クルレンツィス&ムジカエテルナ:チャイコフスキー;組曲第3番、ロメオとジュリエット 他 | Wunderbar ! なまいにち

Wunderbar ! なまいにち

まだまだひよっこですがクラシック大好きです。知識は浅いがいいたか放題・・・!?

2018. 2. 13 (水)  19 : 00 ~    サントリーホールにて

 

チャイコフスキー:組曲 第3番 ト長調 Op.55

 

(アンコール)

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.35より 第3楽章

(ソリストアンコール)

イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ短調より 第1楽章「妄執 (obsession)」

 

チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」

 

                        幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」 Op.32

 

指揮:テオドール・クルレンツィス

ムジカエテルナ

(コンサートマスター:アイレン・プリッチン)

 

 

このコンサートからすでに2週間が経ってしまったんだなぁしみじみ

(ってか書くのが遅すぎですけどね汗

 

10日~11日に上京して一旦帰福、そしてこの日再び上京してサントリーホールへ。

結構な強行スケジュールだったが、行った甲斐あった!と思えたコンサートだった。

 

この日の昼間にクルレンツィスやコパチンスカヤなどの「来日記念トークセッション」が行われたらしい。クルレンツィスは自身の音楽論などについて熱く語ったらしいが、その中で「日本の聴衆は素晴らしい。楽章の間に拍手が起きず、こんなに集中して聴いてくれたのは初めて。日本の文化や人々の様子にもとても感銘を受けている。」と笑顔で語っていたそうだ。

きっとこの話は初日の「悲愴」の演奏のことを指しているのではないだろうか。もしそう思ってくれているなら嬉しいことだ。

 

この日も開場になって、ホール内に入るまでにロビーで少々待たされた。

 

 

ステージに入ってきた楽団員たちを見ると、この日はコンサートマスターが変わっていた。前の2公演はAfanasii Chupinさんという、一見おかっぱ時代のプルシェンコ(フィギュアの)似の方、この日はそれまでChupinさんのお隣にいた、アジア人ぽい黒髪のメガネ少年だった。Chupinさんは?というと、開演直前に客席に現れて関係者の一団と思われる席に着席した。

 

クルレンツィス(以下勝手にクルレン)は3日間とも同じ服装だった。ただ心なしか初日よりも2日目、3日目となるにつれてお客さんの方を向いて笑顔で挨拶する様子も余裕が出てきた気がした(初日は初登場の際は表情もやや硬かったような・・)。

 

 

この日もオールチャイコフスキーで、前半は組曲第3番。

チャイコフスキーは組曲を第1番~4番まで作曲しているが、私は昨年7月にフェドセーエフ&N響で組曲第4番の第3曲「祈り」を聴いたことがあるくらい。この組曲第3番も全然聴いたことがなかった。

音楽評論家の東条硯夫氏によると、「組曲第3番をナマで聴く機会など、一生に一度、あるかないか。」だそう。 そ、そんなに聴く機会ないんですかー!?エ!

だとしたら老い先短い私老人は死ぬまでもうこの曲聴けないんだろうか・・・

この曲の初演時(1885年1月24日 指揮はハンス・フォン・ビューロー)は臨席したチャイコフスキー自身が大感激するほどの大成功を収め、当時はその後もロシアでしばしば演奏されたらしいが、今はどうしてそんなに演奏機会が少なくなっているんだろう・・・

 

ということで、貴重な組曲第3番。めちゃめちゃよかったー!!!!キャー

いまだに第2曲の「憂鬱なワルツ」の旋律(なぜだか第2曲)が頭の中にふと浮かんできてはぐるぐる回るくらい。

第1曲のエレジーではヴァイオリンの流れるような唱い方が本当に美しかった。

第2曲の「憂鬱なワルツ」で印象的だったのが、ワルツの旋律に乗ってヴィオラの奏者たち全員が一緒に右~↑左~↓と身体を揺らしながら弾いていた(ように見えた)こと。

その動きが指揮者の動きとぴったり一致していて、前もってのクルレンの指示なのかな?と思った。

第3曲の「スケルツォ」では木管群がほんとに上手かった。軽快で勢いのある音色にワクワクした。

第3曲が力強くジャン!と終わったあとクルレンも微動だにせず、静寂が客席を包んだ・・・からの~第4曲!

