今年もいよいよプロ野球が開幕。福岡人の私は、当然ながらホークスのファン。長いことファンクラブにも入っている。今シーズンこそは、日本一を達成してほしい。テレビなどを見ていると、軒並み評論家からの前評判は上々。私の予想では、カギを握るのは1・2番コンビを不動で固定できるかどうか(本田・今宮・中村?)と、投手陣では、クローザーを固定(開幕時点ではサファテ?)できるかどうかにかかっていると思う。
それはさておき、私のプロ野球の記憶の始まりと言えば、今はなき平和台球場。球団は、太平洋クラブライオンズ(知らない人も多いのでは?)。昭和47年まであった西鉄ライオンズは、残念ながら記憶には残っていない。父親から、「今日は野球に連れて行ってやるぞ!」と言われると、朝から大はしゃぎ。天気予報を新聞でチェックしたり、先発投手を予想したり。
地下鉄なんて影も形もなかったので、天神から赤坂を通り、福岡城のお濠端を平和台まで歩く。球場近くまで来ると、イカ焼やわたあめの露店が並んで雰囲気を盛り上げている。球場は3万人くらいの収容人数だったが、弱小球団だった太平洋の試合が満員になることはほとんどなく、記憶では、雨の中の試合の時、観客数が3ケタ(数百人)のときもあったような・・・今じゃ考えられないけど。
当時の選手たちで覚えている名前を挙げてみよう。投手では東尾修、加藤初(のちに巨人に移籍)、永射保など、野手では、竹之内、基満男、白仁天、ビュフォード、大田卓司など。竹之内選手のお尻を突き出すような独特のフォームから放たれる、青空に吸い込まれていくような高い軌道のホームランは、ドーム球場では決して味わえない、芸術的な美しさを備えていた。
対戦相手チームで特に印象に残っている選手は、当時阪急ブレーブスだった山口高志投手。球が速いことで有名だったけど、実際に目の前で見た時、そのスピードに本当に度肝を抜かれた。他の投手とは全く次元が違う。当然、ライオンズのバッターは手も足も出なかった。
球場は当時でも古くグラウンドと観客の距離も近くて、ヤジを飛ばした観客に選手や監督が応酬したり、試合が終了すると外野のフェンスを乗り越えて大勢の観客がグラウンドに殺到して収拾がつかなくなってしまったり。ナイターの時、夜の冷えた空気の中で食べるうどんがめっちゃ美味しかった。当時は前・後期制で、プレーオフもあったため日程が過密で、ダブルヘッダーも珍しくなかった。入替ではないから、二試合続けて見られるのはお得な気分。
ドームではないから、天候によっては試合が中止になることも珍しくない。行く予定にしていたけど、昼間土砂降りの雨だからと行かないでいたら、夕方には雨が上がって試合は決行。そういう時に限って8-0とかでめったにない大勝をしたりする。これも、いい思い出。
以前、広島市民球場にソフトバンクと広島の交流戦を観に行った時、平和台球場の古き良き雰囲気を思い出して懐かしかった。広島球場も今はマツダスタジアムに変わってしまったけど、ドーム球場ではない、空の下での開放感あふれる試合をぜひまた満喫したい。ホークスの摂津と、広島のマエケン(前田健太)のエース同士の投げ合いをぜひ目の前で見てみたいです。