縁茶亭茶話

縁茶亭茶話

地味に地道に生活している一般人が綴る、ごくごくありふれた日常

※長文なので、お暇な方はどうぞ。


それは、いつも通りの帰り道になるはずでした。


17:30ちょっと過ぎ。

鳴り響く雷と土砂降りに怯みながらも、定時と共に去りぬ!と退勤。

通勤に使うバス停は交差点にあるのですが、そこにたどり着く少し手前で5分遅れで到着したバスを見送り、「5分遅れかぁ…ということは、次のバスまで15分待ちかな」とのんきに構えていました。

吹き込んでくる雨にバス停の屋根も意味をなさず、傘をさして待つのもいつものこと。

時刻表の時間を5分10分過ぎても、バスが来ないのもいつものこと。

結局25分遅れでバスが来たのも、この雨じゃ、まああるよね。

そのバスが、普通なら5分もかからない3つ先のバス停に、15分かかって到着したのも想定のうち。

「この雨じゃ、下手すりゃ終点まで1時間くらいかかるかもな。まあ、この時間ならそこ始発のバスもあるから、20時には帰れるだろ。」

そんな風に考えていた私は、まだ日常の中にいたのです。

この時は。


バスに乗って15分後の18:30頃。

付近の道路が冠水。

バス会社のバス全便に対し、安全のために待機命令。

そんなアナウンスが流れました。

バスを降りる人もいる中、私も歩こうかと思いましたが、土砂降りも雷も収まらないので、このままバスで行くことを決断。

その瞬間、終わりに近づいていたはずの1日が、長い1日の始まりへと変わったのです。

…まあ、本人まだそんなことになるとは知らずに、「バスが動かないなら本を読めばいいのよ♪」と本を読み始めましたけど。


本を読み始めて…もといバスが止まって約2時間後の20:30頃。

バスが動き始めました。

さすがに動くバスで本を読むと気持ち悪くなるので、読書は中断。

稲光で時々フラッシュをたいたように明るくなる真っ暗な窓の外を、ぼけぼけと眺めていました。


ぼけぼけし過ぎて、1時間近く経過している自覚もなかった21:20頃。

通常のルートの一部区間が通行止めになり、バスは迂回ルートへ。

この地点から家までは徒歩1時間半、迂回ルートに入ってしまうと徒歩では難しくなるなと思いましたが、相変わらず雨と雷が止んでいなかったために断念しました。


さらにぼけぼけと外を眺めること40分後の22:00過ぎ。

ほぼ同じくらいに、埼玉と東京の友人から「赤犬県(仮称)大丈夫!? ニュースでえらいことになってるんだけど!?」 (要約)とLINEが入りました。

「バスに乗ってりゃ終点までは運んでくれる、その先のことはその時考えること」程度にしか思わず、iPhoneを駆使して情報収集をしていなかったので(警報とか避難指示情報は通知が来てたけど)、自宅の地域が心配されるほど大変な状況になっているとは全く思っていませんでした。

…とは言うものの、自宅は道路より高いので浸水の心配はなく、土砂崩れするような場所もないので、自宅の母については「帰りが遅くなって申し訳ないな」程度の心配しかしていなかったのですが。


バスに乗ってから4時間20分ほど経った22:35、ようやく終点に到着。

そこから自宅までは40分くらいですが、雷も雨も止む気配はありません。

そこが始発のバスはとうに無くなっている時間のため、自宅近くのバス停に行くには長距離便を待つしかありませんが、私の乗ったバスの3本くらい後にあったはずの長距離便は、待てども待てどもやってきません。

雷光が閃くたびに停電で街灯が消え、点いてはまた消えを繰り返すロータリーをぼんやりと眺めながら、駅の屋根下で立ち尽くすこと1時間ちょっと。

23:40、一向に収まる気配のない雨と雷に、ようやく私は「ま、いっか。何事も経験。」と帰宅を諦めたのでした。


幸い、東京の友人が駅近くの施設が避難所になっているのを教えてくれたため、そこに行こうかと思ったのですが、その前に通った駅の改札が開放されていたので、「あ、ここでいいや。」と思い、配られていた水とカ⬜︎リーメイトと保温シートをゲットして、敷かれていたブルーシートに落ち着きました。

