大人になったらやりたいこともできるだろう。
大人になったら、毎日活き活きとやりがいのある仕事をしているだろう。
そんな風に思っていませんでしたか?
子どものころは、将来のイメージが漠然としすぎていて、もやがかかったように感じていました。
そこでは、今とは違って、きらきらしている自分がいる、と想像したりして。
でも、当たり前のことですが、未来は今の積み重ねの先にあります。
ぼーっと過ごしていて、素敵な未来にたどり着く、ということはほとんどありえないのではないでしょうか。
そのまま行くと「人生の迷子」になってしまいます。
実際、「自分のやりたいことが分からない」という大人はたくさんいますし、「小学生向けに将来のことを考える講座をしようと思うんだけど」と相談すると「私が受けたい!」と言ってくださる大人が結構いらっしゃます。
では、どのタイミングで、何を思い、どう動いていけばよかったのか?
子どものころから、「自分」について考える機会があったらな、と思います。
小学校高学年頃から始まる思春期は「自分は何者なのか」と考え始める時期だそうです。
では、そのタイミングで、「自分」について考えるきっかけがあっても良いのではないかと。
現代は情報にあふれていて、自分から動けばいくらでも知ることはできる。
でも、それは「情報がある」ということを知っていないとそもそも調べようという気になりません。
例えば私は「自分さえもっとちゃんとできれば親も怒らない」「もっとできるようにならないと」と思っていました。
その解決方法のヒントはアドラー心理学にありましたが、当時の私はまさか心理学にヒントがあるなんて考えもせず、ひたすら「自分ができないのが悪いんだ」と思っていました。
もし、悩んでいた時に、視線が内向きにならずに、外を向いて「本にヒントがあるかも」「考え方を変えると良いかも」と思えていたら。
長年悩まずに、前向きに考えられていたかもしれないと思います。
自分が進みたい方向のためのヒントは世界のどこかにきっとある。
でも、自分が進みたい方向は、自分でしか分かりません。
どの道を行くのが自分は幸せを感じるのか。
人生の迷子から抜け出すのも、「自分はどうしたいのか」から考えるしかありません。
人がこう言うから。
みんなこうしてるから。
こうすると良いらしいから。
そんなことは自分の幸せにとっては関係ありません。
自分の心に聞くしかないのです。
自分探しの旅に出ても見つかりません。
探し物は自分の中にあるのです。
「自分」についての理解を深める。
自分にとっての「幸せ」は何かを知る。
そうすると、他の人の幸せもきっとそれぞれだと考えを広げることができる。
「人と違う」ことは忌むべきことではなく、「補い合えるから素晴らしい」と思える。
そう思えたら、世界はちょっぴり優しくなるかもしれません。