コロナ禍を巡る議論については、素人があれこれ言っても仕方ないのでなるべく触れないようにしてきたのですが、最近の政府やマスコミの対応があまりにもお粗末なので書かずにはいられなくなりました。
きっかけは、昨日(2021年5月3日)の民放テレビ番組に出演した西村康稔経済再生担当大臣の、
「お札(紙幣)に付いたウイルスは1週間以上、宅配便の段ボールでは1日以上生きている。触ったら必ず手洗いを。」という発言。
お金にはコロナウイルスが付着しているかもしれないので、安易に触ったら感染してしまうかもしれませんよ、という恐怖感を煽って遮二無二キャッシュレス決済を推進したいらしい。
コロナの尻馬に乗ろうという魂胆が丸出しで、大臣は自分で言ってて恥ずかしくないのかと思う。しかもなぜこのタイミング?
また、段ボール発言に至っては、なぜ宅配業界やマスコミはすぐさま抗議の声を上げないのかと不思議に思う。
大臣の発言は、「一例として」などの前置きもなくいきなり「宅配便の段ボール」とピンポイントで名指ししていて、「触ったら必ず手洗いを」って、宅配便の箱には気をつけてみたいな言い方にしか僕には聞こえない。
段ボールは他にいくらでもあるし、付着したウイルスが一定期間生存するモノや場所を挙げたらきりがないのに。
医療・介護に携わる方々は「エッセンシャルワーカー」の代表的な職業と言われ、日頃から僕もとても感謝、尊敬していますが、社会生活の維持に欠かすことのできない業種・職種は他にも数多くあって、僕はそれら全ての人々に同様に感謝しています。
西村大臣のやり玉に挙げられた「宅配便の段ボール」を運ぶ人たちの業界も、もちろんその中のひとつ。
僕は、コロナ禍が続く中で通販や宅配が必然的に増える中、人手不足でおそらく休暇や休息も十分に取れないであろう過酷な状況で感染防止に努めながら懸命に働く人たちが、大臣の配慮のない発言によって侮辱されたような感じがして、とても嫌な気持ちになりました。
また、西村大臣は「屋外でマスクをしていても感染した事例がある」と、もはや政策で感染拡大を阻止するのは無理だと諦めたのか、ひたすら変異ウイルスの感染力の強さをアピールして恐怖感を煽り人々の外出を減らそうと、首相や知事さんたちも含め、より過激で抽象的、精神論的な発言を繰り返すばかり。
変異ウイルスが最初にイギリス等で問題になった時も、首相は「水際対策を強化して国内に持ち込ませない」と強調していたのに、実際は海外からの入国者や帰国者に対して公共交通機関を利用しないことや14日間の自宅等での待機を要請(お願い)するだけで何の強制力もなく、先日新聞を読んでいたら小さな囲み記事で「待機要請者のうち毎日300人以上と連絡が取れない状態」と報道されていました。
水際対策どころかダダ漏れのザルじゃん。
そもそも、日本で第1波がようやく収まってきて次の対策が議論されていた今から1年以上前のこと。
「第2波は必ず来る。今後の対策はその襲来を少しでも先延ばしして時間稼ぎをしている間に、感染者が急増しても医療が逼迫しないための医療提供体制を整備すること。」
と、どの専門家も口を揃えて同じことを言っていたのを皆忘れてはいないだろう。
今日本が第4波の真っ只中にいて、緊急事態宣言とか施設や店舗への休業・時短要請で抑え込もうとしている状況は当時と何も変わらない。
人出を抑制して一時的に感染者数が減ったとしても、解除すれば遅かれ早かれ再び感染拡大に転じ、何度も「波」はやって来る。
その際限ないループを止めてくれるかもしれない希望の光が、ワクチン接種が進むことによる集団免疫の獲得と言われています。
感染が収束に向かうとされる実効再生産数が1を下回るためには、最低でも社会全体の6割の人がワクチン接種を済ませる必要があると言われています。
ところが、肝心のワクチン接種が遅々として進まない。
これでは、目標とする集団免疫の獲得までに、あと何波ぶんの制限と解除を繰り返せばいいのか・・
ワイドショーなどで煽りが続いている、「ぐずぐずしている間に新たな変異株が出現し、接種が進む前に既存のワクチンが効かなくなるのではないか」という仮説なんて、もう聞きたくもない。
この連休中も、テレビをつければどのチャンネルも観光地や駅などの人出の数字(ビッグデータ)を並べ「人出は減っていません。」と繰り返すばかり。
毎日天気予報みたいに繰り返されるこの報道に何の意味があるんだろうと思う。
ニュースで取り上げようが取り上げまいが、外出しない人は初めからしてないし、「そんなの関係ねぇ」人はそもそもニュースを見たからといってそりゃ大変だと外出自粛したりはしない。
うちは有名観光地や高速道路のジャンクションが比較的近いこともあって、朝から上空を飛び交う何機もの報道へりの音が煩い。
ヘリ飛ばして「人出は減っていません」と中継するお金があるなら、医療体制の整備や休業補償に使えよって、お門違いの愚痴もつい言いたくなります。
新型コロナウイルスの世界的大流行という、間違いなく歴史の教科書に載るこの出来事が、後世どのように検証され評価を受けるのか、残念ながら僕には知る由もない。
先日家族に、「(コロナにかかわらず)もし自分が入院することになったら、どんな延命治療も絶対に断ってくれ」と話しました。希望も未来もない僕が死亡日を多少ずらしたところで何の意味も持たない。
せめて今の子どもたちと将来の世代には、希望のある社会、夢をかなえたいと誰もが思える社会を。
それを残す責任が僕ら大人にはある、とずっと思ってきたけれど、自分の世代では難しいのかなと思うようになりました。
政府のいきあたりばったり、先送りと問題のすり替えと責任転嫁ばかりの政策の迷走を批判していますが、それはそっくり自分自身に返ってきて突きつけられているのと同じです。
言わずにはいられないとかタイトル付けながら、結局何が言いたいのかさっぱり分からないグダグダの文章になってしまいましたm(_ _;)m
今日の夕食は冷やし中華と餃子です。がんばって作ります。