で、早速カ⬜︎リーメイトを食べて横になったのですが…まだ眠りに落ちていなかった0:15、何やら人の動きに変化が。

もしやと思って改札を出ると、雷はまだ鳴っていますが、少し雨足が弱まっています。

というわけで、「そうだ、避難所に行こう。」

その理由が「駅で寝るより快適なのでは」ではなく、「避難所がどう開設されるものなのか見ておきたい(仕事的に)」だったのはご愛嬌です。


0:30頃、避難所到着。

受付の方に尋ねると、まだ受け入れ可能ということで、避難者名簿に名前を書いて、非常食(カ⬜︎リーメイト的なものとビ○コとで選べたので、前者を選択)をいただきました。

避難所は基本的に3階の講堂で、一画にブルーシートが敷かれ、避難した方々が空気で膨らませるビニールクッションの上で銀色の保温シートや毛布をかぶって横になっていました。

床以外にも、椅子に座っている方、講堂ではなく廊下に横になっている方と様々です。

ただ、廊下やロビーはところどころ雨漏りしていて、雨が吹き込んだのか窓際のカーペットはびしょ濡れになっていました。

最初は椅子に座って目を閉じていましたが、首が痛くなってきたので、観念してブルーシートの上で寝ることに。

ビニールクッションはありませんでしたが、駅でもらった保温シートをかぶって、ようやく1日が終わっ…


いや、うちへ帰るまでが遠足。(遠足じゃないけど)

1時間寝ては目が覚めるのを繰り返し、いよいよ本格的に目が覚めてきた4:30頃。

5:00を過ぎる頃には周りの人たちもぼちぼちと起き出し、クッションを畳み始めました。

バスの始発は6:23でしたが、雨が止んでいたので、5:40頃避難所を出発。

一応出勤する心づもりで、道路の様子を確認するためにバス通りを歩いたのですが、下り車線は渋滞、時々故障車が止まっています。

渋滞の理由は、自宅近くの道路が通行止めになっていたからでした。

(余談ですが、すれ違った子連れのお母さんが、「ほら、通行止めだから、道路の真ん中歩けるよ〜」と真ん中に行っていたのが微笑ましかったです。)


