最後は、ちょっとほんわかする話で締めたいと思います。
昭和2年1月24日の朝9時頃、この地方を初めて飛行機が飛んだ。
村人たちは飛行機を見たことも聞いたこともなかったので、プロペラ音を聞いて動転した。
佐々木喜善は飛行機を知っていたので、村の道を飛行機だと叫んで走ると、家々から嫁娘らが飛び出して、どこかと慌てて走り歩いた。
飛行機はやがて見えなくなったが、爆音はしばらく聞こえ、人々は気が抜けたようになって物を言わなかった。
同じ年の8月5日にも飛行機が飛んできたが、その時は豪雨だったので、たいていの人は見ずに終わった。(『遠野物語拾遺』第236話)
今さらですが、『遠野物語拾遺』について説明しておきます。
遠野出身の佐々木喜善が語る話を柳田国男がまとまたのが『遠野物語』であるということは散々書いてきました。
『遠野物語』出版後も、喜善は自分が見聞きした話を柳田に送ります。
しかし、柳田の昔話収集の方針と、喜善のそれとは、少しズレが生じていました。
さらに、喜善が先に『聴耳草紙』という昔話集を出版してしまったことで、柳田はいよいよ『遠野物語』の続編を出版する意欲を削がれます。
そのまま時は流れ、村長として村の運営に失敗した喜善は、不遇のまま、昭和8年(1933)に移住先の仙台で死亡。
柳田が、『遠野物語』に新たな話(拾遺)を補完する形で『遠野物語増補版』を出版したのは、昭和10年(1935)のことでした。
というわけで、『遠野物語拾遺』が出版されたのは、喜善の死後のことになります。
また、明治の終わりに出版された『遠野物語』よりも時代が下ることで、新しい文化についての記録も見られます。
その一つが、今回紹介した飛行機の話。
飛行機。
言わずと知れた空を飛ぶ乗り物、文明の利器。
『遠野物語拾遺』には相変わらず超自然的な存在や出来事、古くからの慣習についての記述も多く見られますが、その中に混じって、この話が収録されているのです。
ちなみに、昭和2年1月24日という日付まで記録されています。
何故、こんな近代的な乗り物の話が収録されたのか。
詳しくは、研究書を読んでみないとわかりません。
しかし、東京から遠く離れた東北の盆地に住んでいる人々にとって、見慣れぬ乗り物、しかも空を飛ぶ存在は、「怪異」に見えたのかもしれません。
未知の物体に対して、恐れながらも見てしまう、まして正体を知ってしまえば、物珍しさからなおさら見ずにはいられないという人々の素朴な反応が、この話では描かれています。
『遠野物語』『遠野物語拾遺』についてご興味を持った方は、こちらをどうぞ。
このブログは、この本を参考にしています。
原文だと取っつきにくいという方は、京極夏彦さんが現代語に意訳して再構成した『遠野物語remix』『遠野物語拾遺retold』もありますよ。