「私は、やりたくありません。」
彼女のその言葉に、僕だけでなくその場にいた全員が凍りつきました
業務の拡張についてスタッフで話し合いをしていた最中の、唐突な発言でした
僕「それはなぜですか?」
彼女「私自身のワークライフバランスを考えた時に、時間外労働の可能性がある業務拡張には反対します」
「僕だってやりたくはないですよ。でも、顧客の要請だし、コロナ前にはやっていたことだからやらざるを得ないと思います」
「そんなに言うのなら、時間外になる時は〇〇さん(僕のこと)が全部対応すればいいと思います」
取り付く島もない
しばらく議論を重ねましたが、結論は持ち越しになりました
会議が終わって彼女に声をかける
「さっきの件で、ちょっと話をしたいんだけど」
「私は話したくありません。〇〇さんがやれば解決するんだから議論する必要はないと思います」
ここは深追いしない方がよさそう
彼女が外回りの仕事に出ると、同僚たちが堰を切ったように喋り出す
「あれはないよね」
「何を考えているのかしら」
僕が言いたいよ
翌日は、朝から数時間、彼女と僕だけの勤務でした
「昨日のことだけど」
「話したくありません」
ここで諦めてしまったら、関係そのものが切れてしまうと思い、辛抱強く時間をかけて注意深く話しかけました
ようやく話を聞いてくれるようになった
「(時間外になることがあれば)基本的に僕が対応します。でも、どうしても対応できないケースがあるかもしれない。その時だけでもやってもらえませんか?」
「嫌です」
「・・・」
「ここは何でも言える職場だと思って「やりたくない」と自分の気持ちを正直に言いました。でも、そうではなかったんですね」
いやいや、プライベートならともかく、仕事の話をしているんだが・・
数日後、とある定型業務の日程が決まったので、彼女にその業務に従事するよう伝えました
すると、
「前から思ってたんですが、私がその業務に従事する必要性が理解できません。」
「あなたは担当(の1人)ですから、従事してください」
「私の専門性に照らして、従事しなくても後から報告を貰えば事足りると思います」
彼女はコロナ禍の4年間、様々な業務が制限された状況に慣れてしまって、コロナ前に戻ろうとしている現在の変化を過重な負担増と捉えているのかもしれない
彼女に「何でも言える職場」と思ってもらっていたことはありがたいけれど、仕事上の意見を出しやすいことと、自分の気持ちを自由に発言することは根本から違うと思っています
そのことを彼女に勘違いさせてしまっていたことと、その事で職場全体に不協和音を生じさせてしまったことはまさに自分の責任であることを痛感しています
仕事というのは、余程の理不尽がなければ、やれと言われたら自分が嫌だと思っても苦手な分野でも「はい、わかりました」と要求されるレベルの結果をきちんと出せるよう全力を尽くすものだと思って僕は今までやってきました
でも、彼女のような考えで就職や仕事(業務)を選ぶ人も多くなってきているのかもしれない、とも思うようになりました
以前のブログで書きましたが、新人君に郵便やメールの処理をやらせていたところ、
「俺はこんなことをやるためにこの会社に入ったんじゃない!」
と言い放って仕事に出て来なくなり結局退職した青年がいましたが、これを「就職におけるアンマッチ」と呼べるのかどうか今でも悩んでいます
ともあれ、冒頭の彼女とはこれからも同僚(部下)として一緒に仕事を続けなければなりません
最後に、僕は彼女とのやり取りにおいて、後からさらに上の上司とか人事とかに「職場でパワハラを受けた」と訴えられないよう細心の注意を払ったつもりですが、自信はありません
本当に生き辛い世の中になったなあ(昔は良かったなどと言うつもりは毛頭ありません)と思います
今日の1枚