うん、ダメだこりゃ。


実は昨日の段階で上司から安否確認のLINEがあり、元々そのように勧められていたので、今日はお言葉に甘えてお休みをいただくことにしました。


そして6:20、ついに帰宅。

充電が切れかけていたために控えていたLINEの返事を各方面に送り、風呂に入ってからご飯を食べた後、ちょっと横になるつもりで寝たらお昼を過ぎていました。

自分で思っていたよりも疲れていたようです。

まあ、そりゃそうか。

帰れなくなって着の身着のまま外で寝るとか、なかなか無い経験だし。

とはいえ、昨日は暑くなかったし、命の危険を感じるような場所はなかったし、徒歩で帰って来られるところまではバスがあったので、かなり幸運だったと思います。


そんなこんなで、初めて帰宅困難者になってしまった今回の豪雨。

せっかくなので、まとめてみました。

数年後、こんなことがあったと読み返してみたいですね。

かなり遡りますが、お正月に姉その1一族が来た時のお話。


甥1号の一人娘である大姪ちゃんとは、赤ちゃん以来初顔合わせとなります。

当然向こうは私を知りません。


ここで問題となるのが、私の呼称について。


小さい子どもは親の真似をする傾向があるため、甥たちは姉の真似をしてずっと私を呼び捨てにしていました。

姪は障がいのため、話せません。

そして、私は47歳。


今こそ…今こそ、おばちゃんと呼ばれる時。


というわけで、「おばあちゃんの妹のりんです♪ おばちゃんでいいよ♪」と名乗る気満々だったのです。

…が。


久々にひいばあちゃん(私の母)の家にやってきた御年4歳の大姪ちゃん、人見知りでご機嫌ななめ。

これは、知らないおばちゃんが無理に話しかけたらいけないやつです。


仕方がないので、にこっと笑顔で「こんにちは、いらっしゃい♪」と言っただけで後は名乗らず、席も離れたところに座って、話しかけないでいました。


やがておせちを食べ終わり、機嫌を直した大姪ちゃんが父方の叔父である甥2号を巻き添えにして遊び始めたのを見計らって、私は小さい子向けのおもちゃ(前々職の関係で、いくつかおもちゃがある)を手に、「これで遊ぶ?」と話しかけてみました。

すると、甥2号が即座に一言。


「よかったね、おばさんがおもちゃ出してくれたよ」


おばさんじゃない、おばちゃん!


しかしその後も甥2号が「おばさん」を連発し、いたいけな大姪ちゃんが「おばさん」と言うに至って、私も諦めて「おばさん」を自称することにしたのでした。

おばちゃん呼びの野望、あえなく潰える。

…書きました。

久しぶりに大晦日以外に書きましたよ。

文章を書くこと自体は好きなので、この調子で何回か更新できればよいのですが。

今年もよろしくお願いいたします…って、このブログで書いたの何年ぶりでしょうか。

 

久々に更新ばかりをネタにしていても仕方がないので、サクサク本日の話題を進めましょう。

とりあえず、前回のネタが冬休み前半のことだったので、その後の過ごし方を。

 

…うん。

編み物していた記憶が濃いな。

 

正確には、1日はお雑煮作ったり初詣に行ったりシフォンケーキ作ったり編み物したり、編み物したり編み物したり編み物したり…と、少しばかり編み物以外のこともしていましたが、概ね編み物を、具体的には私の中でど定番となっている“あみねこ”を編んでいました。

ナニユエそのような状況になっていたかというと、2日に姉その1一族(甥1号の嫁さんと娘ちゃんが加わったので、家族から拡大)が来ることになり、御年4歳になるという娘ちゃん(私にとっては大姪)とは赤ちゃん以来の対面となることから、大叔母ちゃんとしてはお手製の編みぐるみでも作って心象を良くしようと企んだのです。

仕事が忙しかったために28日の帰宅後から取組み始めた編みぐるみは、姉その1一族が来る1月2日の11時頃完成。

一族が来たのは12時過ぎだったので、まさにギリギリで間に合いました。


その完成品が、こちら。









うん、我ながら良い出来映え。

大姪ちゃん、そしてお嫁さんにも喜んでいただけました。


というわけで、ただひたすらに編み物に邁進した記憶の濃い冬休みでしたが、最終日の3日は特にやることも用事もなく、ようやくのんびり本を読んで過ごすことができました。

編み物も好きですが、最近では、漫画であれ活字であれ、読書をすると一番疲れが取れ、ストレス解消になる気がします。

 

さて、2026年がスタートして早1ヶ月。

今年もいい年になりますように。

そして、何回か更新できますように。

2025年、滑り込みセーフ。

 

というわけで、1年ぶりのブログ更新となっていましました。

いえね、一応書こう書こうとは思っていたのですよ。

12月に入ってからは、「目指せ週に1回更新!」とか、29日から「縁茶亭ヌシさんの冬休み」とか、考えてはいたのですよ。

しかし、12月28日(うちの職場は土日も営業しているため、世間一般のように26日[金]が仕事納めにはならない)に担当プロジェクトがあり、それに向けて残業をしまくるわ休日も仕事するわ…とやっていたら、ブログどころじゃなかった、と。

年に1回書くか書かないかというブログの内容が、毎回「お久しぶりになってしまいました、テヘ♪」というのもいかがなものかとは思うのですが、一応何事も無かったかのように日々のネタを書くのもなぁ…というわけで、やはり今年も「お久しぶりになってしまいました、テヘ♪」な内容となっています。

