M3遣いのブログ

M3遣いのブログ

ライカではなく、BMWのほうです(^^ゞ
日々想うことをまったりと・・・

離れて暮らす肉親がくも膜下出血で救急搬送されました



仕事中に連絡を受け、急いで仕事の段取りと早退の許可をもらって車で1時間の救急病院に到着した時には、緊急手術が始まって既に1時間以上経過していました




先に到着していた家族が手術前の医師の説明を聞いていた


・開頭(頭蓋骨を一部切る)して血腫をクリップで留める(クリップはそのまま残す)手術をします


・他にも血腫が見つかれば処置をします


・手術時間は3時間~3時間半の見込みです




手術室の斜め前の廊下に並べられた椅子で待つように言われ、家族と、遠方から駆けつけた親類と3人で小声で話しながらひたすら待ちました



廊下なので、病院関係者やベッドに乗せられた患者さんが目の前を行き来するので落ち着かない



これなら、待合室に居て終わったら呼んでもらったほうがいいと一瞬思ったけれど、手術中に緊急事態が起こるリスクを踏まえて手術室に一番近いここなんだろうと思い直しました




午後2時に始まった手術は、5時半を過ぎてもまだ終わらない



目の前(手術室の斜め向かい)はCT室と書いてあり、時折ベッドの患者さんとスタッフが慌ただしく出入りしている




手術開始から4時間半を経過した6時30分過ぎ、


「執刀した医師が説明を行います」と呼ばれ案内されたのは同じフロアの「倉庫」と書いてある狭く薄暗い空間でした



備品が並ぶ棚の奥の2畳ほどのスペースに、事務机とパソコン、パイプ椅子が数脚



いつもここで術後の説明をしているのだろう



執刀したのは30歳くらいの男性医師で、手術前後のCT画像を示しながら分かりやすく丁寧に説明してくれました



・血腫をクリップで留める手術は成功し、その他開頭して初めて判明した不具合箇所の処置も同時に行いました


・くも膜下出血は、術後に合併症や後遺症を引き起こしやすい病気のひとつで、最も多いのは脳梗塞、髄液が漏れ出して起こる水頭症、手足の麻痺や言語障害などです


・合併症の出やすさは、遺伝的なものや、患者さんの発症前の血液の状態(血栓ができやすいかどうか)等にも左右されます


・今は麻酔で眠っていて、いつ覚醒させるかはICUで状況を見ながら医師が決めるが概ね翌日お昼頃の見込みです


・手術は成功したが、まれに術後意識が戻らないことがあります。また、術後の合併症等で今後2週間程度は同様に意識不明となることがあります


・その際に、延命措置を希望されるかどうか家族で話し合って結論を出してください


・延命措置については、少しでも長く生きてもらいたいというご希望は当然あるかと思いますが、患者さん本人の苦しみや生命維持に必要な費用負担も考慮されて慎重に決めてください





