人外の者の話が続きましたが、今日はまた少し違うお話です。
母と息子の孫四郎の家に嫁が来たが、姑との中が悪く、しばしば実家に行っては帰ってこないことがあった。
その日、嫁は家で伏せっていたが、昼頃になって突然、孫四郎が、「ガガ(母)はとても生かしてはおかれぬ、今日はきっと殺さなくては」と言って大きな草刈り鎌を出し、研ぎ始めた。
母の謝罪にも嫁の諫めにも耳をかさず、母が逃れないよう家中の戸を閉ざし、用を足したいと言えば便器を持って来る始末だった。
夕方になる頃には母も諦め、息子によって斬られた。
母の悲鳴を聞き、里人や警官が来て孫四郎を取り押さえたが、まだ息のあった母は滝のように血を流しながら、「自分は恨みも抱かずに死ぬので、孫四郎は許してください」と言った。
孫四郎は狂人として釈放されて家に帰り、今も生きて里にいる。(第11話)
…何というか…
柳田さん? 佐々木さん?
これ、『遠野物語』ですよねぇ?
遠野で語られている、ちょっと不思議な話を集めたものですよねぇ?
ガンガンバリバリの現実に起こった殺人事件、しかも母親殺しなんてワイドショーものなこのお話のどこに!不思議が!あるんでしょうか!?!?!?
そんな風に思った方がいる…かはわかりませんが、一応解説しておくと、この前の第10話と関係があります。
第10話は、こんな話。
菊池弥之助という老人が、ある奥山にきのこを採りに行っていたが、深夜、小屋の中できゃーという女の叫び声を聞いた。
里に帰ると、ちょうどその時間に、自分の妹がその息子に殺されていた。(第10話)
ちなみに弥之助さんは、第9話でも、若い頃の体験談として、「山の中で笛を吹いたら『面白いぞー』と言う声がしたので仲間と逃げ帰った」という話があります。
弥之助さんは駄賃付の仕事をしていて、山によく入るのですが、山の怪異なのか、それとも彼自身にそういう力があるのか(シャマニズムにおいて楽器は神と交感するためのアイテムですし、姉妹には兄弟を守る力があるという民俗的な考え方もある)、とにかく彼の体験談の一つとして、「甥によって殺される妹の、末期の悲鳴を聞く」という話が語られているのです。(第11話の「その日」とは、弥之助老人が第10話できのこ採りに行った日)
でも…何をどう読んでも、第11話の方に話の力が入ってますよねぇ?
たぶん読者としても、想像してしまえば柳田国男も、
佐々木喜善「これまた弥之助さんの話ですけど、弥之助さんが山の中で悲鳴を聞いたんですけど、それって妹さんが息子に殺された時のものだったんですよねー。不思議なこともありますよねー。」
柳田国男「母が息子に殺された!? ちょっと待て、その話詳しく聞かせてもらおうか。」
…と思ったのではないかと。
(注:絶対にこういう話し方はしていないはず)
悪化する嫁姑関係、その間に立つ息子による母親殺し、血を流しながらも息子を許す母の愛…というワイドショーネタとして申し分ない(すみません)話として、当時の遠野でも大いに語られたのではないかと思います。
で、語り手の喜善か筆者の柳田かはわかりませんが、第10話を補完する話として、その事件をドキュメント風に、あるいは再現ドラマのように、臨場感たっぷりに書き上げた(または語った)のが第11話だったように思えるのです。
『遠野物語』『遠野物語拾遺』についてご興味を持った方は、こちらをどうぞ。
このブログは、この本を参考にしています。
原文だと取っつきにくいという方は、京極夏彦さんが現代語に意訳して再構成した『遠野物語remix』『遠野物語拾遺retold』もありますよ。