まあ、その前が2023年1月1日、さらにその前が2020年12月31日となっているので、今回の空白期間は短めと言ってもよいものでしょうか。

それ以前に、このブログ読んでいる人はいるのか?という問題もあるのですが。

 

言い訳ばかりしていてもしょうがないので、今年の年末について。

先ほども書いたように12月28日が仕事納めでした。

一説によると、29日は正月準備をしない方が良いということなので、この日は美容院に行ったり、仕事関係(休みでも仕事…)で3時間ほどドライブしたりして過ごしました。

30日に大掃除…をするには気力も時間もなかったので、いつもよりはちょっと丁寧に掃除をし、夜はサイコルシェイムの下手側ギターさんことLidaさんのイベントで中野へ。

そして31日の今日は、田作りと伊達巻きを作ったらなぜか疲れ切ってしまい、午後は散歩がてらに買い物行った後はテレビを見ながらアイロンをかけただけで、現在に至ります。

うーん、窓くらいは掃除すべきだったかもしれませんが…まあ、本棚の本を全部引っ張り出して埃を払ったので、良しとしましょう。

妥協するって大事。

Lidaさんのイベントについては日を改めて書きたいですが、果たしてどうなりますことやら。

 

さて、2025年も残りわずか。

この後は日付が変わるまで、編み物でもして過ごします。

大晦日ですね…2024年の。

 

というわけで、ながめせしまにまたもや年を経てしまいました。

皆様、いかがお過ごしですか。

 

もはや遠い昔に感じる前回の記事を見返すと、まだちょっぴりコロナ禍を引きずっているのがうかがえます。

言うまでもなく、新型コロナウイルス感染症は既に5類に移行し、世の中はコロナ禍以前の生活をほぼ取り戻しました。

私自身も、旅行にも行けばライブにも行きます。

 

まあ…流行に乗ってコロナには2回ほど感染してしまいましたけど。

ついでに、この年末は24日から人生初のインフルエンザA型を発症し、出勤停止からそのまま年末年始のお休みに突入てしまいましたけど。

年を取って、免疫力が弱っているんでしょうかね。

 

そして、一番お伝えしなければなかったことについて。

このブログでもちょいちょいネタとなっていた父が、2022年1月に81歳で永眠しました。

入院中だったために最期には間に合いませんでしたが、老衰で、眠るように(というか、昼寝からそのまま)逝ったとのことです。

前回のブログが新年早々だったため、訃報は控えさせていただきました。

 

さて、2024年もあとわずか。

来年はどのような年になるでしょうか。

皆様も、どうぞよいお年をお迎えください。

さて、新しい年が明け…え、2023年!?

 

 

というわけで、本気で久しぶりのブログ更新になってしまいました。

何だかんだでつい書きそびれ、「いいや、次の元旦になったら書こう」と思っていたら昨年の元旦も書きそびれ…で、今日この日に至ります。

皆様、お元気でしたでしょうか。

私はおかげさまで、人生の一時期よりもかなり元気になりました。

ありがたいことです。

 

とはいうものの、2年も経てばそれなりに状況は変わります。

空白の2年間で…というよりこの1年の間に、まず新年のご挨拶ができない状況になる一方(おめでたくない話題なので、この件については松が開けた頃にでも)、契約職員で働いていた勤務先でめでたく正規採用になりました。

相変わらずのコロナ禍なのでライブにもミュージカルにも行けませんが、昨年ちょっと落ち着いた時期に母と箱根旅行には行ってきました。(念のため車で行きましたが)

 

さて、2023年はどのような年になるのでしょうか。

沈黙を破ったので、時々は何か書けるといいなぁと思います。

気づけば1231日。

更新もせずぼーっと生きてる間に、またもやこの日を迎えてしまいました。

いや、仕事とか舞台出演とか家事手伝いとか、ぼーっとするだけでなくそれなりにこなしていましたけども。

そんな日々の一環として昨日から大掃除に励んでいたわけですが、半信半疑で使ったメラニンスポンジの有能さに「すんません、メラニンスポンジなめてました。」と頭を下げる年末となりました。