第4曲「主題と変奏曲」がこの約40分くらいの曲の半分くらいを占める。

 

主題がこれ上差しでこの主題が第1~第12まで変奏される。

 

第1変奏が終わったあとクルレンがダンっ!と足を踏み鳴らしてからの第2変奏の弦が狂ったようにスピーディで情熱的だった。

急に短調になる第4変奏。真ん中あたりに「怒りの日」が挿入されているが、この旋律のところがとても力強かった。クルレンも両手を下から突き上げるかのようにパワフル。 第5変奏のフーガは弦の音色が荘厳で奥行がばーっと広がる感じで感動。 第6変奏のときのチェロの奏者たち(ffff が指定されているらしいのだが)の一心不乱に弾いている姿はとても印象に残った。ある人は足もドンドンと鳴らさんばかりに、ある人は髪を振り乱すようにして、ある人は本当に楽しそうに、弾いていた。 第8変奏は静かなヴァイオリンのトレモロの中のコーラングレのソロが哀愁があってとてもよかった。 

第9変奏は再びだんだんと加速、シンバルなどでジャン!となったあとからの~メガネ少年SAYU天才クン2(コンマス)のソロオンプ そして第10変奏も伴奏つきでメガネ少年が謳う。うまい。 このもの哀しいヴァイオリンを聴いていたら極寒のロシア(行ったことないけどえへ)を想像してしまった。そしてフィナーレの第12変奏。どんどん盛り上がって頂点でのポロネーズが始まると「よっ!待ってました!おーい」と掛け声かけたくなる。 そして再度ポロネーズの旋律が出てきてからの華々しい終わりキラ

本当に素晴らしかった。チャイコフスキーはほんとに天才!

美しい曲を堪能させてもらえたことにただただ感謝。この曲もっと演奏されたらいいのにな~。少なくとも私が一生を終えるまでにまた聴く機会がありますようにshokopon

 

クルレンはこの日も時にはパントマイムピエロのような、時にはマリオネットお人形ダンスのような、時には相撲取りの鉄砲のような力士7。、時にはロック歌手ギター010のような繊細~ダイナミックな動きで観ていて飽きなかった。身長が190㎝もあるらしいがこんにちはでかいのもあって動きに目が吸い付いてしまう。

 

 

大喝采のあとカーテンコールに応えたクルレンは指揮台にのぼってオケの方を向き譜面台の楽譜をペラっとめくった? 「え?なになに?はてな」と思ったら、なんとヴァイオリン協奏曲の第3楽章が始まったエ! ソリストはあのメガネ少年~SAYU天才クン2ピース

コパチンスカヤの骨太の泥臭かった同曲の演奏に比べると、線が細く繊細で几帳面な音色。羽目もそこまで外すこともなくオケの一員としての演奏、という感じだった。でも基本的な曲の作りはコパチンのものと一緒だった。

これを聴いてあらためてわかったこと。CDや実際の2公演を聴いて、この曲の作りはコパチンの意向が反映されたものなのか、それともクルレンの意向なのか、それとも両者なのかずっと疑問に思っていたが、この日アンコールを違うソリストで聴いて、この曲の演奏スタイルは”クルレンの意向によるものなのだ”、ということがわかった。

 

メガネ少年くんはなんとソロアンコールまでしてくれた。イザイ~~うれしいキャー

しかも大好きな第2番(の第1楽章)だった。第2番は「怒りの日」をモチーフにして書かれており、多分組曲第3番の第4曲第4変奏に登場する「怒りの日」つながりでの演奏かな?しかもこの第1楽章は「執念」や「妄執」という副題がついていて、もしかして後半の演目にもつながる意味もあるのかな~と思った。だとしたら心にくい!茶白 得意げ

 

ところでこのメガネ少年くんSAYU天才クン2の本名は、アイレン・プリッチン(Aylen Pritchin)さんと言う方でアジア人かなと思ってたらサンクトペテルブルク生まれのロシア人らしい。1987年生まれなのでもう少年ではない・・・ 2014年のロン・ティボー国際コンクールで優勝しており、2017/18年シーズンにはモスクワでクルレンツィス&ムジカエテルナとプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番を共演したこともあるそうだ。どおりで上手いはずだ。2日間の公演ではアシスタントコンマスの位置で弾いていたが、3日目でこんなお披露目をするとは、クルレンもにくいね!グゥ~