説明を聞いた後、別のスタッフさんから、

「麻酔で眠っているので意識はありませんがICUに入って面会していかれますか?」と聞かれたので3人で会いに行くことにする



頭を包帯でぐるぐる巻きにされ人工呼吸器を装着されて目を閉じている肉親は、生気がなく顔の皺も増え、実際の年齢より10歳以上老けて見えました




麻酔で眠っているので聞こえていないと理解しつつ、かわるがわる声をかける


「〇〇だよ。よくがんばったね」


「早く元気になってね」


すると、誰かが声を掛ける度に、口もとがかすかに動くのです



そばにいたスタッフさんに、「こちらの声が聞こえているのでは?」と質問しましたが、「麻酔が効いていますのでそんなことはありません」とつれない返事



でも僕は、「ありがとう、聞こえてるよ」と懸命に意思表示をしようとしていると感じられました



「そろそろ出てください」と促されICUを出る



僕が「執刀医師から言われた延命措置の件は、いつまでに回答しなければいけませんか?」



と尋ねると、



「いつ判断が必要になるか分からないので、できるだけ早くお願いします。遅くとも次回来られるまでには」

とのこと



僕等3人は、先ほどまで手術が終わるのを待っていた廊下の椅子に戻り、



「絶対(こちらの声が)聞こえてたよね、何か言おうとしてたもん」と話し合う



もし、あの状態で「延命措置をどうしますか?」と聞かれても「(装置を)外してください」とは絶対に言えない





延命措置をどうするか、というのを決断しなければいけないとしたら、


・病気や意識の回復が見られず、今後もその見込みがない


・本人が全く意思表示できず、かつこちらの呼びかけ等にも反応しない


・心臓が動いている(機器によって維持されている場合を含む)が、自我のない、いわゆる「植物人間」状態


という時に限られるのではないかと思っています



本人の苦しみや費用負担というのはその先の話じゃないのかとも思う





病院への回答期限は明日に迫っています


答えはまだ出ない





「私は、やりたくありません。」



彼女のその言葉に、僕だけでなくその場にいた全員が凍りつきました



業務の拡張についてスタッフで話し合いをしていた最中の、唐突な発言でした




僕「それはなぜですか?」



彼女「私自身のワークライフバランスを考えた時に、時間外労働の可能性がある業務拡張には反対します」



「僕だってやりたくはないですよ。でも、顧客の要請だし、コロナ前にはやっていたことだからやらざるを得ないと思います」



「そんなに言うのなら、時間外になる時は〇〇さん(僕のこと)が全部対応すればいいと思います」



取り付く島もない



しばらく議論を重ねましたが、結論は持ち越しになりました



会議が終わって彼女に声をかける



「さっきの件で、ちょっと話をしたいんだけど」



「私は話したくありません。〇〇さんがやれば解決するんだから議論する必要はないと思います」



ここは深追いしない方がよさそう




彼女が外回りの仕事に出ると、同僚たちが堰を切ったように喋り出す



「あれはないよね」


「何を考えているのかしら」


僕が言いたいよ




翌日は、朝から数時間、彼女と僕だけの勤務でした



「昨日のことだけど」



「話したくありません」



ここで諦めてしまったら、関係そのものが切れてしまうと思い、辛抱強く時間をかけて注意深く話しかけました



ようやく話を聞いてくれるようになった



「(時間外になることがあれば)基本的に僕が対応します。でも、どうしても対応できないケースがあるかもしれない。その時だけでもやってもらえませんか?」



「嫌です」



「・・・」



「ここは何でも言える職場だと思って「やりたくない」と自分の気持ちを正直に言いました。でも、そうではなかったんですね」



いやいや、プライベートならともかく、仕事の話をしているんだが・・




数日後、とある定型業務の日程が決まったので、彼女にその業務に従事するよう伝えました



すると、



「前から思ってたんですが、私がその業務に従事する必要性が理解できません。」



「あなたは担当(の1人)ですから、従事してください」



「私の専門性に照らして、従事しなくても後から報告を貰えば事足りると思います」



彼女はコロナ禍の4年間、様々な業務が制限された状況に慣れてしまって、コロナ前に戻ろうとしている現在の変化を過重な負担増と捉えているのかもしれない




彼女に「何でも言える職場」と思ってもらっていたことはありがたいけれど、仕事上の意見を出しやすいことと、自分の気持ちを自由に発言することは根本から違うと思っています



そのことを彼女に勘違いさせてしまっていたことと、その事で職場全体に不協和音を生じさせてしまったことはまさに自分の責任であることを痛感しています




仕事というのは、余程の理不尽がなければ、やれと言われたら自分が嫌だと思っても苦手な分野でも「はい、わかりました」と要求されるレベルの結果をきちんと出せるよう全力を尽くすものだと思って僕は今までやってきました




でも、彼女のような考えで就職や仕事(業務)を選ぶ人も多くなってきているのかもしれない、とも思うようになりました





以前のブログで書きましたが、新人君に郵便やメールの処理をやらせていたところ、



「俺はこんなことをやるためにこの会社に入ったんじゃない!」



と言い放って仕事に出て来なくなり結局退職した青年がいましたが、これを「就職におけるアンマッチ」と呼べるのかどうか今でも悩んでいます




ともあれ、冒頭の彼女とはこれからも同僚(部下)として一緒に仕事を続けなければなりません




最後に、僕は彼女とのやり取りにおいて、後からさらに上の上司とか人事とかに「職場でパワハラを受けた」と訴えられないよう細心の注意を払ったつもりですが、自信はありません




本当に生き辛い世の中になったなあ(昔は良かったなどと言うつもりは毛頭ありません)と思います



今日の1枚



いつも一緒にいてくれてありがとう(^_^)






今日は4月29日(祝)



三連休の最終日ですが、九州福岡は朝からあいにくの雨です



テレビをつけると、どのチャンネルも高速の渋滞情報とか新幹線の乗車率とか有名観光地からの中継で溢れています




新型コロナの行動制限期間中は、こんな風景がまた戻ってくるとは僕は正直思えませんでした



ちょうど4年前(2020年)の同じ頃、学校は一斉休校となり、街から人が消えて道路を走る車も激減し、朝の通勤ラッシュに巻き込まれなくなって僕は不謹慎にも「これがずっと続けばいいのに」と思っていたことを遠い昔の記憶のように思い出しています




コロナ前と変わったことといえば、食品や燃料光熱費をはじめ物の値段が信じられないくらい高くなったことと、僕自身が休日にほとんど家を出なくなったことかな



この三連休も、近所のスーパーへの買い物(徒歩)以外家に閉じ籠っています



必要最低限の洗濯や掃除などはするけれど、それ以外のことをやる気にはなれない



2年前に通販で買ったテレビの据付とか、キャリアからようやく届いた高速インターネット対応のルーター交換とか、そして何よりモノで溢れている部屋の片付けとか、やるべきことは山ほどあるけれど・・



現実逃避してるな~




ただ、半年前と違うのは、インコが一緒に居てくれるおかげで、休日が灰色(どんより)ではなくなったこと



平日も含め、インコを決まった時間に寝かせることや起こすこと、ケージの掃除や水やごはんの入れ換えをを朝夕やることなどで僕自身の生活に自然とリズムができました




インコまだ人間の言葉は喋れない(今後も喋れないかもしれない)けれど、仕事から帰って来るとめっちゃ喜んでくれるし、ケージから出してあげると片時も僕のそばを離れようとしません



この子のために、明日もがんばって生きようと思えます




なぜヒトは動物と暮らすのか?



その答えは人それぞれだと思いますが、僕の答えは


「この世界で唯一、信じられると思えるから」


かな



いつもありがとう


明日からも仕事がんばります