どんな年末だ。



まあ、ぼーっと生きてると書いたものの、実際には激動の1年だった2020年。

転職とか転居とか、コロナとかコロナとかコロナとかといろいろあった末に、最後は28日、またもや退職で締め括りました。

となる予定だったのに、今日になって、全国の感染者数が4515人と初の4000人超えとなり、過去最多を更新。

当然東京都も1337人と過去最多を更新かつ初の1000人超えとなり、メタボな赤犬の形をした県でも252人という過去最多を更新したのでした。

くそう、最後の最後でコロナにネタを持っていかれてしまったか。

そもそも今年は、本来ならばオリンピック・パラリンピックがあった年。

スポーツならともかく、そんな記録更新はいらん。


あ、さらっと書きましたが、退職したのは本当ですよ。

で、1月からは10年前までいた会社で働きます。

1年で二度も転職とか、人生でそうそうないだろうなぁ。



つらつらと書きましたが、とりあえずまとめると、個人的にも社会的にも激動の1年でしたが、気持ちとしてはここ数年のうちで一番落ち着いていたという点で、なかなか良い1年だったのではないかと。

それでも、やはり世情も落ち着いているのが一番なので、来年は誰にとっても良い年になるといいなぁと願っています。



それでは皆様、良いお年を。

私は毎年恒例、サイコのDVDを観て年越しをします。

今さらな話題で恐縮ですが、大好きなPsycho le Cemu20周年記念ライブが中止になってしまいました。


うっうっうっ、せっかく姫路のホテルを予約してたのに。

前の前の職場の先輩と旅行するの、楽しみにしてたのに。

メンバーの出身地で、20周年をお祝いしたかったのに。

明石焼き、食べたかったのに


最後に関しては「こっちで食べられる店を探して食えや。」というツッコミを受けそうですが、それはさておき。


しかし、そんな悲しみに浸ってはいられない問題もまた発生してしまいました。

もちろんそれは、ホテルのキャンセル料ではなく。



チケットの払い戻し発券したコンビニでしかできないだとぅ



発券したコンビニ。

それは、引越し前どころか転職前、通勤に使っていた駅構内にあります。

転職して車通勤になったので、4月以降足を踏み入れたことはありませんでしたが、せめて、せめてあと1週間早く中止が発表されていれば、歩いて行けたのに


もちろん嘆いたところで仕方がなく、かといって二人分のチケット代を「コロナのお見舞金♪」と称してそのままにするほど高給取りでもないので、本日車を走らせて元居住地(の近辺)へと行ってきました。

わざわざ台風接近の可能性がある今日になったのは、検診の母を病院に送るのに早く家を出ることになったのと、昼からの短時間勤務だったため。

そのまま家に帰らずに元居住地に行き、チケットの払い戻しと、ついでに「印鑑が違う」という理由で失敗した銀行の住所変更手続きをしてから、昼食を食べて出勤することにしたのでした。



元居住地には用事がないため、引越し以来1ヶ月ぶりです。

鍵を返したのがちょうど1ヶ月前なのか、とややしみじみしながら、とりあえず駅隣にあるスーパーの立体駐車場に車を入れようとして見事に入口を見つけるのと、車を止めて外に出るのに迷いました。

初めて行った駐車場とはいえ、5年半も住んでいたのに、私の地理感覚とはそんなものです。


何のダンジョンかと疑いかけた駐車場から無事脱出し、駅へ。

入場券が必要かと思いましたが、念のために確認した駅員さんは快く改札を通してくれ、無事にチケットの払い戻しという第1ミッションをクリアしました。


続いて、住所変更手続きのために銀行へ。

着いてから知ったのですが、私が止めたスーパーの駐車場は、スーパーで1000円以上買い物をした人はもちろん、銀行を利用した人も1時間無料サービスが受けられるんだそうです。