 

メガネを外したらこんなに美少年ぽっ(やっぱ少年ぽいです)

 

 

後半最初は幻想序曲「ロメオとジュリエット」。

当初はこのロメジュリが最後の予定だったが、”指揮者の意向により”ということでこちらが先になった。でも、指揮台に上がったクルレンにコンマスが何やらささやき、クルレンはちょっと笑いながら譜面台にあった楽譜の上下を入れ替えた。ということは、フランチェスカ~の方が先だと思ってたんじゃないかな・・?笑う

 

ロメジュリは2日目の公演のアンコールでも演奏されたが、その時よりもさらによかった気がした(ホールの違いもあるかも)。細部にわたって一音一音が入念に作り込まれたという印象で、ただただ美しかった。そして最後のティンパニの一撃が本当にずしんときた。この白髪のおじちゃんのティンパニ奏者、まさにロシアのティンパニといった感じでとても好みだったラブラブ

 

 

最後は幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」。

指揮台に上がったクルレンは客席にはお辞儀はせずそのまま演奏を始めた。

この曲は、クルレン自身大好きな曲のひとつらしく、サンクトペテルブルクの音楽院では何度も振ったそうで、「これはまさに僕のレパートリー」という自負がある曲だそう。

この曲はチャイコフスキーがダンテの「神曲」の中の「地獄篇」第5歌の「フランチェスカ・ダ・リミニ」を読んで作られたもの。 ロメジュリにしてもフランチェスカ・ダ・リミニにしても2つの家と家の争いや悲恋に終わるところが似ている。 ただ個人的にはロメジュリの方が聴きやすい。でも演奏はよかったです!

第2部のフランチェスカとパオロの道ならぬ恋を描く部分では、切なく甘い旋律が美しかった。第3部では打って変わって激しく、その激しさゆえに地獄に落ちた二人のことを思うとより切なくなった。

 

この日の後半のようにストーリー性がある曲はクルレンはさらに本領発揮するような気がする。やっぱりこのコンビでのオペラが超観たい!

 

音楽の友 2019年1月号 音楽の友 2019年1月号
1,099円
Amazon

この雑誌に載っていたクルレンツィスのインタビューで、「神曲」の「天国と地獄」の存在を信じるか、と聞かれて、

100%信じてはいるが、僕にとっては天国も涅槃も地獄もみな同じ場所』だという。その理由を聞かれて、

例えばこの部屋も、天国であり、地獄であり得るわけで、決めるのはそれぞれ人の内面です。』 なるほど。私もそう思う。

 

そして、

音楽は(既成のものを)演じるのではなく、行動する=感じるものなので、作曲家が言おうとしたすべてのことを、新しく「感じる」ことが大切なのです。演奏家が感じて初めて、聴衆も感じられるのです。あなたが贈り物をする時、心を込めていなければ、相手が「感じる」ことを期待できないのと同じです。』 とのこと。今回3公演聴いてみて指揮者とオケからの”強い念”のようなものはびしびしと”感じる”ことができた。このコンビ、インパクトが強すぎて聴くとぐったり疲れるが、中毒性があるようだ。

 

クルレンツィスご本人は今後も頻繁に来日したいとおっしゃっているようなので、次回も来日したらぜひ聴いてみたい。

 

”クルレンツィスが本当に救世主たりうるのか?”とか、”今度はベートーヴェンを振らせてみれば本物かニセモノかがわかる” など感想を述べている方々もいたが、評論家や審査員でもあるまいし、そういう方々は最初からそういう眼(耳)で音楽を聴くこと自体、なんか違うんじゃないかなと思う。 彼らの”贈り物”に素直にそのまま耳を傾け、向き合って”感じる”ことができるのだろうか。 もちろん好みは人それぞれなので、気に入らなければ次回は聴かなければいいだけの話だと思う。 そうすればチケットの競争が少しでも減ってこちとら助かるって寸法よ~悪魔ケケケ

 

    

このチラシを見て書いたんだけど、やっぱり似てない・・・えへ

ところでこのチラシすごくインパクトありますよね。「別格。」ってつけたコピーライターの人うまいな。特に「。」と句点をつけたことでよりインパクトがあるなぁ。