ムソルグスキーの「展覧会の絵」の編曲では、ラヴェル編曲版では冒頭プロムナードの旋律をトランペットが吹きますが、ストコフスキー版では弦楽器が演奏するそうです。

 

 

それでは今日の曲です。前述した、彼が編曲したJ.S.バッハの「トッカータとフーガ」です。

ちょうど彼自身が指揮した映像があったので、それを載せます。

 

J.S.バッハ/ストコフスキー編:トッカータとフーガ ニ短調 BWV565  (11分11秒)

/ ストコフスキー&チェコ・フィル (1972年)

 

これ彼が90歳のときの映像です。椅子も置いてあるのに立ったまま、しかも背筋びしっとしていて若い!そして前から思ってたけど、手がでかい!指が長い!こんな手だったら確かに指揮棒持たなくても10本の指それぞれが指揮棒みたいです・・・

 

もう一つ、彼の肉声が聴ける、リハーサルの映像を。

 

ベートーヴェン:レオノーレ序曲 第3番 Op.72b リハーサルシーン

/ ストコフスキー&アメリカ交響楽団 (1968年 マディソンスクエアガーデンコンサートホール)

 

時々指揮台をバン!と叩いて怒ってます・・・笑う

 

 

私は実はストコフスキーはあんまり好きじゃなかったんですが、それは偏見もあったかもしれません。

 

 

『画家はキャンバスに絵を描く。音楽家は静寂に絵を描く。』

レオポルド・ストコフスキー (1882-1977)