覚醒した市民は国民の生活が第一への回帰求める: 植草一秀の『知られざる真実』
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-db00.html
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5/25の植草さんのブログで、「小沢一郎議員を支援する会」主催シンポジウム『小沢一郎が語る これからの日本の政治と外交』の報告が出ている。
その中で、辻恵さんのナチス・ドイツの評価が紹介されている。
ポイントは排外主義と独裁体制にあること、そしてこれに反対する可能性のある、共産党が謀略によって排除され、(社会民主党以外の)他の政党が賛成に廻ったことが、悲劇的な状況の到来を避けがたくしたという指摘である。
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ナチス体制の特徴が、民族主義と王権のような独裁制というのは当たっている感じがする。
しかしこれを止めるのは、政治的な駆け引き以前に、民族主義以外の精神で社会が運営していける可能性があること、王権のような構造でなくても社会が統治できる可能性があることが必要だろう。
もちろん平和的に社会運営できる基盤があっても、クーデターによって独裁政権を打ち立てることは可能かもしれない。それを防ぐために警察力や軍事力を掌握しておくことが必要かもしれない。しかし、民族主義、王権体制、そういった熱狂的で強引な手法以外に道がないと多くの人が考え始めている状況が一番危険であり、悲劇的な状況を避けがたくするものだろう。
垂直的な関係を作って暴力的に富を収奪しなくても、水平的な関係のまま必要なところに富が分配される状況や、それを成り立たせる精神が働いているなら、暴力的な方向性に多くの支持が集まるとも思えない。
しかし水平的な関係を健全に成り立たせるためには、多くの人たちが知性と愛に目覚める必要がある。少数の人たちが動かすしかないのであれば、垂直構造を生み出さざるを得ないだろうから。そして多かれ少なかれ暴力的な措置を取らざるを得ない。
いまの日本の状況は、民族主義に可能性を見る人たちが増え、残りの人たちも消極的に賛成する人が多くなっている。安倍さんはこれまでずっと民族主義的な方向性を打ち出しているし、選挙の時もいくらかは説明しているのに、大勝できるということは、国民多数はもう既に民族主義、そして垂直構造を選んでいると言うしかないだろう。
それでも熱狂と暴力を活用して政治的に邁進することが、特に国際関係において深刻な事態を招くだろうと予想する人たちが、政治的な技術でなんとか歯止めをかけられないか模索しているところと言えるのではないだろうか。
消極的に賛成している人が、他の方針に賛成してくれれば、変わるかもしれないということである。
しかし、状況は八方ふさがりの人がやけをおこしている時に、他に可能性があると知らせるだけで、建設的な方向に取り組んでみようと思うような状況ではなく、全ての問題が理解され実行すれば成果が出るお膳立てができていても(実際はできていないだろう。みんなどうしたらいいかわからないからである)、それが今の感性(つまり、一人一人が王侯貴族のような暮らしをしたいなあ、という願い、物質的な世界観)を叶えてくれるものではないのであれば、支持されないだろうからだ。
今の悲劇的な状況、あるいは悲劇の一歩手前の状況は、(善意の模索があったとはいえ結果的には)しばらく前の時代の無為無策が影響していると思う。今からできることは、次の時代に実を結ぶ種を播くことだろう。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-db00.html
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5/25の植草さんのブログで、「小沢一郎議員を支援する会」主催シンポジウム『小沢一郎が語る これからの日本の政治と外交』の報告が出ている。
その中で、辻恵さんのナチス・ドイツの評価が紹介されている。
ポイントは排外主義と独裁体制にあること、そしてこれに反対する可能性のある、共産党が謀略によって排除され、(社会民主党以外の)他の政党が賛成に廻ったことが、悲劇的な状況の到来を避けがたくしたという指摘である。
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ナチス体制の特徴が、民族主義と王権のような独裁制というのは当たっている感じがする。
しかしこれを止めるのは、政治的な駆け引き以前に、民族主義以外の精神で社会が運営していける可能性があること、王権のような構造でなくても社会が統治できる可能性があることが必要だろう。
もちろん平和的に社会運営できる基盤があっても、クーデターによって独裁政権を打ち立てることは可能かもしれない。それを防ぐために警察力や軍事力を掌握しておくことが必要かもしれない。しかし、民族主義、王権体制、そういった熱狂的で強引な手法以外に道がないと多くの人が考え始めている状況が一番危険であり、悲劇的な状況を避けがたくするものだろう。
垂直的な関係を作って暴力的に富を収奪しなくても、水平的な関係のまま必要なところに富が分配される状況や、それを成り立たせる精神が働いているなら、暴力的な方向性に多くの支持が集まるとも思えない。
しかし水平的な関係を健全に成り立たせるためには、多くの人たちが知性と愛に目覚める必要がある。少数の人たちが動かすしかないのであれば、垂直構造を生み出さざるを得ないだろうから。そして多かれ少なかれ暴力的な措置を取らざるを得ない。
いまの日本の状況は、民族主義に可能性を見る人たちが増え、残りの人たちも消極的に賛成する人が多くなっている。安倍さんはこれまでずっと民族主義的な方向性を打ち出しているし、選挙の時もいくらかは説明しているのに、大勝できるということは、国民多数はもう既に民族主義、そして垂直構造を選んでいると言うしかないだろう。
それでも熱狂と暴力を活用して政治的に邁進することが、特に国際関係において深刻な事態を招くだろうと予想する人たちが、政治的な技術でなんとか歯止めをかけられないか模索しているところと言えるのではないだろうか。
消極的に賛成している人が、他の方針に賛成してくれれば、変わるかもしれないということである。
しかし、状況は八方ふさがりの人がやけをおこしている時に、他に可能性があると知らせるだけで、建設的な方向に取り組んでみようと思うような状況ではなく、全ての問題が理解され実行すれば成果が出るお膳立てができていても(実際はできていないだろう。みんなどうしたらいいかわからないからである)、それが今の感性(つまり、一人一人が王侯貴族のような暮らしをしたいなあ、という願い、物質的な世界観)を叶えてくれるものではないのであれば、支持されないだろうからだ。
今の悲劇的な状況、あるいは悲劇の一歩手前の状況は、(善意の模索があったとはいえ結果的には)しばらく前の時代の無為無策が影響していると思う。今からできることは、次の時代に実を結ぶ種を播くことだろう。