8月2日 ~ 歌劇王 カルーソー 没 | Wunderbar ! なまいにち

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まだまだひよっこですがクラシック大好きです。知識は浅いがいいたか放題・・・!?

皆さま、8月最初の週末はいかがお過ごしでしたかヒマワリ

 

「今日はなんの日」のコーナーです。

参考にしたのは、近藤憲一氏著「1日1曲365日のクラシック」という本で、それにプラスαで書いています。(写真はすべてwebからお借りしました)

 

今日、8月2日は・・・不滅の大テノール歌手 「エンリコ・カルーソーの命日」 です。

 

Enrco Caruso : 1873.2.25-1921.8.2; イタリアのテノール歌手

 

私は失礼ながらお名前すら知りませんでしたあせる

近藤氏のお言葉を借りれば、「空前絶後の”ソプラノの女神”がマリア・カラスならば、カルーソーは”テノールの太陽”晴れと言えるだろう」 だそう。

「彼は美男子の二枚目型ではなかったが、そのベル・カント(美しい歌)は後のすべてのイタリアン・テノールにとって、いつも「カルーソーと比べれば」と引き合いに出される偉大な存在であり続けた。」 だそうなので、テノールの神様みたいな人だったんですね~にやり

 

 

エンリコ・カルーソーは、1873年2月25日にイタリアはナポリで生まれました。7人兄弟姉妹の3番目として育ちました(実際は子供が21人生まれたそうで、カルーソーは18番目の子。他は全員幼くして亡くなった)が、子供も多く家が貧しかったため、母親に初等教育を受けました。

9歳のとき地元の教会の聖歌隊に入って歌い始めますが、父親は自分と同じ機械工にさせるべく工場で働かせました。そのため昼間は工場、夜は聖歌隊という生活を数年送りました。

 

1888年(15歳)にナポリのサン・セヴェリーノ教会で初めてソロを歌いました。同年母親が亡くなり、この頃から家族の家計を支えるためストリート歌手やカフェなどで歌うようになりました。

18歳のときから初めて正式に声楽のレッスンを受けました(ただこのとき師事したヴァシーヌが授業料を出世払いと称して暴利で不当な契約を結ばせたため、のちに裁判となっています)。

兵役で一旦レッスンは中断しますが、兵役終了後に再開、1895年(22歳)にナポリの劇場でプロデビューを果たしました。

1897年(24歳)にオーディションでプッチーニの目に留まり、ミラノ・スカラ座で主役デビュー。

翌年にはイタリア全土の主要な劇場に出演、さらにその翌年(1899年)にはトスカニーニとともに国外のオペラツアーに出かけ、サンクトペテルブルクではニコライ2世の来臨の前で歌いました。

 

1902年(29歳)にミラノ・スカラ座で歌ったときに、グラモフォン社のガイズバーグと出会ったことがきっかけで同社と契約、レコード録音をしました。

1903年にニューヨークのメトロポリタン歌劇場デビュー、米ビクターとレコーディング契約を結び、翌年録音したレオンカヴァッロのオペラ「道化師」の中の「衣装をつけろ」は世界史上初のミリオン・セラーとなり、彼の名前は世界的に有名になりました。

メトロポリタン歌劇場と米ビクターとはカルーソーが亡くなる直前まで深い関係を築きました。

 

その後も破竹の勢いで世界各国で大活躍しました。

1920年(47歳)9月に生涯最後の録音を行った後、北米各地のツアーに出かけましたがこの頃から健康状態が悪くなりました。同年11月からメトロポリタン歌劇場の新シーズンに出演はしたものの、12月に舞台上演中に喀血、翌1921年に状態はさらに悪化し、8月2日に48歳で亡くなりました。まだまだ絶頂期だった彼の葬儀には何千人もの人々が参加したそうです。

 

亡くなる1週間前に撮影されたカルーソーの生涯最後の写真

(滞在していたナポリのソレントのヴェスヴィオホテルのテラスにて)

 

とてもこの1週間後に亡くなるだなんて思えない写真ですよね・・・

ちなみにここのホテルは現在も営業しており、レストランは「カルーソー」という名前だそうです。

 

 

カルーソーが眠るナポリのサンタマリアデルピアントの墓地にある教会

 

 

 

彼の生涯は1951年にハリウッドで「歌劇王カルーソ」と題して映画化されました。

 

レコード録音を盛んに行ったスター歌手は彼が初めてで、彼により蓄音機が普及しました。彼はオペラだけでなく、民謡やポピュラーソングまで歌い、その大衆的なレコード録音と彼の並外れた声、驚異的な声域の広さ、声量や声の美しさによって彼は当時幅広い階層から愛される、最も著名なスター歌手でした。 若いカルーソーを評して、トスカニーニ

『このナポリ人がこのように歌い続けるなら、世界中彼の噂でもちきりになるだろう』

と予言したそうですが、まさにそのとおりになったのです。

 

ある時など本番中に声が出なくなった友人のバス歌手に「僕が歌ってあげるウインク」と耳打ちし、聴衆に背を向けてその友人のパートを歌って窮地を救ったことがあるそうです(その間、友人は口パクしていた)。テノールの彼がバスを歌っているのに観客は誰も気づかなかったとか。

また、「オーソーレミオ」(私の太陽)というナポリ民謡は彼の歌で世界中に知られるようになりました。

 

現代オペラの発声唱法は、彼によって確立されたといえます。

 

 

それでは今日の曲です。ヴェルディの歌劇《アイーダ》より「清きアイーダ」です。

 

ヴェルディ:歌劇《アイーダ》より「清きアイーダ」  (5分1秒)

/ エンリコ・カルーソー

 

もうひとつ。世界初のミリオンセラーとなった「衣装をつけろ」。

 

レオンカヴァッロ:歌劇「道化師」より 「衣装をつけろ (Vesti la Giubba)」 (3分34秒)

/ エンリコ・カルーソー

 

この曲聴くといつも胸にグッときます。素晴らしい歌声です!

 

 

そういえば、彼にちなんだ「カルーソー」というカクテルカクテルグラスがあるそうですねビックリマーク

 

Caruso 「カルーソー」

 

中身はドライジン 1/2とドライベルモット 1/4、グリーン・ペパーミント 1/4だそうです。

キレイな色ですね~音符 

カルーソー自身は、時々喫煙はするものの、歌手として声帯を気遣って(少々のワインは除いて)お酒は多くは飲まなかったそうです。

 

 

『 私の人生はとても苦しかった。私の歌で聴いている人が泣いてくれるのはそのためなんだ・・・ 』 (エンリコ・カルーソー)