9月10日 ~ スペインの名テノール、クラウス 没 | Wunderbar ! なまいにち

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「今日はなんの日」のコーナーです。

参考にしたのは、近藤憲一氏著「1日1曲365日のクラシック」という本で、それにプラスαで書いています。(写真はwebからお借りしました)

 

今日、9月10日は・・・スペインの名テノール 「アルフレード・クラウスの命日」 です。

 

Alfredo Kraus Trujillo : 1927.11.24-1999.9.10; スペインのテノール歌手

 

昨日はスウェーデンの名テノール歌手のユッシ・ビョルリングの話でしたが、今日はスペインの名テノール歌手の話です。

近藤氏いわく、”スペインの三大テノール”は、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラス、そして彼らの先輩のアルフレード・クラウスだそう。

 

ドミンゴはいませんが、名テノール揃いぶみ~音符 左からクラウス、ジャコモ・アラガル、ルチアーノ・パヴァロッティ、ホセ・カレーラスです。パヴァロッティ以外の3人はスペイン出身です。

 

クラウスは20世紀後半の最も偉大なリリコ・テノール歌手といわれます。そのやわらかな美声と端麗な容姿で聴衆を魅了しました。

 

 

アルフレード・クラウスは、1927年11月24日にスペインのカナリア諸島のラス・パルマスで3人兄弟の末っ子として生まれました。 彼の両親はオペラやサルスエラ(スペイン特有の抒情的オペラ音楽)好きで、彼も4歳からピアノを習い、8歳のときに小学校の合唱団に参加しました。

 

子供時代のアルフレード・クラウス

 

父親の希望もあり、1945年(18歳)からは電気技師になるべく工業学校に入りますが、一方で地元の合唱団などで歌っていました。1948年(21歳)にバルセロナへ行き、本格的な声楽の訓練を始め、1955年(28歳)からはミラノで学び、同年ジュネーブ国際コンクールで入賞しました。

彼は性急な公演デビューを避け、呼吸法や声帯の動かし方など科学的な声楽訓練を長期間に渡って行い、自分の声をじっくりと作り上げたそうです。

 

1956年(29歳)にエジプトのカイロの劇場で、ヴェルディの「リゴレット」公爵役、プッチーニの「トスカ」カヴァラドッシ役でデビューしました。しかしこのときもクラウスはカヴァラドッシ役が自分の声質や声量に適さないと気づき、以後はレパートリーから外しています。

同年ヴェネツィア、トリノでイタリアデビュー、1959年(32歳)にはロンドンのロイヤル・オペラ・ハウス、1960年(33歳)にはミラノ・スカラ座にデビューするなど目覚ましい活躍を始めました。

 

若いころのクラウス

 

1965年(38歳)から歌ったマスネの「ウェルテル」のウェルテル役で歌うアリア「春風よ、なぜ私を目覚めさせる」は絶品とされ、彼の名を一躍有名にしました。

 

ウェルテルを演じるクラウス

 

1970年代後半(40代後半)以降はテクニック上の完璧を期すために、レパートリーをウェルテルやドニゼッティ「連隊の娘」トニオ役など10程度にまでしぼったり、年間の舞台数を20-25に制限するなど禁欲的な舞台生活を送りました。

1992年(64歳)に開催されたバルセロナオリンピックの開会式ではオリンピック賛歌を独唱しました。

 

日本には1971年(44歳)および1973年(46歳)にイタリア歌劇団の一員として来日しました。

1996年6月(68歳)にデビュー40周年記念リサイタルで最後の来日公演を行いましたが、69歳とは思えない声は往年のままで歌唱力は円熟味を増し、聴衆の大喝采を浴びたそうです。

この最後の来日公演は映像化されています。下差し

 

「アルフレード・クラウス 東京リサイタル1996」

(1996年6月15日 東京 オーチャードホール ライブ) (Dynamic   DYNDVD33606)

 

ちょうどこの時の公演の映像があったので載せます。

前述した、彼を一躍有名にしたマスネの歌劇「ウェルテル」から「春風よ、なぜ私を目覚めさせるのか」です。

 

マスネ:歌劇「ウェルテル」」より 「春風よ、なぜ私を目覚めさせるのか」 (3分28秒)

/ アルフレード・クラウス、 エデルミロ・アルナルテス(Pf)  (1996年6月15日東京公演)

 

たしかに68歳でこの瑞々しい歌唱はほんとにすげーですビックリマーク びっくりでしたびっくり

 

 

1999年の今日、9月10日にマドリードで他界しました。71歳でした。彼の葬儀は国葬だったそうです。

 

 

 

生誕地ラス・パルマスのベゲタ墓地にあるクラウスのお墓

銅像が立ってるお墓ってすごいですね~にやり

 

前述したように、クラウスは若いころから科学的な声楽訓練を施したり、自分のレパートリーも絞って年間の公演数も制限、など禁欲的な舞台生活を送ってきたおかげで、生涯現役で歌い続けることができたそうです。

 

彼のトレードマークは写真にもあるように口髭ですが、この髭には愛着があったらしく、インタビューでは「(口髭が不自然になるような)若い役のときは化粧を厚くして髭を隠します。今まで役のために髭を剃ったことはありません。」と語っているそうです。

録音に関しては、「ライブ録音の方が感情表現が自然なので、好きなのです。ただ、そういうライブ録音はほとんど海賊版なのですが・・・」と笑いを交えつつ語ったそうです(日本の専門誌「グランド・オペラ」でのインタビュー) (wikipediaより)

 

 

それでは今日の曲です。歌劇「アルルの女」から「フェデリーコの嘆き」です。

 

チレア:歌劇「アルルの女」より 「フェデリーコの嘆き」  (4分45秒)

/ アルフレード・クラウス (1998年2月21日 マドリードにてライブ)

 

これは亡くなる前年なので70歳だと思うんですが、これまたすげーですびっくり

この歌唱力、すげーのひとことですビックリマーク(歌い終わったあとの聴衆のブラボーがまたすごい)

 

彼の歌をもっともっと聴きたくなりましたラブ

 

 

アルフレード・クラウス (1927-1999)