8月5日 ~ フランス初期ロマン派のトマ 生まれる | Wunderbar ! なまいにち

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まだまだひよっこですがクラシック大好きです。知識は浅いがいいたか放題・・・!?

皆さま、今日もお元気でしたか?ヒマワリ

 

「今日はなんの日」のコーナーです。

参考にしたのは、近藤憲一氏著「1日1曲365日のクラシック」という本で、それにプラスαで書いています。(写真はすべてwikipediaなどwebからお借りしました)

 

今日、8月5日は・・・フランスのオペラ作曲家 「アンブロワーズ・トマの誕生日」 ですバースデーケーキクラッカークラッカー

 

Charles Louis Ambroise Thomas : 1811.8.5-1896.2.12; フランスのオペラ作曲家

 

また知らない作曲家が出てきましたあせる(しかもお顔がなんだか怖い・・・w)

ただ、今日の曲の名前は聞いたことあるかもひらめき電球

 

アンブロワーズ・トマ(シャルル=ルイ=アンブロワーズ・トマ)は、当時ヴェルディに匹敵する成功を収めた19世紀のフランスのオペラ作曲家です。

代表作は、「ミニョン(Mignon)」(1866年)と「ハムレット (Hamlet)」(1868年)で、他にも約20曲のオペラ作品や室内楽曲、合唱曲があるそうです。

 

トマは、1811年の今日、8月5日にフランス北東部のメスで生まれました。小さい頃から、音楽家で弦楽器奏者だった父親にピアノやヴァイオリンの手ほどきを受けました。

1823年(12歳)に父が死去、母と兄とともにパリへ移住し、1828年(17歳)にパリ音楽院に入学、ピアノや作曲を学びました。音楽院外ではカルクブレンナーにも師事しました。

 

1829年(18歳)にピアノでプルミエ・プリを取得。

1832年(21歳)にカンタータ「エルマンとケティ」でローマ大賞を受賞し、3年間ローマに留学しました。

 

ローマに留学当時のトマ (1834年)

(ジャン=イポリット・フランドラン画)

 

帰国後はオペラ界に進出し、1837年(26歳)に初演されたオペラ・コミック「二重梯子」が成功、オペラ=コミック座で115回上演されたそうです。その後も主にオペラ=コミック座で多くの作品を生み出し、1850年(39歳)の「夏の夜の夢」の成功で彼の名声は不動のものとなりました。

 

1856年(45歳)に母校のパリ音楽院で作曲家の教授に就任マスネらを育てました。

1866年(55歳)にオペラ「ミニョン」が初演、1868年(57歳)にオペラ「ハムレット」が初演、いずれも大成功を収め、彼の名前は国外にも広まりました。「ミニョン」は1894年には上演回数が1000回に達しました。

 

1871年(60歳)にパリ音楽院の院長に就任、亡くなるまでその地位にありました。

1896年2月12日に84歳で他界しました。

 

パリのモンマルトル墓地にあるアンブロワーズ・トマのお墓

 

 

それでは今日の曲です。大ヒットした歌劇「ミニョン」よりアリア「君よ知るや南の国」です。

 

「ミニョン」の題材は、ドイツの文豪ゲーテの「ウィルヘルム・マイスターの修業時代」から採られており、誠実だが情熱的な娘のミニョンと、浮薄な魅力の女優フィリーナがマイスターのウィルヘルムをめぐって繰り広げる恋のさやあての物語。

フランス版はコミックなので、ハッピーエンドですが、ドイツでの上演に際して、トマは二つのパターンのフィナーレを用意したそうです。ひとつは3人が幸福に終わるもので、もうひとつは、主人公ミニョンの死で閉じられるもの。

「君よ知るや南の国」は、開幕早々に主人公のミニョンが歌う名アリアです。

 

 

アンブロワーズ・トマ:歌劇「ミニョン」より  「君よ知るや南の国」 (5分33秒)

/ 林 美智子、チョン・ミョンフン (オケは東フィル?) (2006年)

 

これ、その昔ミュージカル「ミニョン」に出演した天地真理さんも歌ってるみたいです。

 

前述したように、トマは作曲家として当時ジュゼッペ・ヴェルディに匹敵するくらいの成功を収め、19世紀のフランスのオペラ界の重要人物でした。彼の音楽はベルリオーズ、グノー、ビゼー、マスネらも賞賛しています。

パリ音楽院の院長としても教育の水準を上げましたが、体制は保守的で新しい世代の作曲家にも親和的ではなかったそうです。

作曲家シャブリエは、「音楽には三種類ある。良い音楽と悪い音楽、そしてアンブロワーズ・トマの音楽だ。」という言葉を残しているそうです。

 

明日、明後日のこのシリーズはお休みしま~すてへぺろうさぎ