駐車場代のために買い物をする気もなく、普通に駐車料金を払うつもりだったので、これは幸運。

住所変更手続きも難なく終わり、印鑑の謎も解けて、これまた無事に第2ミッションをクリアしたのでした。



で、時間潰しとちょっと早い昼食のため、勤務先まであと20分くらいで着けるかなぁという地点にあるデ◯ーズで、このブログを書いています。

何故デ◯ーズかといえば、通り道にあるのとドリンクバーがあるのはもちろんですが、また、半額クーポンを当ててしまったんですよねぇ。

今度のクーポンはシャインマスカットのミニパルフェだったので、シャインマスカット好きとしては、これは無駄にしたくないなと。


というわけで、どん!



ついでに、昼食も。

何となくカレーの気分だったので。

(でも、私のデ◯ーズでのカレー率は高い気がする)



食べた順番は逆です、念のため。



さて、そろそろいい時間となりました。

用事も済ませて、のんびりできて、我ながらいい時間の使い方をしたかな。

そろそろ仕事に行くとしましょう。

手間がかかるのはわかっている。

はっきり言って、面倒なことこの上ない。

時間だってものすごくかかる。

だがだが、しかし


食べたい気持ちは、何よりも強い。

今年も栗の渋皮煮を作りました。

栗を入手するまでの波乱万丈物語(?)は先日お伝えした通りです。



ですが、今年は作っている最中にも「やっちまったぁぁぁっっ!!!」なことをやらかしてしまいました。


渋皮煮の作り方は、私のレシピでは、


①栗を入れて黒くなるまで茹でる

②外皮をむく


の順番です。

それを、うっかり逆にしてしまったのですよ。

そのせいかはわかりませんが、渋皮をいくつか傷つけてしまい、煮ている途中で割れてしまったものがありました。


茹でてから外皮をむくのは、単に外皮をむきやすくするだけでなく、むきやすくなることで渋皮を傷つけないためでもあるのかもしれません。

あとは、外皮をつけたまま茹でることで一度火を通し、渋皮の状態で茹でる時間を短くすることで、割れづらくするためでもあるのかも。



とはいえ、出来上がった渋皮煮は




やっぱり、ひっじょぉぉぉ〜っに美味でございました。

うん、これを食べられるなら、私どんだけでも時間使うわ。


なお、今年の渋皮煮は実家で作ったので、当然母も食べることになります。

母にも好評だったので、嬉しかったです。


ちなみに、残りの渋皮煮は密閉容器に入れて冷蔵庫に保存します。



だいたい2個ずつ食べますが、「もっと食べたいだが、食べると無くなるでも、食べたい」と葛藤する日々はしばらく続きそうです。



おまけ。

初めて渋皮煮を作った時の記事もリンクしておきます。



あっという間に連休最終日。

またもや7時過ぎに起床して、朝食だ片付けだ持ち帰りの仕事だリサイクルショップだ買い物だと何やかんやバタバタしていましたが、15時以降はのんびりだらだら録画した番組を見て過ごしていました。


ブログ書いたら、本でも読んでだらだらしようかな。

いいですね、だらだら。

大好き。


さて、昨日は敬老の日でしたが、姉その1のところの甥2号、姉その2のところの姪1号が、それぞれ親と一緒にお菓子を持ってやって来ました。

(正確には、甥1号が用意した菓子折を甥2号が持って来たのですが)

甥たちから敬われている、というより普通に慕われている母。

もちろん、私たち娘たちにとってもいい母だったので、その娘に生まれたことは非常にありがたい限りです。

ちゃっかりお菓子のお裾分け(ってか、ほとんど私が食べることになるようなモゴモゴ)をいただけるのも、ありがたい限りです。


やはり、優しさには優しさで、親切には親切で返したくなるもの。

家族はもちろん隣近所とも仲良く暮らしている母を見てると、つくづく思います。

幸い、人の良さにつけ込まれることもありませんでしたし。



ありがたや〜ありがたや、と思いながら、せめて休日くらいは楽してもらうべく、今日も夕飯を担当したいと思います。